第二章 第三話 白昼夢


”私の声が、聴こえますか?”

鈴が鳴るように繊細で、何処か哀しい響き。









「おい、しつこい男は嫌われるぞ?」


淡い黄白色の、立派な馬に跨った声の主は、

よしよし、と愛しそうにその馬のたてがみを撫でると、

鐙にかけた足を深く踏み込んだ。

そして、少しでも油断すると見失ってしまいそうな速さで

こちらに近付いて来る。



まるで純白の料紙に描かれた絵巻物みたい・・・・・・

私は思わず、ごくんと唾を飲んだ。







「・・・・・・あっ・・・・・・!」

眼前に立ち塞がった馬の大きさと、

”ヒヒィン、ブルル”、そんな大音量の嘶きに圧倒されて、

私は小さく声を漏らした。

そして、落ち着くために深呼吸を二度繰り返してから、

そっと目線を上げて声の主を見る。

「・・・・・・!」

私は目を見張った。



「・・・・・・あ・・・・・・嘘。ど、どうして・・・・・・」

情けないことに、驚きのあまり言葉が出なかった。

ごもごと口篭って口をパクパクさせる姿は、

多分、酸素不足の池の鯉に似ていたと思うわ。

すると、ちらりと私を一瞥した青年は呆れた表情を浮かべて、

小さく、でも私にしっかり聞こえるように溜息をついた。


「お前、威厳も何もあったもんじゃないな。

そんなことより・・・・・・おい、いつまで抱いてんだ。

さっさとそいつから手を放してもらおうか、貴族の若君」

青年は慣れた手付きで手綱を操ると、

ひらりと身を翻して、月毛の馬から飛び降りた。

いかにも重そうな刀を、細い腰に挿しているにもかかわらず、

ストン、と軽やかな音がした。

その拍子に、短めに結ったたぶさが風に靡いて、

きらりと光る。


「夢・・・・・・じゃ、ないわよね。

遥、なの・・・・・・?あなた、本当に遥なのね?!」

「よう。久しぶり。高天原のじゃじゃ馬姫様」

お馴染みのからかい文句も、今は耳に入らない。

だって彼は・・・・・・

五年も前に、仕事で隣国・水穂の国に行ったきり、

兄妹同然に育てられた私に、

一言の連絡すらよこさなかった白状者なのだから。


「それより、お前な」

え?

私の額を指先で弾いて、諭すような口調で遥は続ける。

感動の対面、のはずだったのに・・・・・・

「そんな年にもなって、総領姫の自覚がないのか?

邸からは大分離れているし、逢引には相応しくない場所だ。

冷静に考えれば、もっと安全な場所を選べるだろう」

「あっ・・・・・・逢引なんかじゃないわよ!!」

逆上してすっかり上気した顔で、私は遥を睨みつけた。

端から見たら密会現場に映ってしまうのね。

「・・・・・・まぁ、それもそうか。

こんな暴れん坊が相手じゃ盛り上がらないよなぁ」

「なっ」

少年のように笑う遥に食って掛かろうとしたその時、

私を背中の後ろに押しやって、朝日が立ち塞がった。

「あ・・・・・・あの、朝日?」

「君は確か、水穂の国へ赴任していたはずだろう。

任務を遂行できていない君に、帰国している暇があるのか?

水穂の大君は何と?」

和やかだった空気が一瞬で凍りついた。

あぁ、二人の間に火花が見える。

「その天津の大君から、急ぎの機密書類を預かってな。

ついでに里帰りでもって勧めてくれたんで、

五年ぶりの帰国も悪くないと思って引き受けたんだよ。

職務放棄でも何でもない。どう、納得した?」

相変わらずの口調に耳を寄せながら、

私は、別れ際の遥の姿や言葉を思い返してみた。


”そのうち帰ってくるから。泣かずに待ってろ”

