第二章 第二話 花の行方


何も知らずにいたかった。無邪気なままで、いたかった。

でもそれは、許されない痛み。









”唯一生まれた跡継ぎだから”

私達は、そんな陳腐な言葉だけが繋ぐ仮初の親子。

そんなことは昔から分かっていたの。


お母様に愛されたい一身で、

王族としての責任や義務にひたすら耐えて、

理想の娘になれるように、ずっと苦しい努力をしてきた。

心を病んで、笑顔すら忘れてしまう程に。

でも結局、お母様にとっての私は政の道具でしかなくて・・・・・・

抱きしめられた記憶もなければ、

目を見て話を聞いてもらったことすらない。

だから、

今更、寂しくなった訳じゃない。




でも、本当は・・・・・・

ほんの少しだけ期待していたわ。

いつか、優しい言葉をかけてくれるんじゃないかって。




胸が、痛い。

国のためなら、娘さえ簡単に捨ててしまうのね?

私のことなんて愛してくれないのね・・・・・・?







「はぁっ・・・・・・っ・・・・・・」

大理石で造られた渡り廊下を疾走して、

邸の東側に位置する門を潜ったところで、私は立ち止まった。

本当はそのまま何処かへ行ってしまいたかったけれど、

足が縺れて、もう言うことを聞かなかった。


でも、まだ戻りたくない。

そんなことを考えながら鉛色の空を仰ぐと、

まるで綿のように柔く大きな雪が、ゆっくりと落ちてきた。

そして、まだ街人や隊商に踏み荒らされていない白銀の地面を、

更にすっぽりと覆っていく。

「どうりで冷えると思った。また、雪が・・・・・・」

凍える空気に肌を刺されて、私は思わず肩をすくめた。





この国は、雪解けを知らない。

極寒の冬以外は四季と言うものが存在せず、

およそ五百年前に降り始めた雪が、今も降り続いている。

学者達が原因を解明しようと躍起になっているけれど、

糸口すら掴めていないのが現状。

それでも、

私を含めた国民の生活は安定している。

土地の守護神である竜神様のご加護のおかげで、

作物は雪の隙間からでも芽を出すし、凍らない井戸もある。

豪雪と生きることに、もう慣れてしまった。



でも・・・・・・

飽きるほど毎日見ている雪なのに、

こんな日は、堪らなく侘しい気持ちにさせる。



「・・・・・・寒い・・・・・・」

雪は、何を拠り所に生きるの?

色もない、音もない、温もりだって知らない。

来た場所もなければ、縋って帰る場所もない。

まるで今の私みたいに、独りきりで・・・・・・



寂しくは、ないの?




私は・・・・・・とても、寂しいわ。










「桜姫!!」




「え?!・・・・・・い、やっ・・・・・・!!」

突然誰かに片袖を掴まれて、私は後ろに飛び退った。

昔に比べて治安が回復したとは言え、

暴漢に襲われる可能性だって、まだ十分あり得る。

でも、咄嗟の構えも無駄に終わった。



「・・・・・・お、驚かさないでよ・・・・・・」

立っていたのは、見慣れた金髪の長身痩躯だったのだから。

よく確認もせず怯えてしまった自分と、

紛らわしい真似をした朝日に無性に腹が立って、

私は朝日をじろりと睨み付ける。

「あなた、何をしに来たの?こんな所まで」

「まぁ、そう怒らないで。

しかし・・・・・・桜姫、あなたは足が速いのですね・・・・・・!」

朝日の言葉は掠れてよく聞き取れなかった。

彼の呼吸は異様に荒く、どうやらそれを整えようと必死みたい。

「文官が無理して慣れないことするからよ」

「仰る通りです。

少しは体を鍛えなければいけませんね・・・・・・」

朝日は照れたように深呼吸をしてから、

自分の若草色の肩掛けを、私にそっと掛けてくれた。

肩から、じわりと温もりが広がっていく。

「でも、慣れないことをして良かった。どうぞ、掛けていて」

「・・・・・・やめて、朝日・・・・・・」


私になんか優しくしないで。

好きにならないで。

お願いだから、私を嫌って、突き放して。


「今、何かおっしゃいました・・・・・・?

