第一章 第二話 雲の行方


手を取った瞬間に、全ては動き始めたの。

癒えない傷を、私に残して。








「村を出て、結婚しよう」




あなたは知らないでしょう・・・・・・?

私が、どれだけこの言葉を待っていたか。



嬉しかった。

嬉しかったわ。

だけど・・・・・・






「ごめんなさい。よく、聞こえなかったわ」

ポツリポツリ。額に水滴が一つ、二つ。

さっきまでの茜空も、爽やかな空気もいつの間にか消えて、

湿気を含んだ空気が肌に纏わり付いてくる。

「雨が降ってきたね・・・・・・濡れちゃうから、もう帰ろう?」

私は握られた手を払って、瑞貴に背を向けた。

このまま聞こえない振りを続けて逃げたかった。

でも、

「ささら。こっちを向いて。

俺は求婚してるんだよ、返事はくれないのか?」

瑞貴の視線が、背中に刺さる。

痛いくらい、真っ直ぐ。

「・・・・・・だ、だめだよ・・・・・・そんなこと出来ない・・・・・・」

「ささら?」



巫女は、言わば神の贄。

土地を離れて結婚するなんて重罪だわ。

もし捕縛されたら、私達二人とも無事では済まない。

瑞貴を悪者にするのも、傷付けるのも・・・・・・絶対に嫌・・・・・・



「私、さっきはどうかしていたの。ごめんね。

やっぱり、私には、村を裏切ることなんて出来ないから!」

叫んだ瞬間に瑞貴が小さく息を付くのが分かった。

きっと、呆れてしまったのね。





でもそれでいい。

私の嘘に気付かないで。



私を選ばないで。

親も、友達も、故郷も、私なんかのために捨てないで。

輝く未来を、自分から手放さないで。



あなたが、大切だから。






「ここまで送ってくれてありがとう。

私、一人で帰れるから。風邪を引かないうちに瑞貴も帰って?」

冷たく言い放って歩き出したものの、

雨で泥濘んだ足場は、いつも以上に定まらない。

「あっ」

足を踏み出すごとに、体は前後左右に揺さぶられる。

怖い。

「掴まって。転んだら大変だろ」

「どうして・・・・・・どうして優しくするの?

私のことなんか放っておいて、もう構わないで!!」

私の手を取った瑞貴を、渾身の力を込めて押しのける。

その拍子に、均衡を保てなくなった体は、あっさりと地面に崩れ落ちた。

「馬鹿、意地を張ってる場合か!!」

「・・・・・・っ」

彼らしくない荒々しい口調で私を黙らせると、

泥に塗れた私を横抱きにして、瑞貴はゆっくり歩き出した。






「ささらは今、幸せか?」

しばらく黙ったままだった瑞貴が、唐突に口を開いた。

「え?」

「ささらは、いつだって泣いてただろ。

ずっと友達の輪に入れずにいたこと、俺は知ってよ。

盲目だとか、呪いだとか、巫女だとか・・・・・・

そう言う柵全てが、ささらに呪縛をかけ続けてる。

だけど・・・・・・ささらは、ささらだけのものだよ。

誰かの言いなりになって生きる必要なんか何処にもないんだ」



君は、君らしく生きて。

そのために俺が出来ることを、全てしてあげたい。

初めて逢った時から、その気持ちは変わらない。




俺は、ずっと・・・・・・





(瑞貴や、あの娘を見てごらん)

あれは、俺達がお互いに十歳に満たない頃。

今は亡い祖母が、年老いて拉げた指をさして言った。

指の先には、今日と同じように泥土に塗れた少女が居た。

(あの子は・・・・・・?)

腰まで伸びた薄桃色の髪は輝いて、

透けるような肌を、珊瑚色の唇と長い睫が飾っていた。

小さな背中をピンと伸ばして、

腕に擦り傷をつくりながらも一心に供物を運ぶ、

その姿から、俺はほんの一瞬すら目が離せなかった。

(この地の神様にお仕えする、姫巫女だよ)

(ひめ、みこ?)

姫巫女と呼ばれたその少女は美しかったけれど、

俯いた横顔がとても寂しげに映った。

(不憫な子だよ。

あの年で、あんなにも大人びてしまって・・・・・・

年相応の生活をしたこともなければ、

恋も結婚も出来ず、死ぬまでこの地を離れられない)

(そんなの可哀相じゃない。どうして?!)

(それが定めだからね)

一人でしっかりと務めを果たそうとしていたその少女は、

全てにおいて特別な存在になった。



ささら、君は疑うだろうか?

