第二章 第四話 棘の檻


籠の鳥が幸せなんて、誰が決めた?

よく聞いて。その鳴き声は、違うから。









邸の上にすっぽりと蓋をしたまま、

雷を帯びた紫色の鱗雲は少しも動かない。

にも関わらず、邸内は異様なまでに静まり返っている。

と言うのも、

「天候に惑わされるなど愚行でしかない」

そう言って、国主である涼風の宮が周囲を牽制し、

毅然とした様子で、いつも通り国務に勤しんだため、

邸仕えの者達は必死で平静を装ったのだった。


小声で不安を漏らす他は、何の音もない。

そのため、その音は数倍にも激しく響き渡ることになった。




―― ガシャンッ・・・・・・!!

耳を覆いたくなるほど強烈な破壊音と共に、

昇り竜の細工を施した窓が、無残にくだけ散った。

粉々の破片は部屋中に広がり、外の光を微かに反射した。



「・・・・・・う・・・・・・っ・・・・・・」

その傍らには、

薄紫の絹を羽織った若い女性がぐったりと倒れこんでいる。

折れそうなほど華奢な肢体はピクリとも動かず、

豊かな巻き毛は、硝子に絡むように床に広がったままだ。


やがて、辺りが徐々に騒がしくなってきた。

パタパタと騒々しい足音が、長い廊下に響いてくる。




「きゃあぁっ・・・・・・ゆ、唯月様!!」

その部屋の惨状に気付いた数名の年若い女官が、

唇を震わせて、甲高い悲鳴を上げた。

「今の音は一体・・・・・・唯月様、ご無事で?!」

転がった体から返事はない。

白髪交じりで、目尻に深いしわのある女性が、

散乱した室内にたじろぎつつ、果敢に女性の下へ駆け寄った。

どうやら、唯月と呼ばれたその女性は、彼女達の主人らしい。


「誰か、早く医師を呼んで頂戴!」

唯月を起こした女官は、危機を感じてそう叫んだ。

顔が酷く青褪め、尋常ではないほど大きく震えていたのだ。

「早くなさい!!早く・・・・・・」

言いかけて、女官は口を噤んだ。

唯月が、震える手で女官の袖を握り締めたからだ。

「・・・・・・さ・・・・・・騒ぐな。気分が優れないだけ」

「ですが、どう見てもご様子が尋常では!!」

掠れた声と額に伝う脂汗が、それを物語っている。

「良いと言うのに・・・・・・」

唯月は何度か深く息を吸い、ゆっくりと呼吸を整えて言った。

「ふぅ・・・・・・案ずるな、これは病ではない」

彼女は、代々王族に仕えて来た占い師一族の末裔である。

特殊な占いで未来を予知することが出来るため、

国には唯一無二の存在と言えた。




今、人ではない何者かの視線を感じた。

凍えるほどに冷たく、悲哀に満ちた気配だった。

とても・・・・・・とても、嫌な予感がする。



「それなら宜しいのですが・・・・・・

あ、失礼いたしました。ただいま窓硝子の片付けを」

「そ、その破片に触れてはいけない!!」

破片を拾おうと腰を屈めた女官に、唯月は声を張り上げた。

すると、室内は一瞬にして静寂に包まれた。

「えっ・・・・・・」

普段の唯月は物静で、感情の起伏に乏しいため、

怒鳴る姿など誰一人として見たことがなかった。

そのため、女官はすっかり怯え、体を強張らせながら尋ねた。

「あの・・・・・・な、何故でしょうか?」

唯月は、ゴクリと大きく息を呑んだ。

「窓辺一帯に邪気が漂っている。呪いを受けてしまう」

「ひぃっ・・・・・・の、呪い、でございますか?!」

部屋中の女官達の顔が見る見る青褪めていく。

神の加護を受けるこの国では、呪いなど前例がないからだ。

「呪いと呼ぶかは分からない。

私が垣間見た、凍える視線の主は・・・・・・」

桃色の髪の、穏やかな面立ちをした少女だった。

寂しげな微笑を残して、夢幻のようにこの場を去った。


あのような霊が、何故この国を彷徨う?

