第二章 第一話 蕾


心だけは、守ってみせるわ。

たった一つ、あなたと交わした約束だから。









始まりは、神話と現実の狭間。

およそ五百年前のこと。


その年は、春を過ぎてもとうとう夏が来ず、

満開の淡い花弁は、突然、冷たい雪に姿を変えた。

逆さに巡り始めた季節は、極寒の冬で歩みを止め、

世界は一面の白銀と化した。



そして、

今もなお、雪は深々と降り続く。

まるで誰かの、哀しい涙のように・・・・・・














―― ン、カラン、カラン・・・・・・

鐘の音が単調な拍子で三度鳴り響くと、

それまではシンと静まり返っていた狭い室内が、

歓声とともに、一斉に普段の賑やかさを取り戻していった。




「また来週ね、姫様!」

「さようなら!」

授業を終えた子供達が口々に別れの挨拶をして、

勢いよく教室を飛び出していく。

その様子を見送りながら、私は静かに手を振った。

「寄り道しないで気を付けて帰るのよ」

「んなこと分かってるって!

姫様こそ、先生なんだから次の授業は遅刻すんなよな。

まったく、姫様のくせにだらしねぇの!」

大半の生徒が行儀よく校舎を後にする中、

一際元気な坊主頭が、不敵にへへっと笑ってそう言った。

面食らった私は、思わず声を張り上げる。

「ち、遅刻?!違うったら。私が今日遅れたのはっ」

公務が長引いたからで・・・・・・

そう反論したい、子供っぽい衝動を私は何とか抑えた。

そして、反撃の方法を少し考えてから、

「はいはい、来週は時間通りに来るわよ。だから、

そう言うあなたも、次こそうっかり宿題を忘れないようにね?」

教育者口調で諭してにっこり笑ってみせると、

少年はちぇっと唇を尖らせて走って行った。

私は少し吹き出して、心の中で「よし」と拳を掲げる。

すると背後から、

「桜姫様、生徒のご無礼をお許しくださいね」

白髪交じりの長い髪をすっきりと結い上げた、

小柄で品のいい老婆が、深く、ゆっくりと頭を下げた。

「え?」

「国主の唯一のご息女であるあなたが、

教材もろくにないこの私塾に毎週通ってくださるばかりか、

ご公務の合間に講義までしてくださっているのに・・・・・・」

「いいえ、構いません。塾長さん。

子供達が馴染んでくれた証拠だし、楽しんでるんですよ。

それに・・・・・・」

私が呟くと、塾長は「何?」と聞きたそうに首を傾げた。

「私、働けるのが嬉しいんです。

王族の姫だからって昔から英才教育を受けてきたのに、

お母様の意向で、何故か私は政に一切携わらせてもらえない。

邸中で私だけが役立たずで、ずっと悔しかったの」

「まぁ、そんなご謙遜なさって。

姫様は次代の国主におなりですもの。

今のうちくらい、気にせずのんびりなされば宜しいのよ」

次代の国主、ね。

臣民は皆、そう思って疑わない。だけど・・・・・・

「私は、お母様に疎まれているから」





国が成立して約五百年が過ぎた。

これまで土地を治めてきた領主一族は、新しく王族を名乗り、

幾度も代替わりしながら国の基盤を築いていった。


ただ、国が繁栄して大きくなるにつれ、

野心家で、好戦的な王族が現れるようになった。

その最たる人物として歴史に名高いのが、十一代目の国主。

強欲な彼は、国土の拡張を望んで侵略を繰り返し、

国の資源を使い果たしてしまった。

戦で疲弊していた国民に、重税と飢餓が追い討ちをかけ、

一時は、国の存続も危うくなったほど・・・・・・


そんな国を再興させたのが、私の母。

”涼風の宮”と呼ばれる、第十二代目の国主だった。

お母様は『戦と独裁の廃止』を謳って後を継ぎ、

その言葉通り、まず専制君主制を廃止した。

代わりに官僚制を採用し、

国政を官吏が支える、近代的な政治形態を築き上げた。

次いで、高天原に法を整備し、規範として国中で機能させるようにした。

外交においても、隣国の水穂と同盟を結び、安定した体制を整えた。

復興した国は、お母様の手腕でかつてない繁栄を迎え、

そのため、民から絶大な支持を誇っている。


だけど・・・・・・


私はお母様が苦手で、お母様も私を疎ましく思っている。

国のためならどんな犠牲も厭わない非情な姿勢に、

私が真っ向から反発するから。

その証拠にお母様は、

次期国主になるはずの私を、故意に政から遠ざけている。

大事な会議に私を同席させたことはないし、

官僚とも、あまり話をしないように仕向けている。

ねぇ、お母様。

私はこれからどうしたらいいの・・・・・・?