それより、とりあえずお邸に戻りませんか。

そんな薄着で雪の中にいたら体が冷えてしまいます。ね?

さぁ、桜姫。お手をどうぞ」








「触らないで!!」




―― バシッ

冷気で悴んでいたせいか、

渾身の力を込めて払い除けた朝日の白い手は、

見る見るうちに腫れて赤みを帯びていった。





「姫・・・・・・?」

「お母様の手下のくせに・・・・・・

よくも図々しく、私の前に顔を出せたものね?

でも、お生憎さま。

どんなに親切にしたって、私は絆されたりしないわよ!」

私が刺々しい態度でそう怒鳴ると、

それまで呆然としていた朝日が、悲しげに眉根を寄せた。

その瞳を直視できなくて、私は視線を泳がせていたけど、

胸の痛みはだんだん強くなってくる。

「宮の手下って、私がですか・・・・・・?」

「結婚のこと、あなたは知っていたんでしょう?

お母様が次の国主にあなたを指名することも、全部!!

国主の妻として子供を産むことに専念しろですって?

何なのよ、今更冗談じゃないわよ!

十六年間私がしてきた努力は全て水の泡よ?!」

「姫ッ・・・・・・それは誤解です!

確かに、婚礼については事前に宮から打診がありました。

それをあなたに黙っていたことは謝罪します。

ですが、次期国主については、私は何も伺っていま」

「信用できないわ!!」

私は反論しようとした朝日の言葉を遮って、

肩の上にあった若草色の肩掛けを、胸元に突っ返した。

「何よ、二人して結婚だの何だのって・・・・・・・

お母様と一緒になって企んで、卑怯よ!恥知らず!!」

息継ぎを忘れるほどの勢いで罵声を浴びせて、

私は朝日に背を向けた。

怒り心頭で、私はあなたの顔も見たくない。

必死でそんな振りをしていたけど・・・・・・

本当は、辛くて、もう向き合っていられなかったから。







酷いことを言ってごめんなさい。


あなたは何も悪くない。

私は、私のために汚い嘘を吐き、

粗暴な言葉であなたを傷付けたの。





私は、何が何でも国主になりたい訳じゃなかった。

むしろ、朝日の方がずっと適任だと思っていたくらいよ。

他人のために自分を犠牲に出来る優しい人だから、

きっと臣民から愛される、立派な統治者になれるはずだわ。

だから、

国を本当に想うなら、慣例に従うべきでしょうね。

朝日を隣で支えて、立派な跡継ぎを産んで、

末永く国を守って・・・・・・



でも、私、怖いの。

国の誰が愛しても、私だけは朝日を愛せない。

偽りの結婚をして、「幸せになる」なんて神前で誓えるほど、

器用にも傲慢にも、私はなれない。

子供っぽいって笑うかしら?

無責任って叱るかしら?

