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第二章 第五話 木漏れ日
幼い私は、自由を知った。
私にとっての一番の自由は、”彼”そのものだった。

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「友達なんていない。いらない。
王族に友達は不要だって、お母様が言ったの。
誰かに心を許し過ぎるのは、国を傾ける原因になるから」
栗色の髪を真っ直ぐに切り揃えた少女は、
子供らしからぬ口調でそう答えた。
無表情で、空を仰ぐ瞳は虚ろ。
えんじ色の袴に、花菱の模様の明るい上着を羽織っているものの、
幽霊に間違えられてもおかしくないほど生気が薄く、
唇だけが微かに動く様子が、少女を更に不気味に見せていた。
それが、五歳の私。
「お前、寂しくないのか?」
そう問いかけた少年をちらりと一瞥した後、
私は睫毛を伏せて、左右に小さく首を振った。
「別に何とも。
我侭を言う子は不要だって、お母様は言ったわ。
教育係も、余計なことを話すなって。ただ、従えばいいって」
そして、私は静かに付け加えた。
”だって桜は人形だから”
傷付いたような彼の表情を、今も覚えてる。
女の子みたいに華奢な体が小刻みに震えていたことも。
「だから、桜はこれでいいの。
お母様に嫌われるくらいなら、友達なんかいらない。
民の為に生き、そして死ぬ。それが務め。それだけでいいの」
「・・・・・・っ・・・・・・!
だったら・・・・・・だったら、それは何だよ?!
従順なだけのただの人形が、そんなもん零すかよ!」
感情を露にする彼を見て、私はハッとした。
彼に促されるまま、指先で頬をなぞると、
冷たい何かが一筋。
「さくら・・・・・・ないて、いるの?」
寂しさなんて、知らなかった。
違うわ。
何度も何度も、感じていたのに・・・・・・
心の奥底に深く眠らせたまま、
気づかない振りをしていた。
あの日。
初めて泣いた、あの時。
幼い私は、自由を知った。
私にとっての一番の自由は、”彼”そのものだった。
「昼夜を問わず警戒を続けております。
しかし、私の隊では交易路全域の監視は難しいかと・・・・・・」
遥の仕事はまだ終わらないらしい。
耳慣れた声は、淡々と難しい言葉を紡ぎ続けている。
まるで、歴史や兵法の授業を聞いているみたい。
「手勢を補充するか?騎馬の要請なら・・・・・・」
「いいえ、それはいささか尚早かと。
今は、国境までの各関所との連携を強め、
隊商の警護を分掌する方針で手配を進めるつもりです」
私は壁に耳を寄せて、ゆっくりと目を瞑った。
兄弟同然に育った、二つ年上の幼馴染。
いつの間にか有能な武官に成長して、
遠征隊の指揮官として最年少で隣国へ派遣されたと思ったら、
今度は一国の機密を預かる使者として帰国した。
そして今、国主であるお母様と肩を並べている。
なんだか、胸が痛む。
五年前まではあんなに近かったのに、
遥だけが変わって、私からどんどん離れていく。
でも、一番悲しいのは・・・・・・
そんな子供じみた感情に一喜一憂する、情けない自分だわ。
いつまで経っても、
私だけが幼いあの頃に執着し続けている。
「先の件の詳細につきましては、
水穂の大君から預かって参りました、こちらの書状に」
「ご苦労であったな、遥。
一通り目を通し、大君には返書をしたためるとしよう」
「はい、私が責任を持って水穂に届けます」
・・・・・・と、いけない。
感傷に浸っている場合じゃないわ。
話を終えて遥が出てくる前に、何処かに隠れなくちゃ。
「ならば、しばし故郷で寛ぐがいい」
「故郷、ですか・・・・・・?」
私はその場から離れようとして、再び足を止めた。
あら?
遥の様子が少しおかしい。
「そなたの母親も妹御も、さぞ喜ぶだろうよ」
それは、お母様に同感ね。
遥は国の東端の村出身で、母親と妹の三人暮らしだった。
早世した父親代わりになっていたせいか、
妹に対する溺愛ぶりに、昔はよく驚かされたものだわ。
なのにどうして?
家族の話が出た途端、気まずそうに息を呑んだの?
「戻れません」
消え入りそうな声が一瞬大きく揺らいだ。
・・・・・・え?
「俺にはもう・・・・・・帰る資格なんて、ない・・・・・・」
呟いた声は恐ろしいほど静かだった。
遥を取り巻く張り詰めた空気が一瞬で伝わってくる。
「そなた、どうした?」
お母様も遥の急変に気付いたのか、怪訝そうに尋ねた。
すると遥は、取り繕うように苦笑混じりに答える。
「あ、あの・・・・・・いえ、里に戻れば親兄妹が騒ぎましょう。
いらん歓迎を受けて逆に疲れてしまいますので、
帰省は次の機会に見送るつもりです」
「真にそれだけの理由か?」
「それ以外・・・・・・何が、ございましょう?」
探るような母の声音に、遥はいつになく神妙な調子で答える。
「私はてっきり、
あの娘のことを今も悔いているからだと思ったが?
