第一章 第五話 契り


「何度でも誓いましょう。私は、あなたの巫女です」

私にはもう、迷いはなかった。









「何処のどいつだって聞いてんだよ。

この俺がわざわざ出向いてやったんだ。さっさと答えろ」


突如現れたその男性は、見事な黄金色の眼をしていた。

踵までゆうにありそうな長い金髪を乱雑に束ねて、

古風な着物に身を包んだその姿からは、華やかな霊気が放たれて、

人々を一瞬で魅入らせてしまった。



「りゅ、竜神・・・・・・様・・・・・・?」

その男性が人ならぬ者であることをすぐに悟り、

その場にいた村人全員が、呆然と掌を合わせて立ち尽くした。



ただ一人、私を除いては。







「ささら、と申します。

幼少よりお仕えして参りました、あなたの巫女です」

ゆっくりと歩み出て、私は竜神様の前で首を垂れた。



「こうしてお目に掛かるのは初めてですが・・・・・・

薄暗い瞼の奥で、竜神様の姿だけは輝いて見えていました。

私の両親が死んだ時、初めて祭壇に向かった時、天を仰いだ時、

いつも、私の傍にいてくださいましたよね?

今も、私には」

私の話を遮るように、舌打ちが聞こえた。

「・・・・・・死に損ないの小娘が、俺に何の用だ?」

「死に損ない・・・・・・」

不機嫌そうな重低音に、心臓が大きく跳ねる。

視線が、今にも突き刺さりそう。

目の前にいるだけで威圧感で押し潰されるわ。



でも、それも構わない。


死ぬのは怖くない。

もう何も、怖くなんかないの。

だって、もう・・・・・・



失くすものなんてないから。



「私達は十分罰を受けました。

犯した罪を自覚して、生涯をかけて贖う覚悟です。

ですから、お願いです・・・・・・お怒りを、鎮めてください」

髪から滴る雫を拭って、深々と頭を下げた。

すると、

「ははっ・・・・・・なぁ、小娘、俺が従うとでも思ったか?」

嘲笑交じりに竜神様は答えた。

ゾクリ、と一瞬で全身に鳥肌が立った。冷や汗が伝う。

顔だけは微笑んでいるのに、射竦められて身動きが取れない。

「・・・・・・・・・・・・」

「神である俺が?聞こえるか、なぁ?」

「・・・・・・竜神様は、慈悲の心をお持ちです。

苦しむ民を見捨てるようなことはなさらないと、私は信じます」



やっとの思いで口を開くと、空気は一変した。








次の瞬間。



「・・・・・・あっ、う・・・・・・」

襟首を掴まれて、体が注に浮いていた。

だらりと垂れ下がった体は、いつもより何十倍も重い。

全体重を支えている首に、千切れそうな激痛が走る。

私は耐え切れず、小さく声を溢した。


「人間は、つくづく愚かな生き物だな。

お前達が望めば、全てが叶うとでも思っているのか?!」

白く柔い肌に、指が、鋭い爪が食い込む。

痛みにひたすら喘ぐことしか出来ない。

「んっ・・・・・・う、あ・・・・・・あぁ・・・・・・」

「苦しいか?せいぜい苦しめ。

傲慢で強欲なお前達には良い薬だろう。なぁ」

「・・・・・・飢えた、子供の声が・・・・・・聞こえませんか・・・・・・?」

震える言葉を、ゆっくりと搾り出した。

「何?」

「我が子のように育てた稲が一瞬で腐り落ちる悲しみが、

あなたには分からないのですか?

