十八話 「暁闇」 もう何年になるだろう? 俺が、戦場に身を置くようになってから。 「猫の子一匹逃がすなッ!!」 夜露に濡れた地面には、物言わぬ塊が寝そべり、 その傍らには、ばっさりと折られた刃。 それらが纏う生臭い血臭に、俺は小さく唸った。 『使命』と割り切っても、 血の匂いは好かないし、大切なものも数多く失った。 思い出すと、胸が引き裂かれそうになる。 もし仇討ちと言う目的を果たした時、俺はどうする・・・? 永遠にここで生きていくのだろうか? 分からない。 でも、選択の時は、もうすぐそこに。 「遥殿、ここは危のうございます!!」 「無事だったか、小隊長!」 馬上から失礼、と声を掛けて来たのは見慣れた顔だった。 「もうじき片付きますし、砦内の指揮は私にお任せを!」 水の奇襲は、思った以上の成果を挙げた。 自慢の火器は使えない、足元には泥土、機動力になる馬もいない・・・ 今なら連中を一掃するのは、さほど難しくない。 長かった盗賊との攻防は、これで一先ず終わるだろう。 だが、俺の戦いはまだ・・・ 「深追いせず投降を勧めるよう、兵達に伝えろ。 それから、首領は・・・紅毛の男の姿は確認したか?!」 「報告は入っておりません、潜伏しているものと思われます」 「そうか、見つけたら手出しせず俺に報せろ」 俺は再び手綱を握った。 「ハッ・・・どうかご武運を!!」 焦るな、考えろ。 俺が奴なら何処へ逃れ、何をする? 血眼になって仲間を助けたりはしないだろうな。 牢に囚われた仲間を、平気で見殺しにするような奴なのだから。 むしろ、享楽的な奴のことだ。 高みの見物を決め込んで、この状況を見ているか? 芝居でも見物するかのように、のうのうと・・・ となると、何処だ? 高台か・・・!! 「さぁ、姫様、終わりましたよ」 裏門で将軍と落ち合った私は、砦から離れた川上へと案内された。 そこには、私のために即席で設えたらしい天幕があり、 戦渦を見下ろす格好で、手厚い看護を受けた。 地獄のような砦にいた私には、勿体無すぎる環境だった。 「安静になさっていれば、まず大丈夫でしょう。 傷が深いですし、化膿する可能性もなくはないのですが・・・」 「どうもありがとう、遠子ちゃん」 「それより・・・姫様、あの・・・!! 私・・・出しゃばって戦場まで付いて来ちゃって、ごめんなさい。 兄ちゃんが心配で、居ても立ってもいられなくて・・・」 救援の報せを受けた将軍に、是非にと頼み込んで付いてきたらしい、 遥そっくりの少女は呟く様に言い、深々と頭を垂れた。 「私達が城を発って、随分経ったものね。仕方ないわ」 私だってきっと、同じことをする。 そう微笑んだ後、私は背後に立つ男性を振り返った。 「将軍様にも、心配をおかけしてすいません」 「いやいや、姫君は大事なお客人でございますれば。 何より、姫君が砦の内部の情報を知らせてくださったからこそ、 今回の作戦が円滑に進んだのです。ご立派でした。 今頃、奴らも唖然としていることでしょう」 屈強な将軍は、見掛けに合わない柔らかい笑顔を浮かべた。 「買い被り過ぎです、私は何も・・・」 ―― ガタンッ 突然の物音に、私達は慌てて振り返る。 発信源の戸口には、見慣れた広夜くんの姿があったけれど、 どうも様子がおかしい。 「こうや、くん・・・?」 「何事だ、姫君の御前で・・・」 広夜くんは大きく肩を震わせて、力なく戸口に凭れていた。 心なしか、瞳の色も緋色に近い紫に変わっている。 「そんなに震えて、どうかした?」 「・・・お、お願いです・・・遥さんを、早く止めて・・・」 「何?」 その場の全員が、訝しげに小さく唸った。 今の今まで作戦の成功を喜んでいたのに、どうして・・・ 「死んでしまいますッ・・・!! やっぱり、行かせてはいけなかったんです!」 「・・・そ、そんな!!」 広夜くんの声には、気迫るものがあった。 ゾクリと背筋に悪寒が走り、私の足も小さく震えだした。 「とても・・・とても嫌な、予感がするんです。 ただの勘ですけど・・・僕の勘は、滅多に外れないから・・・」 そんなこと、絶対に信じない。 そんな愛らしい顔で、惨い冗談を言わないで。 だけど・・・ ”待ってろ” そう微笑んだ顔が、一瞬滲んだ。 望めば全てが叶うなんて、偽善に過ぎない。 あれは確か、遥の言葉だった。 ”運命は、残酷だから” ――― ドンッ・・・!! 