そして、私の心は何故これ程までに乱れるのか。

しかし、理由はどうであれ、後々国に仇を成すに違いない。

私が居る限り、この国に手出しはさせない。


「皆の者・・・・・・即刻、占いの準備を!

直ちに都中の僧を呼び寄せ、祈祷の準備も急がせよ!」

唯月の言葉に、女官達は部屋を去っていく。

そして一人になった唯月は、

懐から数珠を取り出して空を仰いだ。


「涼風の宮様の御世に・・・・・・乱世が、蘇るか」

呟いた言葉は、疾風に掻き消されていった。


残された静寂は、何処までも静かに、

そして不気味な音を奏でる。



それはまるで、

あの少女の微笑のようだった・・・・・・
















「・・・・・・う・・・・・・う、ん・・・・・・」


誰かが、私の肩を揺さぶっている。

その振動と優しい声に促されて、意識が浮上してきた。

割れるような頭の痛みは既になく、

混濁していた記憶も、徐々に明晰になってくる。


そうよ。私、倒れたんだわ。


そんなことを考えながら重い瞼を開くと、

ぼんやり霞んだ視界に、朱色の何かが広がった。

それは不鮮明でも、お邸の見慣れた天井だとすぐに分かった。



「・・・・・・ら姫、桜姫?」

段々と耳に入ってきたのは、朝日の声だ。

しばらく瞬きを繰り返すと、やっと目が焦点を結び、

私が横になっている寝台のすぐ横では朝日が、

窓辺では遥が、心配そうに顔を歪めているのが分かった。


「姫、具合はもういいのですか?!」

二人は唇を引き結び、眉をしかめている。

お揃いの表情に、不謹慎だけど私は笑みをこぼした。

「ええ、この通り大丈夫よ」

布団から出した右手を、小さく振って見せた。

「・・・・・・ところで・・・・・・あの、さっきの私って」

「ええ、先程のご様子には驚きましたよ」

困惑した私が言葉を濁すのを察して、朝日が答えてくれた。

「激しい頭痛を訴えて、突然倒れたんですよ。

何者かの声が聞こえる、と言ってね」




声が・・・・・・?


あぁ、そうだ。

頭の奥で少女の声が聞こえたんだわ。

「桜姫、声が聞こえますか?」って、確かに聞き取れたのよ。

そうしたら急に頭痛がして、気が遠くなって。




「雲を覚えておいでですか?」

「ええ。あんな不気味な雲、初めて見た」

私は小さく頷く。

高天原の異常気象の中でも、あの雲は群を抜いていた。

お邸の真上にだけ立ち昇るなんて・・・・・・

「ですから我々も、すぐに邸に戻ったのです。すると」

朝日は神妙な面持ちで、耳を澄ますよう手で促した。

「読経が聞こえますか?」

そっと耳を傾けると、

確かに、山彦のように連なった重低音が聞こえる。

「ざっと四十人程、僧侶が廟に集まっています」

「そんなに?!どうして?」

国中の僧侶を集めたような数だわ。

「唯月様が、怪しい気配を察知されたそうです。

そして、すぐさま僧に収集をかけ、祈祷を行うよう命じたらしい」

怪しい気配って、あの少女のこと?

