第一章 第六話 花舞


だって、気付いてしまったの。

眩い真昼は模造品。本物なんかじゃ、なかったの。









”あなたの分まで生きる”

そんなものは、ただの偽善に過ぎない。


命を懸けて愛したなら、

失くした瞬間に、全て終わってしまうのだから。


だから私は、

そんな綺麗事は言わない。







「すぐに戻る、お前はここで待て」

「え?」

要点、だけ?

睨みをきかせた竜神様はひどく乱暴に言い放ち、

バサリと長い髪を振り乱して、さっさと私に背を向けた。

背中に緊張を背負っているのが分かる。

どうしてこんなに警戒するの?

「侍女どもにお前の部屋をあつらえさせてくる。

くそ面倒くせぇ、人間共に厄介な荷物を押し付けられたもんだ」

「私の部屋・・・・・・あっ・・・・・・あの、待って、竜神様!」

大股で一歩、また一歩と音を立てて去っていく背中に、

私は必死で言葉を投げる。

「あぁ?何だ、小娘・・・・・・無駄口ばかり叩」

「私の名前はささらと言うの。あなたの名も教えて?」

「何?何だと?」

ぎょっとした様子の竜神様を他所に、私は続ける。

「何って・・・・・・名前を知りたいだけよ、あなたの。

それとも、竜神様にはお名前がないのですか?

一生こちらでお世話になるのに、”竜神様”では不便ですね」

「・・・・・・焔。それが俺の名だ」

観念したのか、気だるそうに唸ってから竜神様は口を開いた。

それを聞いて、私は胸を撫で下ろした。

この人はきっと気難しいだけで、非道な人じゃない。



「・・・・・・あの、教えてくれてありがとう!

あなたは、焔と言うのね?これからどうぞよろしく」

私は首が疲れるほど顔を上げて、爪先立ちで手を伸ばした。

神様らしく、人並み外れた体格の彼に合わせて。

すると、




―― バシッ


握手を求めて差し出した手は勢いよく弾き飛ばされて、

全身に電気に似た感覚が走った。



「気安く俺に触れるな!!」

え?




「・・・・・・焔、どうしたの?」

自分の置かれた状況が読み込めない。

ひたすら瞬きを繰り返す私に、焔は刺々しく語調を強めた。

「いいか、自分が生贄だってことを忘れるな?!

ほんの一瞬でも不審な真似をしてみろ、その時は容赦なく・・・・・・」



あぁ、分かった。


あなたは、信じるのが怖いのね?



「容赦なく、何ですか?

その鋭い爪で体を裂いて、私を殺しますか?」

声を荒げて、息継ぎも忘れて、頑として目を逸らしたまま、

まるで威嚇してるみたい。



「あなたはまるで、傷ついた獣のよう。

恐ろしいことなど在りはしないのに、一体何に脅えているの?」

「人間の分際で、生意気な・・・・・・この俺が獣だと?!」

「ええ、そうよ。

だけど、信じてほしいの。私はあなたを裏切らない。

村人の罪を償いながら、あなたの側で生きると決めたから」

「・・・・・・なんて顔をしてやがる、胸くそ悪ぃな」

「え?」

チッと舌打ちをして、焔は私の肩を抑えた。

屈強な指先に込められた力に、私は目を細める。

「い、痛い・・・・・・」

「まさか自分でも気付いていないのか?

ますます愚かな女だ。

お前のそれは・・・・・・その目は、人を憎む目だろうが。

静かな声で、平気な顔で、俺にも自分にも嘘を付いて、

そんな奴をどうして信じられるって言うんだ?」

人を、憎む目・・・・・・?

「憎む?私が?」

「いいか、憎しみに身を委ねるな。

信じてほしいなら、お前は決して穢れるんじゃねぇ!!」

それを聞いて、目頭が一気に熱くなった。

「言葉の意味が、よく・・・・・・分からないわ?」

「しらばっくれるな!

それなら何故俺の目を見ようとしない?!認めろよ!!」





この気持ちは、何?


生きようって。

幸せになろうって決めたのに。

その裏側で、暗くて重い何かが蠢いて消えない。





「・・・・・・わ、私・・・・・・分からない。

この気持ちが何なのか。本当に分からないの。

だって、変なの。誰も恨みたくないのに・・・・・・」




大切な人達が、大切な人を奪った。



責めることも、許すことも出来ない。

哀しくて、もどかしくて、悔しくて、悔しくて・・・・・・

胸が張り裂けそう。




ねぇ、どうして?


どうして、殺したの・・・・・・?




