第一章 第四話 想い、一欠片


それはまるで、竜宮城のお伽話。

たった一晩の悲劇。もう二度と戻らない。









「・・・・・・な、何・・・・・・これ・・・・・・」

祭の篝火が倒れたのか、神火が風で燃え移ったのか、

民家がパチパチと音を立てて燃えている。

瑞貴の傍らで嗅いだ硝煙の正体はこれだったらしい。

積み上げられていたはずの供物は無残に崩れて、

酒宴のお酒や果物は踏み荒らされて異臭を放っている。



賑やかだった村の様子は、突如一変した。



陽気な囃子ももう止んでいる。

代わりに辺りを包んでいるのは奇妙な静寂と、

遠くで聞こえる子供の泣き声。



「そ・・・・・・村長様、みんなッ・・・・・・何処ですか?!」

私は一体、何処へ迷い込んだの?!

ほんの数時間のことなのに・・・・・・

竜宮城のお伽話じゃあるまいし、こんなこと信じられない。

私は村長様の邸の扉を勢いよく開け放った。



「村長様ッ!!」

それまでは会話が漏れていた邸の中が、

シンと静まり返った。

怪我をして汚れきった私の姿に唖然としたのか、

村を捨てて逃げた私に嫌悪したのかは分からない。

でも、すぐに村長様と匿われていたらしい女性が私を抱きしめた。

「ささら、おかえり。よく・・・・・・よく戻ったね!!」

「おぉ・・・・・・無事でよかった。心配したんだよ?」

「・・・・・・ごめん、なさいっ・・・・・・皆さん、私」

心配されて、急に後ろめたくなった。

抱きしめられた腕を解いて、ゆっくりと後ずさる。

「あ、あの・・・・・・私、昨日・・・・・・」

私は、心配してもらえる立場じゃない。

すると、私の口を掌で覆って老婆が言った。

「あんたは悪くないよ。悪くない・・・・・・さぁ、落ち着いてお聞き」

「お前が村を出た後、領主様が侍をお連れになった。

他の村の連中も鍬や鋤を手に、一緒になって」

「侍?領主様が、何故・・・・・・?」

私が訳も分からずにその目的を問うと、

邸の中で匿われていた数人の女性達が、ひぃっと悲鳴を漏らした。

「おばさま?どうしたの?」

「お、恐ろしいことよ・・・・・・

穢れた者が住んでいては神の祟りがある、と仰ってね。

土地から邪気を払おうと、妖怪を追い出しなさったのよ」

「妖怪は穢れてなんかいません!!」

「分かっておる。

しかし、『妖怪は魔であり憎むべき存在』と・・・・・・

領主様や近隣の者達は、密かにそう考えていたんだ」

「だから、侍をけしかけて村を襲わせたんですか?!」

供物を踏みにじって村に押し寄せる侍。

篝火を蹴り倒して民家を燃やし、妖怪を燻し出して。

女も子供も歯向かう者を斬り、土地を追い・・・・・・

そんな光景が、瞼の奥に鮮明に映し出された。

「うっ・・・・・・」

吐き気がして私は思わず口を覆った。

「大丈夫かい?!」

「・・・・・・なんて・・・・・・なんて、酷いっ・・・・・・」

噛み締めた唇が切れて、口内に鉄の味が広がる。





妖怪よりも醜いのは人間でしょう。

どうして憎むことしか出来ないの・・・・・・?!





「・・・・・・ち、千代は何処ですか?!」

怒りとともに、千代の顔が頭を過った。

千代は極めて人間に近かったけど、鬼との混血児だった。

お願い、無事で何処かに隠れていて!

もう何も、誰も、失いたくない!!



「・・・・・・ささら、これはお前が持ってておやり」

「え?」

立ち上がりかけた私に、炭のような塊が差し出された。

よくよく触れると、それは胡弓だと判った。

焼け焦げて、四本の弦は一本を残して全て千切れた、

千代の宝物・・・・・・!!

「嘘・・・・・・でしょう・・・・・・?

あんなに大事に磨いていたのよ?

こんな風に手放すはずない。違う、千代のじゃない!!」

「斬り合いに巻き込まれて、行方が分からなんだ・・・・・・」

「・・・・・・きっとうまく逃げたよ。信じよう、ね?」



信じよう?