でも嫌なの。

軽はずみにあなたを受け入れてしまえば、

今よりももっと、朝日を傷付けてしまう。傷付け続けてしまう。

それに、私は・・・・・・








「え・・・・・・?」

一瞬、視界が真っ白になった。




瞬きを二度三度繰り返す頃、

やっと、朝日の腕が私を抱いていることに気付いた。




「あさ、ひ・・・・・・?」

着物に焚き染められた朝日の香が鼻先を擽って、

その瞬間、たまらなく恥ずかしくなった。

頬が紅潮して、今にも火を噴きそう。

「・・・・・・ちょ・・・・・・な、何するの、叩くわよ?!」

私はしどろもどろ文句を言いながら、

朝日の体を引き剥がそうと、必死でもがいた。

それなのに、腕どころか指先すらぴくりとも動かない。

「いやっ・・・・・・」

まったく不思議だわ。

あの細腕の何処にこんな力があったの。

「姫は、私のことがお嫌いですか・・・・・・?」

「・・・・・・っ」

朝日の酷く切ない表情に、思わず私は息を飲んだ。

政の道具として育てられた私は、

実の母親にさえ、こんなに想われたことはなかったから。

「別に、嫌いなんて・・・・・・」

「それなら、どうか私の元へ来てほしい。

姫が政略結婚を嫌うなら、私は今すぐにでも官位を捨てましょう。

次期国主の座よりも、私はあなたを・・・・・・」

「そ、そんなの・・・・・・無理よ。

だって、私は朝日のことを愛していないもの」

「流石に傷付きますね・・・・・・

あなたのそのはっきりした性格は美徳ですけどね」

普段通りの柔らかい物言いを必死で保っているのが、

痛いほど伝わってきた。

配慮のない返事をした自責の念が、心を占める。

「あの・・・・・・ごめん、なさい」

「でも、桜姫。私はそれでも構わない。

何年、いや何十年先でもいい。

姫が私を・・・・・・いつか、伴侶として愛してくれるのなら」





とても、優しい人。


でもだからこそ、拒まなければならない。

あなたを裏切ることなんて出来ない。




私は、本当に駄目なの。


だって・・・・・・

朝日の腕の中にいる今でさえ、

脳裏を過ぎるのは、あなたじゃないの。






「手を、離して。

お邸に帰る。お母様と、もう一度話すんだから・・・・・・」

体を引き剥がす指に力を込めると、

朝日は少し、苦痛な表情を浮かべた。そして、

「宮は一度決めたことは覆しません。

これ以上、宮と争って姫に傷付いてほしくないんです。

聞き分けてください。お願いだから」

静かな声音でそう言った。

「傷?傷なんか、とっくに・・・・・・」

私は、これ以上ないくらい傷付いてるわ。

今更ほんの少し増えたからってどうだって言うの?

「もうっ・・・・・・いい加減に手を離し」



.









「おい、しつこい男は嫌われるぞ?」





朝日の肌に爪を立てた瞬間、

馬の蹄の音と共に、その声は響いた。

そして、深雪が覆う木々に木霊して、何重にも伸びていく。





「え・・・・・・?」

今の今まで朝日と揉み合っていた私には、

突然のこと過ぎて、何が何だか状況が理解できなかった。

すると、

「なっ・・・・・・君が、何故ここに?!」

私よりも一足先に声の主を捉えたらしい朝日が、

ひどく驚いた様子で声を張り上げた。

「朝日、どうしたの?ねぇ、今の声は・・・・・・」

視界を覆う彼の体をやっとの思いで押しやって、

私はヒョイと顔を出す。

そして、瞳を百八十度左右に滑らせると、

白に包まれた視界の端に、小さな人影が映った。






――ドクンッ

心臓が、言葉よりも一足先に飛び跳ねた。







「・・・・・・あ・・・・・・っ・・・・・・!!」










>ページを捲る






◆◆◇--◆◆◇--◆◆◇--◆◆◇--◆◆◇--◆◆◇--◆◆◇--◆◆◇




【あとがき】


今回は、幻の第二話について話したいと思います(笑)


この第二話は、元々は存在していませんでした。

リニューアル前の第一話があまりに悲惨な出来だったため、

大幅な加筆修正を行ったことは前述の通りです。

そのため、収まりきらなくなった部分を仕方なく分割したのですが、

今となっては結果オーライだと思います。

凝縮しすぎて、かなり急展開になってしまっていた、

朝日のお迎え→桜をぎゅっ(はぁと)までの一連の流れを、

ゆっくり丁寧に描写することが出来たからです。

雪夜には原案(と呼べるかは怪しい)があるのですが、

朝日の求婚のシーン、「どうか私の元へ来てほしい」の辺りは、

その頃から構想を練っていた、お気に入りのエピソードの一つなのです。

今回はきっちり書けたので、個人的には満足満足です♪

自分で言うのもなんですが・・・・・・

あの台詞、直球ストレートでいいですよね!

一度は言われてみたいですよね!

あれ、おかしいな。気持ち悪いですか?(笑)



・・・・・・さて、話を戻して。



たっぷり時間を費やして修正した第一話・二話で、

実はこっそり、物語の根幹に関わる設定変更をしました。

リニューアルにあたり、某主要キャラクターの心理を分析し直しまして、

それに合わせて所々書き換えています。

我ながら卑怯な手を使ったものですね、すみません。すみません。

ただ、それで物語に深みが出ることは必死なので、

どうぞ楽しみにしていてください。