そう言った彼とは、目線が明らかに違う。

声も低くなった。

昔は華奢だったのに、身体付きも逞しくなったみたい。

古い馴染みの私でも、一瞬誰だか分からないくらい・・・・・・





「何だよ、そんなに俺の顔が珍しい?」



「えっ・・・・・・何?何か言った?」

私はハッと我に返って、

無意識に遥の顔を凝視していたことに気付く。

二人の会話を覚えてないのは、多分見惚れていたからで・・・・・・

「ち、違う!違うわよ!」

遥の左頬を思いきり抓り、私は慌てて顔を背けた。

不覚だったわ。でも、雄々しくて物凄く絵になるんだもの。

「ったく、全く成長してないな・・・・・・このじゃじゃ馬は。

若さんも、よくこんな奴に手出す気になるよなぁ。

あんたの好みは俺には分からん」

左頬を摩りながら、遥はわざとらしく溜息をついた。

「なっ・・・・・・何よ、遥の馬鹿!」

口ではそう怒鳴りながらも、顔が綻ぶのを抑えられない。

あぁ、つぼみ梅の着物を着てくれば良かった。

帰国するって知ってたら、帯だってもっと綺麗な刺繍の・・・・・・

な、何を考えてるのよ。

私の馬鹿。別におしゃれする必要ないじゃない!


「大体あなた、いつ帰ってきたの?!」

焦って口調が荒々しくなったけど、

幼馴染だけあって、遥はまったく気にしない様子。

「たった今だよ。見て分かるだろ?」

確かに、よく見ると遥は旅の装いをしていた。

それに、遥が指差した先には荷馬車が行列を作っている。

雪道に足を取られて、少し難儀している風だ。

「疲れて帰国したってのに、ついてない。

真っ先に一番厄介な奴に出くわして・・・・・・あーあ」



それでも、助けてくれたでしょう?

隊列を残して、急いで駆け付けてくれたんでしょう?



「あらそう。そうですか。

でも私、”助けて”なんて一言も頼んでないから」

「はぁ?!相変わらず可愛くねぇな!」

遥のぶっきら棒な物言いに、ふっと笑みが零れた。

別れた五年前に比べて可愛げがないものの、

根はやっぱり優しいままね。



ねぇ、遥。

あなたが高天原を出てからの五年間。


私には、すごく長く感じたわ。

こんな罵り合いですら懐かしく思えるほど。



お帰りなさい。


やっと、帰ってきてくれたのね・・・・・・





「なぁ、宮様は何処にいる?」

「お母様なら、いつも通り。執務室にこもって仕事よ」

「ふーん、何年経っても相変わらずだな」

「君も相変わらず口の利き方がなっていないな。

王族に対して無礼も甚だしい」

いかにも面倒そうな様子で髪を掻き上げる遥の言葉を、

鋭く尖った視線を注ぎながら、朝日が引き取った。

いつも温厚な朝日が、こんなに攻撃的な態度とるなんて・・・・・・

「いいの、怒らないで。遥は昔からこうなの!」

私は咄嗟に二人の間に入ったけど、後の祭りだった。

露骨な朝日の態度が気に触ったのか、

さっきまでご機嫌だった遥も眉を吊り上げている。



「失礼、若君にはご不興を買いましたか?

求婚を拒まれて、どうも気が立っているご様子で。

・・・・・・おっと、これは失言」

け、喧嘩を売ってる。

内容も際どいし、とってつけたような敬語も憎たらしい。

求婚を断った本人としては、複雑な冗談だわ・・・・・・

「止めて。余計な波風立てないで!」

耳打ちして、私は遥の背中を思い切り抓った。

「心配すんなって。俺がお坊ちゃんに負ける訳ないだろ」

「違うの、そう言う話じゃなくて!」

暴力沙汰は、法に照らして厳しく処断されるのよ?!

呆然と立ち尽くしている朝日とは対照的に、

遥はしてやったりと言う様子で、口の端をくくっと持ち上げている。



「貴様っ・・・・・・!!」


「ちょ、ちょっと・・・・・・二人とも止めて!!」

胸倉を掴み上げて、二人は睨み合ったまま動かない。

「お母様や宰相に知られたら困るでしょ?!」

普段静かな人が爆発すると歯止めが利かないって本当ね。

私はそんなことを考えながら、

素早く振り上げられた朝日の腕にしがみ付く。

「止めて下さいますな、姫・・・・・・!!」

男の子ってどうしてこうなの?

闘志をむき出しにして、宥めるこっちの身にもなって。


「もうっ、喧嘩はご法度なんだか・・・・・・」









(さ、くら・・・・・・ひめ・・・・・・)




え?







「どちらか・・・・・・今、私の名前を呼んだ?」



声が聴こえた。

空耳なんかじゃないわ。


二人に向けて尋ねながら、私には確信があった。

あれは、朝日でも遥でもない誰か。

幼くて、柔らかい・・・・・・少女の声をしていた。




「いいえ、私達は何も・・・・・・一体どうなさいました?」

私の急変で、図らずも喧嘩は中断された。

それでも、今はそんなことを考える余裕はなかった。






(私の声が、聴こえますか?)