何を?

何を、信じたらいいの?

こんな惨い世界の、何を信じられる・・・・・・?




私には希望なんて見えない。


私が生きるこの世界は・・・・・・

輝くものなんかではなかったのだから。




「・・・・・・ち、千代・・・・・・やだあぁっ・・・・・・!!」

千代の胡弓を抱いて、咽び泣いた。





私の意識は、ここで途絶える。


















私が目を覚ましたのは、それから三日後だった。



逆賊である瑞貴に加担したものとして、

私は領主様から座敷牢での謹慎を命じられた。

その間に荒らされた村の補修は順調に済み、

私がお許しを得て村に帰る頃には、一見元通りになったように見えた。

心に、深い傷痕を残した以外は。



土地を追われて、妖怪は消息を絶った。

千代を含む妖怪の行方は、全く分からなくなってしまった。



瑞貴のことを尋ねると、村人達は揃って閉口した。

亡骸は、反逆者として村から遠く離れた山に埋葬されたらしい。

瑞貴と一緒に田畑を開墾していた数人の若者は、

うち一人が自ら命を断ち、

後は許してほしいと跪いて懇願してきた。



村人達は、領主への抗議に立ち上がった。

それでも・・・・・・

戻らない時間に虚しさが募るばかりだった。








涙は全て枯れました。


輝くもの。

暖かなもの。

優しいもの。

あなたを失くした瞬間に、全部消えてしまったの。


もう、戻らない。



あぁ、はやくおわって。

はやく、あなたのところに、いきたい。















「・・・・・・俺は、人間を赦すことは出来ない」

男は、打ち震えて頭を垂れた。

怒りをこらえようと握り締めた手は、小刻みに震えている。

「悪いことしたんだもん。

人間なんか、みんな殺しちゃえばいいよ!」

傍らの少女は、男の顔を下から覗き込んだ。

無邪気なその様子を見て、我に戻った男は諭すように言った。

「雛菊・・・・・・

俺は、ただ償わせたいだけだ。無闇に殺めてはいけないよ?」

「むうぅ?雛、よく分かんないよぅ」

困り果てた少女に愛しさを感じたが、男は冷静に続けた。

「焔・・・・・・この土地の守護は、君の管轄だったな?」

「・・・・・・あぁ、水瀬」

焔と呼ばれた男は、そっぽを向いたまま応じる。

唇を引き結び、その瞳は伏せられて、どこか哀愁が漂っている。

「お願いだ・・・・・・

今回に限り、俺に役目を譲ってくれないか?」

水瀬の瞳を見て、焔はやれやれと言う表情を浮かべた。

「相変わらず真面目な奴だ。

お前の気の済むようにしろ、俺は手を出さない」

軽く会釈して、水瀬は立ち上がる。

「誰かを裁く権利など、誰にもありはしない。それでも・・・・・・」

「あーんっ、水瀬!待ってよぉっ、雛も行くっ!!」















その男は、土地に棲まう水の神だった。



男は人々の夢枕に立ち、説いた。

「人は何故欲し、何故殺し、何故奪うのか。

奪うものは、奪われる覚悟をしなければならない。

全ての行いは、巡り巡って己に還ることを知りなさい」と。



翌日から土地を豪雨が襲い、

地盤が緩み、土砂崩れが起き、大洪水がいくつも村を押し流した。

降り続く雨に、田畑の新芽は次々と腐っていった。




人間は、神々の怒りに触れたのだ。






「た、田畑の作物が・・・・・・」

増える間もない備蓄は、あっと言う間に底を尽き、

人々は、日増しに痩せ衰えていった。

鼠にもぐら、虫でさえ貴重な食料として血眼になって追いかけた。

そのため疫病が蔓延し、毎日何十人も死んでいく日々が続いた。

水害で他の土地に逃げ出す道も断たれて、

葬儀はもはや追いつかない。

「領主様・・・・・・このままでは、村が死滅しまする!!」

村人達は総出で祈祷を行い、太陽の神の出現を乞うたが、

効果は一向に表れなかった。

「この地におわす八百万の神よ・・・・・・

どうか・・・・・・どうか、我々を許しくだされ・・・・・・」

人々は過ちを悔い、嘆いた。

そして、ひたすらに祈った。

生き延びたい、土地を護りたい、その一心で。






そして、