名前は何と言ったか。確か、季沙とか」
(さよならなんて・・・・・・言いたく、ないよ・・・・・・)
「・・・・・・・っ、宮様!!」
遥が上げた悲痛なその声は、悲鳴と呼んでもおかしくない。
「そうそう。あの娘も、そなたと同郷であったな?
巷では有名な舞姫だったと聞い」
―― ダンッ!!
お母様の言葉を遮って、鈍い音が響いた。
分厚い壁越しに伝わってきた強烈な振動に、
隠れているのも忘れて、思わずきゃっと声を漏らしてしまった。
遥が、何か叩いたの・・・・・・?
「その件は他言無用に、とお願いしたはず!!」
「ふふ。そう興奮するな。つい口が滑ったのだ」
全く反省の色が無い様子に、小さく溜息が聞こえた。
「・・・・・・軽き口は災いの元、と申します。
あの時のことは、金輪際、どなたにも口外しないで頂きたい」
遥は、若干気まずそうに渋い声を絞った。
季沙って誰・・・・・・?
お母様と遥は、一体何を隠しているの。
「いい加減に観念して出て来い」
「おい、桜。おい!」
「・・・・・・え・・・・・・あ、あぁっ?!」
我に返って恐る恐る見上げると、
頭上から、冷ややかで鋭い視線が注がれている。
呼ばれるまでの記憶がはっきりしないのだけど、
一体どのくらいの時間、呆けていたのかしら・・・・・・?
「俺の幼馴染は、いつから盗聴が趣味になったんだ?」
「ず、ずっと気付いていたの?」
私が申し訳なさそうに両手を上げて会釈すると、
遥は握り締めた拳で、私の額を小突いた。
「当然だろ。気配には敏感なんだ。
俺は、いつ何処で狙撃されてもおかしくないからな。
お前が刺客なら、こうして一撃で喉元を狙ってた所だ」
遥は懐から小刀を取り出して、投げる真似する。
その刃は驚くほど鋭利で、冗談と分かっていても身が竦んだ。
「ちょ、そんな物しまって!!
昔と違って、今は刺客なんてそうそう現れないわよ。
いつまでも治安が悪いままじゃないのよ?」
お母様の前の国主が国をまとめていた時代は、
戦ばかりで荒れていたものだけど。
「昔、か・・・・・・」
そう呟いた遥は俯いたまま、私の一歩前を歩く。
背中が寂しそうに見えるのは、錯覚じゃないわよね?
ねぇ、あなた一体どうしたの?
「遥、あの・・・・・・」
「さっき、急に怒鳴って悪かったよ」
異様なほど柔らかい口調で、遥は私の言葉を引き取った。
「驚いたろ。でも、別に大したことじゃない」
相変わらず嘘が下手ね。
隠し事をする時は、いつもそうして目を逸らして微笑うの。
私は知ってるわ。ずっと、見ていたもの。
だから、私、
「・・・・・・実は、俺・・・・・・宮様にさ・・・・・・」
”季沙って誰?何があったの?”
喉から出かけた言葉を、寸前で飲み込む。
「お腹すいた」
「は?」
「そう言えば昼餉がまだだったのよ、私。
お母様と喧嘩した後、邸を飛び出して、食べ損ねたの。
あなたは?道中で何かつまんだ?」
「・・・・・・あ・・・・・・いや」
「私の部屋に、胡桃餡のお饅頭があるの。
夕餉まではまだ少し時間があるし、行きましょう。ね?」
「・・・・・・何も、聞かないのか?」
遥はポカンとした表情で、私に向き直っている。
今は聞かない。
でも、いつか、きっと教えて。
話してくれるまで、何時までだって待つから。
私は昔から遥に面倒ばかりかけてたし、
未だに子供っぽくて、頼りないかもしれないけど・・・・・・
私なりのやり方で、遥を守ることは出来るはずだから。
そんな苦しげな顔をして笑うあなたが、
これ以上苦しまないように。
私の前では我慢しないで。
無理に笑わないで。
泣いたって、いいじゃない?