鼓膜が破れんばかりの音と共に、遠くで何かが光った。 弾けた、と言う表現が正しい。 そして次の瞬間には、高く束ねた髪が一束削がれて、 腕には痛烈な痛みが走った。 「つぅッ・・・」 俺は眉根を寄せた。 痛みの元からは、止め処なく鮮血が溢れている。 「咄嗟に体を逸らして、直撃は避けたか。 感覚の鈍った人間にしては、良くやったと褒めてやろう」 その言葉に、俺は顔を上げた。 十数人の盗賊を侍らせた声の主は、高台から俺を見下ろし、薄く哂う。 「はっ・・・そりゃぁ、どうも」 痛みで消えかけた炎が、一瞬で息を吹き返した。 「お前、砦を捨てたな?」 「あれで死ぬような脆弱な奴らに用はねぇよ」 「ふざけるな、死線を潜り抜けた仲間だろうが!!」 そう怒鳴ったところで、俺は自分の愚かさに気づいた。 人間の常識なんでて、こいつには通じない。 「・・・それは、何だ?さっきの・・・」 昴織の手元に目をやると、黒い筒がギラリと光っている。 その先端から、火薬の匂いを振り撒きながら。 「施条銃」 「しじょう、銃?」 そんなもの、何処の兵法書でも聞いたこともない。 「長距離射撃に向き、殺傷力も高い。 東の海で外洋船をやった時に、たまたま手に入れてな。 海の向こうの国には、強力な武器が山程あるらしい」 黒い筒に頬ずりする様子は、妙に艶かしい。 周りの無骨な盗賊達は、魅入られたようにそれを眺めている。 「そんなものを手に入れてどうする?」 「神を殺すんだよ。 神々の愛した国を、人を、全てを、ぶち壊すためだ」 神? 創造主のことか? 「お前の言葉は理解できない、したくもない」 この男と話していると、妙に苛立つ。 「まぁ、そうだろうな。 どうせお前の頭の中は、仇討のことしかないんだろう? なら、愛しい女のために戦って、この首を取ってみせろ!」 「上等だ」 「昴織様、奴の目はただ色ではありませぬ!!」 「黙れ。銃はもういい、俺の刀をよこせ」 さっきの弾に毒でも仕込まれていたら、俺は終わりだな。 出血も多いし、早く蹴りをつけないと・・・ 「刺し違えてもお前を殺す・・・!!」 季沙、ごめんな・・・ 仇討ちなんてしなくていいって、最期まで言っていたのに。 でも、けじめを付けない限り、俺は前には進めない。 きっと答えを出すから、 お前を哀しませる俺を、どうか許して。 でも、もしも、願いが叶うのなら、 俺はもう一度・・・ ―― ギイィィン のこぎり状の切っ先が、鋭敏に動く。 まるで生きているように、正確に喉元を狙ってくる。 鮮血が飛沫き、ボタボタと地面に散った。 「んだよ、口程にもねぇな・・・」 昴織は面白くなさそうに舌打ちをして、閃いた様に嗤った。 「あぁ、女を殺すか。そうすれば、もっとやる気出すだろ?」 「貴様・・・くっ・・・そぉ!!」 撃たれた腕が足を引っ張って、思うように体が動かない。 それどころか、刃を交える度に激痛が走る。 だが、逃げる訳には行かない。 「腕が辛そうだな。なぁ、少しお喋りでもしようか?」 「何・・・?」 俺が不思議がって眉根を寄せたのと同時に、 昴織はのこぎり状の刃をぺろりと舐めた。 「5年前のある晩の話だ」 ―― ドクン ”5年前”と言う言葉に、ハッと息を吐いた。 心臓が、激しく胸を打つ。 「・・・黙れ!!」 「おいおい、人の話を遮るのは無粋ってもんだろ」 今更、俺に何を聞かせるつもりだ?! 「あの日も今日と同じ満月だったか・・・ 一ノ谷で大きな仕事を終えた俺達は、一台の馬車を見つけた。 真新しい車で、男女合わせて10人ばかり乗っていた。 その中で・・・俺は、月明かりに照らされた美しい少女を垣間見た。 細身で、艶やかな肌の・・・ 煌びやかな衣装から見て、歌姫か舞姫」 愉しげに目を細めた昴織とは逆に、俺は嘆息した。 「!!」 「ははっ・・・お前の女だろ? 一瞬で欲しくなってなぁ、その娘を奪おうと思った。 護衛を斬り、御者を切り、中の女共を斬り、娘を引きずり出した」 「・・・こっの、下衆が・・・!!」 右上腕部から胸にかけて、斜めに激しく斬りつける。 しかし、肌には掠りもせず、紅毛がパラリと舞っただけだった。 眼中にもなく遊ばれているようで、悔しさが募る。 「殺してやるッ!!」 「娘は怯えた様子だったが、それでも美しかった。 だがな、よくよく見るとその娘は・・・」 「季沙が、何だ・・・?」 誰よりも惨く殺す必要があった。 何故なら、あの女は・・・ 次頁へ続く |