育った家も、掛け替えのない父母も、やっと生まれた家畜も流されて、

何故自分だけ助かったのか、責める心が・・・・・・

どうして分からないのですかッ・・・・・・!!」




ねぇ、瑞貴。


私ね、死ぬのはずっと怖くない。

あなたと隔たれたこの世界を、

独りで生き抜く方が、ずっと、ずっと怖くて・・・・・・



だから、


一緒に、果ててしまえたらいい。

あの慟哭の中、叫んだ言葉に嘘はなかった。



でも、まだ、死ねないわ。

死ねないのよ。



だって、私には分からないの。

『どうか幸せに』

あなたが願った、最期の言葉の意味が。



あなたのいない幸せがこの世にあるのなら、

あなたが私に、それを望むなら・・・・・・


私は生きるわ。



躓いて。

幾度となく挫けそうになって。

たとえそれが、誰かを傷付けてしまっても。


最期の時まで、

幸せになることを諦めない。



だから、ね。

安心して眠って。






「代償が必要なら、私が・・・・・・

数ならぬ身ですが、一生竜神様のお側にお仕えします。

お怒りを鎮め、私の村をお救いください」

それが、私に出来る一番の恩返しだから・・・・・・

「小娘・・・・・・お前、一体どういうつもりなんだ?」

張り詰めた空気が、一瞬緩んだ。

「・・・・・・他意はございません。

私を・・・・・・竜神様の宮へお連れください。

竜神様に一心に尽くし、果てる時まで心静かにお仕えするだけです」

呼吸を整えて、竜神様の逞しい手首にそっと触れた。



「私は、あなたの巫女です」





「・・・・・・仕方ねぇな」

竜神は面白くなさそうに呟いて、着物から手を放した。


「ごほっ・・・・・・!!」

急激に流れ込んできた空気は、美味しいものではなかった。

喉が焼けるように痛くて、ひたすら咳を繰り返した。

でも、そんな姿にもお構いなしで、

「俺とお前の契約だ。

洪水を抑え豪雨を止めてやる。くそッ・・・・・・面倒くせぇ」

竜神様はもう何度目になるか分からない舌打ちをして、

心底忌々しそうに私を睨み付けた。

「良いの、ですか・・・・・・?」

「お前の眼は普通じゃないな。世界を呪っている眼だ」

「え・・・・・・何ですか?よく聞こえなか」

「喧しい、黙れ、ごちゃごちゃ言うと放り出すぞ!」

ぴしゃりと言い放った後、




竜神様は辺りを一瞥して、天に手を翳した。


すると、瞬く間に雨は止み、

鈍色の雲間から、一月ぶりの陽光が差し込んだ。



一度腐った草木が再び芽を吹き、

鳥のさえずりが響き出した頃、

土地を浸していた水は、跡形もなく消え去った。



「わあぁっ・・・・・・!!」

しばらく呆然としていた村人達は一斉に我に返り、

ある人は濃緑色の芝生に顔を埋め、ある人は着物を脱いで光を浴び、

太陽が戻ったことを噎び泣いて喜んだ。






「おい、小娘。これでいいだろう?」

私は金色の双眸から目を離さず、力強く頷く。

「竜神様のおかげで、故郷を失わずにすみました。

ありがとう。心から・・・・・・心から感謝いたします」

「いいならさっさと引き上げるぞ・・・・・・と、忘れてたな」

竜神様はそう呟くと、深々と頭を下げた私を無視して、

ゆっくりと歩き始めた。


視線の先には、

泥に塗れてすっかり萎れた領主の姿があった。



「う、あ・・・・・・あ・・・・・・」

領主はたじろぎ、口を震わせて言葉を濁した。

「よう、領主。

欲深いお前達も、少しは懲りたことだろう?

もう一度だけ、お前達に生き残る機会を与えてやろう」

長い睫毛を伏せて、竜神様は微笑んだ。

「だがな・・・・・・領主よ」

そう言うと、眼差が鬼のように鋭さを帯びて、

あっと言う間に、領主の喉元に爪を突き立てた。

取り巻きの侍女がキャッと悲鳴を上げる。

「ひえぇっ・・・・・・!!」

「ら、乱暴はやめて!!お願いだから!」

私がそう言って腕にすがり付くと、

竜神様はククッと嗤って、私の額を指で弾いた。

「馬鹿、今は何もしねぇよ。だが、

万が一過ちを繰り返すならば、俺は決して容赦しねぇ。

慎んで善行に努めろ、良いな?」

「は、は・・・・・・はひ・・・・・・」

領主はへなへなと崩れ落ち、

鋭い爪の傷跡からは、紅い血が一筋流れた。












「ささら・・・・・・」

「ごめんよ、俺達はあんたを犠牲に・・・・・・」

「いいの。いいのよ。皆さん、もう泣かないで」

村を離れる最後の時まで、少女は笑顔を絶やさなかった。

傷を負った老人を労わり、洪水で母を失った乳飲み子をあやし、

支柱が腐り崩れた家の復興を神に願った。


そんな薄幸な少女の想いに、

村人は溢れる涙を抑えることが出来なかった。



「おい、目くらの小娘。もたもたするな。行くぞ?!」

役目を終えた竜神が乱暴に言い放ち、

長い髪を力任せに引っ張っても、

少女は反論することも、苦痛に顔を歪めることもせず、

凛とした笑顔で別れを告げた。



「皆さん・・・・・・今までお世話になりました。

この村で生活した17年間のことは決して忘れません」



すると、

突然一筋の風が巻き上がり、

驚いた村人が目を開けた瞬間には、

もう、二人の姿は地上の何処にもなかった。




「ささらッ・・・・・・!!」


そして、打ち震える村人は見た。



その背に小さな少女を乗せて、

金色の鱗を持つ巨大な竜が、天高く翔け昇っていった。



眩い光を放ち、


群雲を切り裂いて、高く、高く・・・・・・







”身を持って土地を護った清らかな少女は、

天に昇り、竜神の花嫁となった”


そんな噂が広まる頃には、

薄幸な少女を悼み、各地に立派な社を築かれた。

奉納には作物や地酒、貴重な絹や金まで絶える事がなく、

やがてその地は竜神と姫巫女を讃え、

高天原と呼ばれるようになる。



それが、この土地の始まりの物語。








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【あとがき】


書き終えて、まず一言。

大変でした。

終盤の表現が分かり難く、何度書き直しても納得できず。

結局、今までに登場した誰の視点でもなく、

いきなり昔話の語り手を登場させて綺麗にまとめてもらいました。

気に食わないのに直せない、実力不足が悔しいです。



でも、すっきりした点もいくつかあります。

まず、リニューアル前に載っていた意味不明なモノローグ達を、

ごっそり削除できたことです。

ささらの心情を一つ一つ確認しながら、

今後に矛盾が出ない形でまとめることが出来て良かったです。

次に、ささらと竜神の会話に重みが出たことを挙げます。

リニューアル前はどうも竜神の重圧が表現できず、

薄っぺらい会話で終わってしまったので、

竜神が普通のツンツン男子に見えて仕方ありませんでした(笑)

今回は、竜神が巫女と村人を威嚇し、罪の意識を自覚させて、

じっくり書けたので良かったかな、と思います。



ささら編は次の話で終わりです。

始まりの物語の”表側”の結末を、お楽しみください。