きっと唯月様も気付いたんだわ。

唯月様なら、あの声のことが何か分かるかもしれない。

「お会いしたいわ。今どちらに?」

私は布団を押しやって、ずいと身を乗り出した。

すると、朝日はやれやれと言う表情を浮かべて、

私を半ば無理やり布団に押し戻し、静かな口調で続けた。

「姫の性格は十分承知していますからね。

そう仰ると思い、私もすぐに謁見を願い出たのですが・・・・・・

もう禊を始めたらしく、お会い出来ませんでした」

唯月様は自己の意識を手放した状態で、

土地に棲む神や霊魂に交信して、啓示を授かる。

その間は、外界との接触は厳禁だから・・・・・・

「それなら、少なくとも十日は廟に篭るわね」

落胆を抑えられず、私は俯いた。

「・・・・・・ねぇ、私・・・・・・変、よね・・・・・・?」

「桜姫?」

唯月様が察知した怪しい気配。

その原因は私の名前を呼び、ほんの僅かでも会話をした。

占い師でも巫女でもないくせに、どうして私が・・・・・・?

考えると、恐ろしくて堪らない。

「桜。大丈夫か、突然どうした?」

「あ、いえ・・・・・・あの、少し驚いて。取り乱してごめんなさい」

遥の表情を見て、私はとっさに笑顔を作る。

迷惑も心配もかけたくない。

私の気の迷いで、遥の里帰りを潰すこともないわ。

「それより、ありがとう。

二人ともずっと私に付き添ってくれていたのね?」

不安を押し殺して、若干不自然ながら話を切り替えた。

すると遥は、不機嫌そうにそっぽを向いて一言。

「置き去りに出来る訳ないだろ」

照れくさそうな表情がちらりと見えた。

我ながら単純だと思うけど、

たったそれだけで、恐怖は一気に吹飛んでしまった。

「ふふ、ありが」

「さぁて、宮様の所へ行くかな。

緊急の外交文書より女を優先したなんて知れたら、

俺は確実に縛り首になるな。あーあ、誰かさんのせいで」

お礼の言葉を遮って、遥は恨み言を吐き捨てる。

冗談だと分かっていても面白くないわ。

「もうっ、あなたはいつも一言余計なのよ・・・・・・!!」

「じゃぁな、じゃじゃ馬」

ピシャリと言い放ち、遥は迷いのない足取りで扉へと向かう。

苛立ちつつもそれを目で追っていると、

無意識に言葉が零れた。


「あ・・・・・・ま、待って!」


「ん?」

振り向いた遥は、怪訝そうな眼差しをこちらに向ける。

「・・・・・・何でもない、呼び止めて悪かったわ」

一時帰国って言ったから、またすぐ仕事に戻るに決まってる。

せっかく帰ってきたのに、まだ全然話せてない。

でも、寂しいなんて口が裂けても言えない。

「・・・・・・ったく。お前は子供か」

ちらりと私を見た遥は、観念したように頭を掻いた。

「帰国したら、遠征の話を聞かせてやる約束だったな?」

「え・・・・・・?」

どう思い返しても、そんな約束覚えがない。

五年前の別れ際は、遥を避けて、泣いて過ごしたのだから。

「俺がしてたっつったら、してたんだよ!!」

「!」

あぁ、そうか・・・・・・

遥は、私の気持ちを察してくれたのね?