「村の皆は、私達に優しかったわ。

17年間ずっと、私達を愛して、ここまで育ててくれたのよ。

血の繋がりなんかなくても、私にとっては大切な家族だったの。

それなのに、こんな終わりは酷すぎる・・・・・・

酷すぎる・・・・・・でしょう・・・・・・?」

瑞貴の顔が、声が、熱が、一時も頭から離れない。

誰よりも、生きていてほしかったのに。

「愛していたの。心から。だから・・・・・・

大切だから・・・・・・許せないけど、憎めないのよ・・・・・・!!」





何度繰り返しても戻らないけれど・・・・・・


ごめんなさい。



守れなかった。

止められなかった。




「・・・・・・もう泣くな、ささら」

「私のせいよ。私が皆を巻き込んだの。

私があの時、瑞貴を、村人達を止めていれば・・・・・・

誰かが死ぬことも、誰かを殺すこともなかったのよ!!

こんな想いを知らずにすんだのよ!!

・・・・・・ごめんなさい、ごめんなさいっ・・・・・・!!」

涸れたはずの涙が、堰を切ったように溢れ出した。





長い長い人生の中で、

たった一瞬だけ、心を通い合わせてくれた人。

心は今も、そっと寄り添ったまま・・・・・・

触れた温もりもそのままで。



なのに。


愛していたのに、

たった一つ確かな想いを伝えることも出来ずに、

夕闇に葬られて、もう二度と戻らない。




知らなかった。

いいえ、知りたくなかった。

だから私、目を伏せていたの。


運命はいつだって、残酷なのね。

そんな世界で、私は何を信じていけばいいの?



お願い。

誰か、助けて。

苦しくて、仕方がないの。



「ごめん、なさい・・・・・・」














それでも、季節は足早に駆けていった。

あの日負った傷が癒えることも、抉られることもなく、

ただただ悠々と。

そうして、幼かった私が村を離れて、

どのくらいの年月を経たかも分からなくなった、ある時。



「焔の目に、なりたい・・・・・・」

呟いた後、我に返った私はハッとした。

半ば強引に膝の上に寝かされて苛立っていた焔は、

私の小さな一言も聞き逃さない。

「はぁ?」

「あ、ごめんなさい。聞こえた?」

「聞こえた。

突拍子もなく何だ。お前はいつも理解に苦しむ」

「ふふ。だって、ほら・・・・・・

焔のその金色の瞳は、焔と同じ景色を見ているでしょう?

こんなに側にいても、私は共有することが出来ないんだもの」

「何だ、そのいつも以上に不気味な理屈は」

「不気味なんて酷い。

私の目が映すのは焔だけなのよ。もう見飽きちゃった」

「・・・・・・ふ、ん」

冗談めかして言ったその一言に反論もせず、

焔は勢いよく起き上がった。

「あの、怒った?見飽きたなんて冗談よ?」

「目を瞑れ」

「え?」

突然、おかしな指示が飛ぶ。

「え、じゃない!おら、黙って瞑れ!!」

訳が分からず、私は言われるままにゆっくりと目を瞑る。

すると、突然。

瞼の奥が一瞬明滅して、

黄金色の太極図の紋がぼんやりと浮かんできた。




―― バサッ


「・・・・・・っん!」

瞼の裏の不思議な光景に浸る間もなく、

顔面に向かって、無数の何かが投げつけられた。

私は無意識に手で顔を庇う。



「ひ、酷いわ。もう。何をするの、急に・・・・・・!!」

鼻の辺りにむず痒さを感じて両手で払うと、

パラパラと白い欠片が地面に落ちていった。

萌黄色に茂る芝生に積もって行くそれを、一頻り目で追って、

「え・・・・・・?!」

やっと気付いた私を、焔は豪快に笑い飛ばした。

「阿呆が、何を呆けてやがる!

お前が見たがるから、見せてやったんだろうが」

「見え・・・・・・え・・・・・・あっ、私・・・・・・目が!!」

初めて垣間見る世界は光に満ちて、

舞い落ちる花の白さを、想像よりも鮮やかに映している。

私は信じられずに、いつまでも瞬きを繰り返した。

「今回限りだぞ?

俺は土地の守護神に過ぎないからな。

人間相手に直接神通力を向けることはご法度なんだ」

「見え、る・・・・・・嬉しい、嬉しい!!」

私の言葉を聞いて、焔は少し頬を赤らめた。

「お前があまりに哀れだから仕方なくだ!分かるな?!」

そっぽを向いた焔が何だか可愛く見えて、

私は思わず笑みを溢した。

「ふふ、もちろん分かっているわ。ありがとう。

ねぇ、この花は何て言うの?とてもいい香り・・・・・・」

顔面に投げつけられた花弁を指差すと、

「桜。

俺が一番好きな花だ。

命は短いが、誰よりも堂々と咲き誇り、潔く散る」

一際淡い一房を掴んで、焔が私の髪に乗せてくれた。

「これが桜なの・・・・・・白くて、とても綺麗ね」

あの日瑞貴がくれた花飾りは、どんな色をしていたの?

どんな姿をしていた?