「それより手当てが先よ。手を出して!」
引っ手繰るようにして袖から出させた右手は、
予想通り、赤く腫れ上がっていた。
廊下まで振動が伝わるほど、無理をするから・・・・・・
「カッとなって、つい・・・・・・大丈夫だ。痛みはないから」
「そうやって我慢ばかりするのは悪い癖ね。
今日は刀なんか握っちゃ駄目よ。
もちろん、手綱を引くのも禁止!いいわね?」
木造の窓枠にぶら下がっていた氷柱を一本へし折って、
髪を結っていた朱色のリボンでソッと包む。
「あまり無理しないでよ?」
それを右手に宛がうと、遥は懐かしそうに目を細めた。
「・・・・・・昔もよくあったよなぁ、こう言うこと」
「私達、危険な遊びばかりしてたんだもの。
出会ってからもう十一年になるのね」
遥が都に仕官して来たのは、
単身故郷を離れるには幼すぎる、七歳の時だった。
警備隊の入隊試験で将来性を買われ、あっさり合格して、
この邸で役人教育を受けるうちに・・・・・・
私と出会った。
「私達、本当に何処へ行くにも一緒だったわよね」
「お前を連れ出してやりたかったんだよ。
この邸がお前を病ませてるのが、すぐに分かったから。
ガキなりに、俺が助けてやらなきゃと思ってた」
それまでの私は感情を失くしていた。
偶然出会った遥が外の世界を見せてくれなかったら、
今もきっと、笑顔の作り方さえ知らなかったでしょうね。
どんなに感謝してもしたりないくらい。
「でも、随分怖い目にも遭ったわ。
崖から落ちたり、川で溺れるなんて日常茶飯事。
いつも傷だらけで、服を破ったことを侍女に叱られたわよ」
「お前がどん臭いからだろ。助けるのに骨が折れた」
嘲笑交じりの、いつもの口調が戻ってきた。
憎たらしいより何より、安心した。
こっちの方がずっといい。
「あら、山で遭難しかけたのは遥が原因だわ。
おまけに、救助されるまで干し柿だって分けてあげたでしょ」
「あれだって、元はと言えばお前がッ・・・・・・」
そう。
私を助けてくれたのは、
いつだってあなただったわ。
だから私も・・・・・・
―― きゅるる
私の腹部から、小さな音が鳴った。
「・・・・・・聞こえた?」
安心した途端に、お腹の虫が一斉に鳴き出した。
遥は小さく頷いて、私を無視してすたすた歩き出した。
「あ、あの?」
「・・・・・・ぶ、はっ・・・・・・笑わせんなよ、お姫様!
どれだけ食い意地が張ってんだよ!恥ずかしい奴!!」
少し前まで塞ぎ込んでいたはずの遥は、
お腹を抱えて盛大に笑い、目に薄っすら涙を浮かべている。
悔しくて、情けなくて、顔から火が出そう。
「ひ、ひもじくて悪かったわね!!
それに、私は桜って言うの。お姫様って名前じゃないわよ!」
「そう怒るなよ。分かってる分かってる」
遥は屈託なく笑い、
「ほら、さっさと来いよ」
私に向けて真っ直ぐに左手を伸ばした。
「え?」
「饅頭、食うんだろ?お前の部屋に行くぞ」
私は一瞬戸惑ったけど、早足で駆け寄った。
「ふふっ、すぐに茶器を暖めるわ。
お茶でも飲みながら、ゆっくり水穂の国の話を聞かせて?
ちなみに、お饅頭は私の手作りなのよ」
「ええッ?!」
驚いた遥の表情は、
深い海よりも、空よりも真っ青だった。
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【あとがき】
五話はいかがでしたか?
今回のお話は今までとは少し違う味付けをして、
説明、それからヒーローとヒロインの昔話中心にしました。
進展がなく、じれったいと感じるかもしれませんが、
キャラクターを知って、今後はより感情移入して頂きたいので、
外せない一話だと思います。
ただ、説明が若干くどい気がするので、
出来ればもうちょっとシェイプアップさせたかったな。うーん。
さて、私の勝手な偏見なのですが・・・・・・
一見強そうに見える人程、脆い一面を抱えていると思います。
「周囲に弱い部分を晒せない」と考えて抑えているからこそ、
心の闇はどんどん深く、濃くなっている気がします。
なので、遥にも背負ってもらいました。どす黒い闇を。
それが明らかになるのは、第四話の中盤〜終盤でしょうか?
今回は存在を匂わすだけに終わった季沙のため、遥が背負った闇。
その決着を、楽しみに待っていて頂ければと思います。
幼馴染コンプレックスのツンデレヒロイン。
実は硝子のハートを持つヒーロー。
しばらくは、そんな二人の旅模様をお楽しみください。
ちなみに、最後の遥の「え?!」なのですが。
以前web拍手のお礼に書いた短編が元になっています。
「桜は料理全般がとっても下手で。
それなのにその自覚がなくて、厨房に立ちたがる。
そして、遥が犠牲になっていつも毒見をさせられている」
・・・・・・と言うどうでもいい設定があるのです、実は(笑)
番外編として公開しますので、よろしければどうぞ!
『Have no sense of cooking』
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