あの声はまだ続いている。

鈴が鳴るように繊細で、何処か哀しい響き。





「ほら・・・・・・またよ!また声が!!」

背筋に緊張が走る。

聞こえると言うよりは、頭の中に振動する感じだわ。

その振動が、頭に響いて痛い・・・・・・




「あ、たまが・・・・・・頭が、割れる・・・・・・!」

こめかみを押さえてそう叫ぶと、視界がぐにゃりと歪んでいった。

慌てて両目を擦ると、今度は両足が平衡感覚を失って、

私は思わず雪の上に膝を付いた。

「おい、顔色悪いぞ!桜、大丈夫か?!」

そう言いながら、遥が私の肩を掴んで前後に揺さぶる。

逆に朝日は冷静で、

「遥、落ち着け。様子がおかしい」

周囲のただならぬ空気を感じて、ごくりと息を呑んだ。

「阿呆か!そんなもん、見れば分かるだろ?!」

「そうじゃない。君は気付かないのか?

異様なのは桜姫だけじゃない。邸の上を見るんだ」

朝日の細く長い指先は、一点を示す。

激痛に耐えられずに細めた瞳で、邸上の空を仰ぎ、

私は遥と一緒に肝が縮む思いを味わった。

「何だ・・・・・・あれ?!」



見上げた邸の上空は薄暗く、

濃い紫色の鱗雲が一面に立ち込めていた。

それはパリパリと電気を帯びて、奇妙な光を放っている。

何より私達を驚かせたのは、

その光景が邸付近の空にだけ広がっていることだった。

まるで、定規で線でも引いたかのように・・・・・・



「高天原って、いつもこんな異常気象だったか?」

「くだらない冗談を言ってる場合か」

苛立たしげに頭を抱えた後、

仕切り直して、朝日は私を軽々と抱き上げた。

「一旦戻ろう。宮様の安否が気掛かりだ。

それに、廟に占い師の唯月様がいらっしゃるはずだ。

あの御方なら何かご存知かもしれない!」

異様な空と小刻みに震える私の体を交互に見て、遥も頷いた。

「桜を抱いて俺の馬に乗れ。早い方がいいだろう」





「わたし、どうして・・・・・・」

自分に何が起こったのか、状況が理解できない。


遥の声が遠く掠れて、

見上げた景色が、白く、霞んでいく。





足手纏いになって、

心配ばかりかけてごめんなさい。


そればかりを頭の中で繰り返した。










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【あとがき】


第三話をご覧の皆様、こんばんわ。


この三話では、ついに遥が登場しました。

昔から言い続けている事で、聞き飽きたかもしれませんが、

私が勝手に考えている遥のイメージは、日本武尊です。

(日本武尊ファンの皆様、すみません)

猛々しく、武勇に秀でた英雄として人の心を捉えて離さない反面、

実は純粋一途で、それ故危うくもあって・・・・・・

上手く言えませんが、それが私の抱く彼の姿なのです。

ちなみに、『古事記』の方が『日本書紀』より断然好みですね。

人間味や悲劇性が強い方が読み物として面白いと思うので。

・・・・・・話が逸れましたが。

そんな格好良すぎるモチーフがある彼を、

より強く、より魅力的に書けるようになるのが目下の課題です。

今のままでは近所の兄ちゃんと言う感じなので(笑)



昔の私は妄想が酷く、相当色々なことを考えました。

本編では収拾が付かなくなる事態を避けて書かなかったようですが、

朝日がキスを求めて、桜が拒んだら?

拒まれた朝日が、悲しげな表情で桜の掌にキスをしたら?

桜を助けた時、遥が息を切らしていたら良くない?

・・・・・・とか、若干変態っぽいですね(笑)

あと、web拍手で、遥と朝日の禁断の恋の話をしてくださった方も、

ちらほら(少数じゃないのです!)いらっしゃいましたね。

「そ、そう来たか!」と思わず笑ってしまいました。



あと、注釈なのですが。

作中に書いた”つぼみ梅”は、簡単に言うと重ね着の色のことです。

表が紅梅(赤)で、裏が濃蘇芳(ピンク)の色目をそう呼びます。

お祝い時に着られたようなので、書いてみました。

どうでもいい話ですが、私が一番好きな襲色目は雪の下。

白とピンクの色合いが可愛いのです♪

興味がありましたら、詳しくはwebで(笑)