「あ・・・・・・そう言えば、姫様」

唐突にそう切り出した塾長は、

少し頬を赤らめて、丁寧にお辞儀をして言った。

「この度は、ご婚約おめでとうございます!

僭越ながら、国民を代表してお祝い申し上げます」

「え?」

ご婚約?お祝い?

鳩が豆鉄砲を、なんて表現が今の私にはぴったりなはず。

聞き慣れない単語に、私はきょとんとして首を傾げた。

「婚約って・・・・・・あの、誰のですか?」

私がぱちぱちと瞬きを繰り返すと、

塾長は嬉しそうに目を細めて、私の肩をトンと一押し。

そして、

「まぁ、隠すなんて水臭いではありませんか。

姫様は国の宝ですものね。

婚礼のお式は、国を挙げての盛大なものになるだろうと、

今朝から街はその話題で持ち切りですのよ」

うっとりした様子の塾長の瞳は、今にも蕩けてしまいそう。

この様子だと、冗談を言っている訳ではないようね。

当の私は何も知らないのに、どうして・・・・・・?

「姫様のお相手が朝日様だけあって、

街中の若い娘さんは意気消沈しているようですけど」

「あ、朝日?!」

私は思わず自分の耳を疑った。

「本当にお世継ぎが楽しみでございますね。

きっと聡明で、容姿も麗しく・・・・・・あ、あの、姫様?!」

語尾に音符をつけたまま、塾長は話し続けたけれど、

のんびり付き合っている場合じゃない。

私は門へ向かって全速力で駆け出した。





どうして、突然そんなことになるの?

私は何も聞いていない。



お母様、どうして・・・・・・!!













「お願いだから話を聞いてよ!

私にだって心があるわ、”物”ではないのよ?!」

大急ぎで自分の邸に戻った私は、

お母様が一日の大半を過ごす執務室へ飛び込んだ。

いつの間にか扉を蹴破るほど勢いがついていたらしく、

自分でも少し驚いてしまった。

それなのにお母様は、

「桜、私をあまり困らせるな。

午後の謁見までに、この資料に目を通したいのだ」

私の決死の反論に小さく溜息をついただけで、

何事もなかったように、手元の書類の束に視線を落とした。

長く艶やかな黒髪がサラリと一束机上に垂れた以外は、

まるで人形みたいにピクリとも動かない。

「ええ、話が済めばすぐにでも!」

お母様との口論はほぼ日課のようなもので、

大抵、最後は私の方が根負けして席を立ってしまう。

でも今日は・・・・・・今日だけは、私から折れる訳にいかない。

私はそう意気込んで、更に身を乗り出す。

「お母さ」

「王族たるもの、微々たることで揺らいではならぬ。

齢十六にもなって赤子のように喚いて、見っとも無い娘だ」

お母様が独特の重低音で強制的に会話を終了させると、

殺風景な室内に、重苦しい時間が流れ始めた。

あぁ、またいつも通りの展開だわ。

「・・・・・・だからって、あんまりよ。

黙って結婚の話を進めるなんて酷すぎるでしょう?」

「それが、我々王族の責務だ。

賢いそなたならば理解できよう?何故そう聞き分けぬ」

私が拗ねて黙ると、母は苛立ち混じりの溜息をつく。

そうよ。

そうよね、お母様は間違っていない。

私達王族は、貴族から婿か嫁を取るのが慣例だから。

子供の頃から毎日聞かされてきたもの。当然知ってるわ。

「でも、納得なんて出来ない!!

慣例を守るより、万人が幸せになる方法を探したいの」

”王族の姫君の我侭”

国民も家臣も、皆そう思うでしょうね。

だけど、私・・・・・・

「呆れた。昔のそなたは、賢く物分りが良かったものを」

お母様の瞳は、お前には失望したと言いたげで、

直視するには痛すぎた。

堪らず、私が視線を逸らすと、



―― コンコン

重たすぎる沈黙を破って、

小さく二度、戸口を叩く音がした。振り返ると、



「ご機嫌麗しゅう、涼風の宮様」

丁寧すぎるほど静かに開かれた扉の先で、

見事な金髪の青年が、柔和な笑みを浮かべていた。

会釈した背筋は伸びきって、育ちの良さを物語っている。

「朝日か。よく来たな」

「はい。

おや、桜姫もいらしたのですか?

宮の執務室には珍しいご来客ですね。何か御用でも?」

ピンと張り詰めた空気を解すように、

私とお母様の顔を交互に見て、朝日は目を細めた。

「別に。朝日こそ、最近うちに通い詰めじゃない」

「水路の増幅の件で、宮の指示を賜りにね」

お母様は都の中央に位置するこの自宅で、

国中を四方に見渡しながら、諸々の政務をこなしている。

そのため、官僚達は謁見を求めて足繁く邸に通ってくる。

国内でも屈指の名門貴族の若君で、

若手官僚の中では一番の出世頭と評判になっている朝日も、

そのうちの一人。

「・・・・・・それよりも、桜姫?