君と出逢った瞬間から、俺の時間は動き始めた。








「ささらが、好きだよ。

どんなに困難な道でも、君の手を引いて俺が先に歩く。

ささらを、ずっと支えるから・・・・・・二人で、支え合いたいから」

我慢していた涙が、終に毀れた。

雨はもう上がって、言い訳には使えそうもない。

「・・・・・・っ」

「俺が嫌いじゃないなら、俺のところに来て・・・・・・?」



どうして私があなたを嫌えるの?

こんなにも想いが溢れて、もう止められない。


あなたが、好き。



「分かっているの・・・・・・?

私を選べば、この先一生追われる身になる」

瑞貴の胸元に顔を埋めたまま、

しゃくり上げて、声にならない声を必死に搾り出す。

「分かってる」

「私のために、全部捨てて・・・・・・くれるの?」

「あぁ、ささら以上に大切なものなんかない」

髪から滴る雫を、瑞貴は丁寧に拭ってくれた。

「ささら以外は、欲しくないから」






自由。

私に、そんな我侭が赦されるのなら。







「お願い、私を娶って連れて行って・・・・・・!!」




大切な人と添い遂げられるのなら・・・・・・

故郷も、使命も、何もいらない。





この人と一緒に生きていく。















次の朝、空は澄んだ蒼に戻っていた。




「は?」

三本目の弦を張り替えたところで、千代は胡弓を落とした。

胴から勢いよく落ちて、ゴトンと痛々しい音が鳴る。

「こ、胡弓が壊れる」

「何なのよ、今の話ホントなのぉ?!」

千代はまだ頭の整理が出来ていないらしく、

まるで餌をねだる鯉のように口をパクパクさせながら、

私達の肩を交互に揺さぶり続けている。

「言葉通りだよ。ささらと二人で遠方で暮らす」

「・・・・・・だけど、そしたらあんた達、立派な犯罪者だよ?」

ビクリと一瞬で体が硬直した。

動揺して震え出した私の肩を、瑞貴が優しく摩る。

瑞貴のその様子から悟ったのか、千代は返事を待たずに唸った。

「ううぅ・・・・・・寂しくなるなぁ。

でもね、あたしはね、ささらが幸せならそれでいいんだよ!

おめでとう! 良かったね、ささら!!」

少女らしく膨らんだ千代の胸に、私は飛び込んだ。

一番の親友に祝福してもらえた。

それだけで、罪の意識がどんどん薄れていく気がした。

「・・・・・・ありがとっ・・・・・・あり・・・・・・とっ・・・・・・」

「うん。うん、絶対応援するよ」

泣きじゃくる私の頭をしばらくゆっくりと撫でた後、

冷静さを取り戻した千代は話を続けた。

「で、どうするつもり?考えはあるんでしょうね、旦那」

「おい、千代!・・・・・・ったく」

一頻り照れた後、瑞貴は懐から巻紙を取り出した。

「見てくれよ、千代。

ちょうど一週間後に、地鎮祭があるだろう?

その最中なら必ず隙が出来る。俺達二人くらい逃げ出せるよ」

「んん? どれどれ」

祭りの演目表らしき巻紙をパラパラ流し読みして、

千代は胸を叩いた。

「よし、これならいけそうだね・・・・・・」

「千代にまで責任が及ぶと困るから、このことは」

「嫌よ。絶対手伝う。もう決めた。

結婚のことを二人でさっさと決めちゃった白状者達を、

あたしがこの手で追い出してやるんだから! 覚悟しなさいよ!」

「ぷっ・・・・・・」

私達は、不安な気持ちを追い払うように大声で笑った。









私達はまだ知らない。

始まりが、終わりだったことを。










「おい、今の話・・・・・・聞いたか?」

「えぇ・・・・・・巫女が逃げたりしたら、村に神罰が下さるわ!」

「冗談じゃない、村長に知らせよう・・・・・・早く!!」






世界は、輝くものではなかったことを。













―― ガシャンッ

獣紋の入った杯を、領主が屏風に投げつけた。

陶器が砕ける凄まじい音が辺りに響く。

酌婦達は部屋の隅で震えて、オロオロと顔を見合わせる。



「何だと、もう一度申してみよ!!」

粉々に砕けた破片が散乱するのを気にも留めず、

酒太りした領主は怒りで声を震わせ、脇息を何度も叩き付けた。

その顔は煙が出そうなほど赤い。

「ひぃっ・・・・・・領主様、私は噂に聞いただけにございます!」

給仕をしていた下女は、小さく悲鳴を漏らして跪く。

「情けをかけて生かしてやったと思えば・・・・・・

小娘が、図に乗りおって!!