あぁ。

まだ・・・・・・まだ駄目なのね。

そんな疑問が一瞬脳裏をよぎっただけで、

高揚した心が沈み、胸がきつく締め付けられるのを感じた。

「・・・・・・・・・・・・」

「おい、何故泣くんだ?」

素朴なその問いに、私は何も答えずに・・・・・・

答えられずに、焔の袖をきつく握り締めた。


「おい、ささら?」

「・・・・・・風が、出てきたね・・・・・・」




苔むす石段の上の、荘厳な廟。

御簾の中に飾られた漆の鏡台が光を反射して、

金箔をあしらった豪奢な天竜の彫像を煌かせる。

その彫像が真っ直ぐに見つめる、山吹色に波打つ池。

今にも蕩けそうに熟れ切った、桃色の果実。



時が、緩やかに流れる。



「ねぇ、焔・・・・・・?

この世界は、とても・・・・・・とても美しいね・・・・・・」

清澄な風が奏でる至高の音楽に耳を傾けながら、

初めて見る世界を、瞳の奥に焼き付けていく。

「私、綺麗なものがすき」

「あ?」



でも、私はもう知ってしまった。


眩いほどに美しい、この真昼の裏側に隠されて、

漆黒の闇が潜んでいることを。



だから、もう、

知らなかったままでは生きられない。



「ねぇ、お願いがあるの・・・・・・」

「あ?何だ?」

気だるそうに相槌を打つ焔の逞しく大きな手に、

涙の乾ききらない頬を寄せる。





「もし、私が誰かを傷つけてしまったら・・・・・・

躊躇わずに、私を、殺して?」





「あなたにしか頼めない。お願いよ、約束して?」

言った瞬間、焔の手がびくりと跳ねた。

「何を馬鹿なことを。

俺がお前を殺す、だと?そんなこと出来るか。

か、勘違いするなよ・・・・・・殺生は好まんからな!!」

「ふふ、ありがとう」

「・・・・・・おい、お前、一体何を考えている?お前は」

焔は訝しげな声を上げて、鋭い視線を私に集中させた。

私は目を逸らさずにその言葉を引き取る。

「私はいつか罪に染まると思うの。

綺麗になんて生きられない。だから、その時のために・・・・・・」

「言ったはずだ、”お前は決して穢れるな”と」

「ええ、分かってる。だけど・・・・・・」


来世では、もう嘘は付きたくない。



瑞貴が言ってくれたの。


”自分らしく生きていいんだ。

ささらの人生は、ささらのものなんだから”って。


だから・・・・・・

この世のどんな色にも染まらずに、

縛られずに、心のままに生きてみたいの。


心を切り裂く後悔なんて、

もう二度としないように。





「俺は、お前を失くすのは嫌だ」

焔は私の肩を抱き寄せて、腕に力を込めた。

「俺にはお前を殺すことなんて出来ない。請け負わない。

分かるだろう?!

いくら鈍いお前でも・・・・・・分かる、だろう?」

悲痛な表情にはわざと気付かない振りをして、

私はそっと体重を預ける。

「ありがとう、それからごめんね。

大好きよ、焔。ずっと、ずっと大好きよ・・・・・・」




私はいつか、この手を鮮血で染める。

広くて美しいこの世界を、きっと汚してしまうわ。



だからね・・・・・・

誰かを、この手に掛ける前に、




どうか、私を殺して。



あなたの手で、終わらせて。

私を止められるのは、あなただけだから。




「焔・・・・・・

私を恨んでも、嫌ってもいい。

だからお願い。私のこの願いを、きっと忘れないで」

初めて寄せた唇は冷たく、微かに震えていた。


「・・・・・・お前が・・・・・・それを、望むなら」




薄桃色の髪に飾られた白い花房が、



ふわり、

空を舞って行った。









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【あとがき】


この話も苦労しました。


ささら編のラスト(胡蝶夢を除く)なので、

ささらが何をどう考えて桜編以降の行動に出たのか、

心境の変化について触れておく必要がありました。

露骨過ぎず、でも要点は漏らさず。

まぁ、散々悩んで書き直しを続けた結果、

リニューアル前同様にあっさり流してしまったのですが・・・・・・

あれこれ模索した結果なので、これが最善なのだと思います。


次の胡蝶夢は、ささらの晩年を想定して書いています。

神様の焔と違って、ささらの体は人間なので、当然老いる訳で。

とは言っても、姿はおばぁちゃんをイメージしないでください。

それはそれで面白い図ではありますが、

若くして亡くなったことになっているので・・・・・・ととと、ネタバレ(笑)


ちなみに、この話には色々伏線を敷いています。

勘の良い方なら何となくお分かり頂けるかもしれませんが、

ゆっくり、最後の最後までお付き合い頂いて、

「あぁ、これか」と思って頂けるといいな、と願っています。


二章以降はめまぐるしく変転していきます。

高天原の都を基盤にして、舞台は雪山や隣国へ飛んでいきますし、

登場人物も無駄に・・・・・・ごほごほ、増えます。

神話時代が好きな方には馴染み辛いかもしれませんが、

お付き合いいただけると嬉しいです。


それでは、五百後の世界でお待ちしています。