二十日が過ぎた、ある日。







「そなた、何を・・・・・・?!」

私の言葉に、一同は目を見張った。



「私が参ります。足枷の鎖を外してください」

鉄の足枷を付けられ、日向村に返された私は、

食べる気力すら失っていた。

あの時の慟哭が今も胸に残って、動くことを拒んでいる。

「しかし、そなたは我らを・・・・・・」

すっかり萎えた領主は、恐る恐る声を絞り出す。

「・・・・・・憎いわ、とても・・・・・・

だって当然でしょう?

あなた方が・・・・・・瑞貴を奪ったあなた方が、とても憎い。

それでも、この村は、私が護ります」

小さな拳を、きつく握り締めた。




もう何も欲しくない。望まない。

全てが崩れて、終わってしまえばいいと思った。



でも・・・・・・

どんなに憎んでも、瑞貴は帰ってこない。

何も、変わりはしない。


それなら、護るの。

瑞貴が愛したものを、私の全てをかけて。




それが、

私に出来る最期の弔いだから。





「皆、下がってください」

差し出された唐傘を、私は手で撥ね退けた。


「いや、そなたこそ下がっておれ。

竜神様のお叱り蒙るのはわし一人で十分だ」

以前より一回り小さくなった白髪の村長が、

一歩進み出た私を引き止めた。

「案ずることはありません。

神々は、私達を傷付けることなど望んでいません」

この大雨だってそう。

神々はただ濯いでくださっただけ。

清浄な水で、重罪を犯した私達の穢れを・・・・・・

「ささら・・・・・・」

私は開けた場所へ歩み出て跪いた。

痩せ細った体を責めるように、雨は容赦なく打ち付けたけれど、

私にはもう、迷いはなかった。




「不躾をお許し下さい。

竜神様、どうか姿をお見せくださいませ」


そう言った次の瞬間。






―― フワッ・・・・・・


何処からともなく風が舞い上り、

頭上から、金色の光が無数に降り注いだ。

陽光に照らされた雨の雫にも、花弁にも似たそれは、

拾い上げると薄い板であることが判った。


不思議なことに、それは私にも見えていた。




「・・・・・・これは、鱗か?」

鱗と呼ぶには大きすぎるけれど、例えるならそうかもしれない。

思わず瞬きを忘れるほど、美しい景色が眼前に広がって、

女性は皆、跪いて涙を流した。

「お母さん・・・・・・絵巻物の極楽浄土みたい」

「・・・・・・一体、これは・・・・・・あぁッ、あれを!!」

村人の一人が恍惚から我に返り、指差した。

その先には、更に奇妙な光景が広がっていた。

村人達は皆、息を飲んだ。







「・・・・・・竜神、様・・・・・・?」



雨風を巻き込んで、

金の鱗は急激に収束し、ある姿を形成していく。



あれは、人だわ。










「俺を呼んだのは、どいつだ?」

太く、逞しい声が、雨音を掻き消した。












現れたのは、一人の男だった。












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【あとがき】


三話は手直しに割と時間が掛かったのですが、

四話はそれを挽回すべく猛スピードで仕上げることが出来ました。

それなのに公開が遅くなってしまって申し訳ないです。



さて、四話はお楽しみ頂けたでしょうか?

神々が大雨で土地を押し流す最高潮に暗い場面なので、

読者様の反応が気になるところです。どきどき。

まぁ、私個人としては、

大好きな雛菊が出てきて幸せいっぱいだったりします。

水瀬役と雛菊役の素敵な声優さんの掛け合いを想像するだけで、

鼻血が出そうなほど高揚してしまいます(笑)

本当に本当に可愛らしいのです!



ただ、反省すべきところも多々あります。

以前の私はあまり問題視していなかったようなのですが、

伏線を張りすぎるのは問題ですね。

それがないお話は面白くないと承知しているのですが、

全部手を抜かず回収できるか、今更心配になっています。

最近、「若年性の痴呆では」と思うことがしばしばある私ですが、

忘れないように気を引き締めて行きたいと思います。