ええい、忌々しい。日向の村長、入れ!!」

勅書を受けて既に廊下に控えていた初老の村長は、

慌てて部屋へ駆け込み、平伏した。

小柄な体は縮こまり、豊かな白髭は貫禄なく床に垂れ下がっている。

青褪めた顔は今にも昇天しそうなほどだ。

「りょ、領主殿・・・・・・この度は」

「挨拶などよい、私は善からぬ噂を耳にして憤慨しておる。

何でも、神聖なる祭の最中に巫女が出奔を企てておるとか・・・・・・

のう、村長?」

探るように、嘗め回すように領主は尋ねる。

「そ、それが・・・・・・真偽は定かでは・・・・・・

村の老夫婦が、小耳に挟んだだけでございまして・・・・・・」

村長は板張りの床に頭をつけ、諤々と震えた。

「もしもそれが真ならば、私に対する謀反ではないか?」

領主は忌々しそうに、酒を煽る。

「そんな・・・・・・

お許しくだされ、私が二人を説得いたします故に!!」

「十七年前も、そうして小娘の命乞いをしたな?

その結果がこれぞ?! そなたの言葉は信用ならぬ!」

「いいえ、いいえ!

ささらは、巫女としての勤めを立派に果たして参りました。

瑞貴は、村を将来を担う有望な若者でございます。

ご息女の婿にと望まれた領主殿も、ご存知でございましょう?!」

懸命な説得にも応じず、領主の癇癪は更に激しくなっていく。

「あの若造は、私の娘を蔑ろにしたのだ!

娘への侮辱は、この私への侮辱!!

ええい、胸糞悪い。

神々の怒りに触れぬうちに、瑞貴を殺してしまえ!!」

「ひぃっ・・・・・・ご、後生でございます!」


―― バシッ

領主は息を荒げて、扇を村長に投げつけた。

初老の村長はよろけ障子に倒れこむ。



「色恋に現を抜かし、私の領地を潰す気か?!

一人や二人死んでも、民など腐るほど居るではないか!!

フンッ・・・・・・そうだな、もう一つ命令を下そう」

ニタリと口の端を吊り上げ、薄気味悪い笑みを浮かべながら、

領主は村長の顔を覗き込む。




「明日、そなたは・・・・・・」












「ささら?!」

一瞬、体が凍えるように強張った。

小刻みに震えがして、動悸がおさまらない。

「どうしたんだ?」

「・・・・・・瑞貴。瑞貴。お願い、私の手を離さないで。

怖いの。すごく、嫌な予感がする」

「・・・・・・大丈夫。ささらを助け出すよ、絶対に」

そう言って背中を摩ってくれた瑞貴の大きな手も、

冷たくなって微かに震えていた。

だから私には分かってしまった。

搾り出したそれは、瑞貴自身への言葉でもあった。




土地に棲まう竜神様。


私は罪を犯しました。

育ての親も、村も、あなたも、全てを捨てました。

あなたは、私を責めますか?

罪の十字は重すぎるけれど・・・・・・

それでも、貫きたい、手放せない想いです。



たった一度の我侭を許してください。










「そなたの村は、妖怪と人間の混血だったな?」

「はぁ、それが・・・・・・何か?」

「妖怪は魔性ゆえに、いつ裏切るやも知れぬぞ?

今は温和に暮らしていても、穢れた心を隠しているに違いない。

飢餓に悶え、血肉を喰らう、穢れた本性を・・・・・・な。

それではそなたも落ち着かぬだろう?」

白髪に飾られた耳元で、怪しい舌音が響く。

「何をおっしゃりたいので・・・・・・?」






”妖怪は魔性ゆえに”

そんな一つの誤りが、世界を狂わせていく。



始まりは、些細なこと。








「目障りだ、瑞貴と共に殺してしまえ」




鮮血に染まる、


祭の夜が訪れる。











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【あとがき】


リニューアル版の二話目をお届けしました。

お楽しみ頂けたでしょうか?


二話目は割と元のまま進められたかと思うのですが、

人称の切り替えでかなり頭を悩ませました。

これまではずっとささらの視点(一人称)で書き進めてきましたが、

二話では、瑞貴とその他(村人や領主)の視点が入っています。

「人称をコロコロ変えずに統一した方がいいのでは?」と、

リニューアル前にも読者様から何度かご指摘を頂いたことがあったので、

全部三人称にするか?

それとも、無理やりヒロイン視点で?

など色々考えたのですが、今回も私の書き方を貫きました。

読み難いかもしれませんが、

瑞貴なら瑞貴のリアルな言葉で書きたいんです。

その方が、キャラの気持ちがより強く伝わる気がします。

伝える技術が未熟な私にはないのです、とほほ(^^;)



領主は相変わらずですね。

正直言うと、私は悪役が好きです。

どんな物語にも登場し、ズイズイ話を進めてくれる有難い存在ですから。

夢に出るくらい憎まれる悪役を書けたら上出来だと常々思っており、

領主ももっと最低に修正しようとしましたが、

怒鳴って、飲んだくれて、物を投げるくらいで留めておきました。

うーん、でもやっぱりヒール好きには物足りません(笑)