「宮への報告が済んだらいくらでも付き合ってやるから、

今は養生して、そこで大人しく待ってろ」

微かに口元が緩むのを押さえて、私は頷いた。

「・・・・・・うん・・・・・・あの、私、待ってる。待ってるから」

飛び上がって喜びたいのを我慢したせいで、

返事は妙に控えめになった。

それでも、一瞬だけ遥が笑った気がしたから、

部屋を出る後姿を、今度は静かに見送ることが出来た。



「・・・・・・ふふっ・・・・・・」





「桜姫。一言、進言申し上げましょう」

夢心地で布団を被った私を現実に引き戻すように、

朝日がそう切り出した。

ぎくりと一筋、背中に冷や汗が伝っていく。


「また何かお説教・・・・・・?」

上目遣いで朝日を見て、恐る恐る聞き返すと、

彼は同じ目線の高さまで屈んで、緩やかに首を振った。

覗き込んだ彼の目に怒りの色はなく、私はほっと安堵した。

でも、

「彼は一介の家臣に過ぎません。それも平民出身のね。

いかに幼馴染と言えども、身分違いに変わりないのですよ」

お母様そっくりの高慢ちきで嫌な言い方。

時間を共有しすぎると、口調まで似てくるのかしら。

いい加減うんざりだわ。

「だから?」

私は毅然とした態度で言い返し、唇を尖らせた。

「身分や家柄で人間の価値が決まるだなんて、

まさか思っていやしないでしょうね?」

精一杯の攻撃的な口調にも、朝日は怯まない。

「愚問ですね。私が憲法を知らないとでも?

『国民は、位階に関係なく等しい権利を有するもの』とあります。

ですがそれは、あなたが王族でなければの話です」

「・・・・・・!」

私は、きつく唇を噛み締めた。

「王族は通常、交友関係すら制限されているものです。

異性であれば尚更それは厳しくなる。

彼も例外ではありません。

あまり親しくなさっては王族の威信に関わりましょう」

朝日は、お分かりですね、と強く念を押した。

分かってるわよ。

教育係も女官達も、口を揃えてそう言った。

小さい頃から、遥と少し話すだけでこっ酷く叱られた。

だから、こんなにも苦しいんじゃない。

「今後は国主の令嬢たる自覚を持って、身を慎むことです。

国主・・・・・・いえ、あなたの母上も同じように仰ると思いますよ」

俯いた私の返事を待たず、朝日が沈黙を破った。

いつもは鳥のさえずりのように清々しい声も、

今日は鉛みたいに重く圧し掛かる。






私を包むこの世界は、

どこまでも窮屈で、まるで鳥籠のよう。



どうして・・・・・・

どうして、私だけが素直に生きられないの?

些細な想いさえ赦されないの?

何一つ選べないの?

近付けない距離が、もどかしい。





「・・・・・・・・・・・・そんな、ことっ・・・・・・

今更あなたに言われなくても、百も承知よ!

あなたはこれから私の人生を丸ごと奪ってしまうんだから、

今くらい放っておいて!!」

叫んだ私は、堪らず部屋を飛び出した。






遥に、会いたい。



声が、聞きたい。










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【あとがき】


第四話を公開しました。


手頃な長さでの公開を常に心掛けてはいるのですが、

唯月のくだりを入れたために、随分長くなってしまいました。

読み難い、等の苦情がありましたらどうぞ。


後々作中で詳しく説明しようと思っていたのですが、

(詳しく触れるのは、五章の前後の予定)

朝日が先走って喋ってしまったので、ここでも少し。

高天原は、同身分での結婚が慣例のお堅い国家です。

王族の伴侶の資格を持つのは貴族だけ。

次期国王にも絡んでくる問題なので、厳密に定められている、

・・・・・・と言う設定です。

もちろん、波乱の展開を期待して決めました(笑)

恋愛も主題の一つなので、盛り上げて行きたいですね。


さて、昔のお話にはなりますが。

実はこの辺り、模索し続けていた桜のイメージが固まった頃です。

きっかけは、片岡様が桜を演じてくださったこと。

気が強くて、泣き虫で、可愛いお姫様でしかなかった桜が、

片岡様の声を聞くうちに変わっていったんですね。

「守られるのは嫌だ。好きな人のために戦いたい」と強く願い、

傷つきながら、姫君にあるまじき無茶をしてしまう子に。

こんな所で取り上げられて不快に思うかもしれませんが・・・・・・

私にとっても、桜にとっても、

非常に重要、かつ嬉しい出逢いになりました。


周囲からいい影響を頂いたキャラクターは他にもいます。

例えば、水瀬や雛菊を挙げます。

水瀬は、声優様のおかげで愛着が深まり、登場率が大幅アップ(笑)

元気娘の雛菊は、更にパワフルになっていきました。

皆様のおかげで、薄っぺらから重厚に成長し続けています。

本当にありがとうございます!