顔色が優れないようですが、いかがなさいました?」

一瞬呆けていた私がハッと我に返ると、

不安そうな朝日が、私の顔を浅く覗き込んでいる。

「別に。構わないで」

「・・・・・・そう、ですか。それならいいのですが」

私が棘のある物言いで言葉を発する度に、

華やかな朝日の表情が、少しずつ曇っていくのが分かった。

でも、今はあなたと話す気分じゃないわ。

「何、構うことはない。

婚礼の報せを聞いて不貞腐れているだけだ」

「・・・・・・婚礼の・・・・・・?

では宮様、本当に姫を私に下さるのですか?!」

一瞬考え込んだかと思うと、

眩しいほどに綺麗な表情が一気に晴れやかになった。

それとは裏腹に、私は奈落の底へ落ちていく気分。

「二言はない。

良き日を占わせ、早々に仮祝言を挙げるように」

私の言葉を遮って、お母様の口から楔が打ち込まれた。

「仮祝言ですって?!冗談じゃない!」

「それから、桜。

十三代目の国主・・・・・・私の跡継ぎには、朝日を推挙するつもりだ。

婚礼後、そなたは朝日を補佐し、次の国主を産」

「ちょ・・・・・・待って、一体何の話?!」

私が咄嗟に声を荒げると、

まるで軽蔑するように一瞥して、お母様は続けた。

「次期国主はそなたには重責であろう?

その証拠に、街の私塾の生徒程度にも手を焼いている。

国主の妻となり、優秀な跡継ぎを産むことのみ考えよ」

「そんな大事なことを勝手に決めたの?!」

「そなたは母の言葉が聞けぬか。

これ以上の反論は許さぬ!桜、良いな?!」

お母様は強い口調で言い放ち、

立ち尽くす私をちらりとも見ずに窓の外を仰いだ。




”国主にはなれない”

”望まない結婚をして世継ぎを産む”

書き出してみれば、たった二行。

人生は、こんなにも呆気なく決まってしまうものなの?





ねぇ、お母様・・・・・・?

私はずっと、お母様に愛されようと必死だったわ。

ほんの一瞬でも微笑みかけてもらえるならと、

どんなに苦しい努力も惜しまなかった。


だけど、

今もあなたは冷酷なまま。

結局、何も変わらなかった。

変えられなかった。






「・・・・・・っ・・・・・・全然良くないわ。

私の心は私だけのものよ!絶対に諦めないから!!」

「さ、桜姫・・・・・・!!」





―― バタンッ

扉を勢いよく開き、裾を捲し上げて私は駆け出した。

お母様の視線が、声が、圧力が届く所から、

一刻も早く逃げ出したかった。



何処でもいいから、遠くへ。

遠くへ。









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【あとがき】


この回は、書き直しの回数が過去最多でした。

リニューアル前は、正直言って見るに耐えなかったのです。

出来ることなら、流れを全て変えてしまいたい程に。

とは言え、ドラマ化している箇所なので大幅な変更も出来ず・・・・・・

悶々としながら、何度も何度も何度も(エンドレスリピート)



まず、足りない部分が多すぎました。

「神話時代とは異なる、五百年後の世界です」と言いつつも、

何を考えたのか、その世界の説明が全くなかったのです。衝撃です。

涼風の宮に至るまでの歴史、制度や国勢などを、

まったく考えていなかったのでしょうね、当時の私は。

お話を楽しむ上で必要不可欠な情報ではないかもしれませんが、

世界観の違いはきちんと述べておくべきと思い追記しました。

ただ、それがどうも上手く纏まらず。

公開した今になっても、疑問はそっくりそのまま残っています。

歴史文学よろしく、お話を小難しくするのは本位でないし、

何処まで書けば程好いのか。うーん。



更に、展開が唐突過ぎました。

「あんた誰?」「突然何なんですか」「変態ですか」みたいな(苦笑)

何故あんなに雑な進め方をしたの、と怒鳴ってやりたい。

短く纏めようとしすぎて、色々崩壊していたので、

挽回するべく大幅に加筆修正しました。

うーん、どうでしょう。

少しはマシになったでしょうか?



さて。

暗い話が続いたので、テンションを上げて・・・・・・

この回から、作者お気に入りの涼風の宮が登場しています。

文章で見る古風な言い回しが、渋くてとても好きなのです。

そんな訳で、ついつい贔屓しがちです(笑)

今後・・・・・・主に四章くらいから重要になってくる役なので、

作者権限を駆使して沢山喋らせていきたいです♪