十七話 「願わくば」








私はその時、

妖しく瞬く紅い眼を、呆然と見つめながら・・・




『もし生きているのなら、逢いたい。

ヒトにも妖怪にもなりきれない僕の、孤独や痛みを・・・

理解ってくれるかもしれないから』

そう言った広夜君の、寂しげな青い瞳を思い出していた。




あの子は、また裏切られてしまうんだ。

人間だけでなく、


信じていた、同族の生き残りにまで・・・














「こ、こっちに来ないで・・・!!」

私は意を決して、天幕の出口へと走り出す。

膝が笑って、何度も足が縺れそうになりながらも必死で。


でも、





「・・・ッ!!」

出口に到達した所で、妖狐が立ち塞がった。

一瞬で私の前に移動するなんて、なんて跳躍力なの?!

大蛇と対峙した時に感じたのと同じ恐怖が、胸を占める。

「妖族の末裔であるこの俺から、逃げられると思ったか。愚かだな」

威圧感に押し潰されそうになる。

冷や汗が噴き出して、額から首筋へと伝い落ちていく。

「妖族の末裔・・・?」

「そう、お前は誰よりもよく知ってるだろう?

お前ら、高天原の連中に土地を追われた古の一族なんだからな」

瞳を逸らしたら、その瞬間に喰い付かれる・・・

尋常じゃない恐怖心と戦いながらも、私は妖狐の眼を睨んだ。

「だから、人を憎んで仕返しをしようと言うの?

だったら、何故、高天原の王族を直接狙わないの?

私は自分の罪から逃げたりしないし、どんな謝罪だってする。

大君様や水穂の人達を苦しめるのは、どうしてっ・・・」






そう、問い掛けた瞬間だった。











「―――― ッ!!」


激痛が走って、視界に火花が飛んだ。































「・・・広夜、どうした?」

俺を背に乗せた銀毛の巨大な狐が、突然、低く唸った。

首元の毛は逆立ち、何かを警戒している様子だ。

いきなり、どうしたって言うんだ?



「・・・血・・・血です・・・」

しばらく停止した後、広夜がゆっくりと口を開いた。

その声は普段より低く、酷く震えている。

「何?」

「さ、桜さんの血の臭いが・・・

それに、咽返るほどの血臭に混じって・・・僕の同族の気配が・・・

桜さんと接触して危害でも・・・ど、どうしようッ・・・僕・・・!!」

銀髪の巨体が、ガタガタと震えているのが分かる。

「遥さん、僕、どうしたらッ・・・」

「焦るな、桜は死なない。

血の臭いを辿れ、広夜! 急げッ・・・!!」






大丈夫、桜は死なない。

季沙のように、俺を残して逝く訳がない。


そう、強く、強く信じていないと・・・




気が、狂いそうだ。

























「・・・っ・・・つぅ・・・」

ブツリと音がして、手首から肘にかけて牙が突き刺さった。

先端を鋭利に削った丸太のようなそれは、勢いよく皮膚を貫き、

一滴、また一滴、赤いものが絨毯を染めていく。



「俺の狙いは、創造主だよ。お姫様。

何百年も前の些細な恨み事になんか興味はねぇな」

人間の時よりも、太くて禍々しい声音だった。

「そ、そう・・・ぞう、しゅ?」

「なぁ、人間も妖怪も儚い生き物だよな。

まるで、死ぬために生まれて来たみたいじゃねぇか。

だったら、俺が殺したって大差ないことだろ?」

昴織の眼には、今までと違う炎が灯っているように見えた。

何処か、寂しそうに歪められた眼。



「俺は絶対に、創造主の思い通りにはならない。

奴らの支配を断ち切って、在るべき自由を取り戻してやる。

本懐を叶えるまで、誰を犠牲にしたって構わねぇ。

邪魔をする者を殺し、その血を啜り、屍を踏んででも・・・」





創造主の支配ってどう言うこと?

自由を取り戻すって、今のあなたは違うの?


分からない、でも・・・






「く、狂ってる・・・狂ってるわ・・・

人の命を奪うことを、少しも恐れないなんて!!」

「狂ってる?

そう、初めからずっと狂っているさ。

どうして、一体誰が、狂わずに居られる?

自由なものなど何一つ無い、囚われのこの世界で・・・」

「何が言いたいのか分からな・・・あぁっ・・・」

反論を封じるように、突き立てられた牙が引抜かれた。

小刻みに震える手は、力なくダランと下に垂れた。

「・・・っ、う・・・」

「・・・・・・美しい紅だな、お姫様」

そう言うと、見る見るうちに狐の面影は消え、

昴織の影は、緩やかに人間の姿へと収縮していった。

そして、瞬きの瞬間に、

生々しく残る手首の傷痕に、柔らかな唇が吸い付いた。

「なッ?!」

血を啜る猥雑な音が、耳の奥をザラリと撫でる。

触れた生温い感触が気持ち悪い・・・!!

「止めッ・・・は、放して!!」

無事な手でもがいても、圧し掛かった体は動かない。

それどころか、逆に身動きが取れなくなっていく。

「・・・つっ、私はあなたの餌になる気なんか無いんだからっ・・・」

「満身創痍のくせに威勢がいいな」

確かに、貧血で気を失わないようにするのがやっとだ。

見透かされたようで、悔しさが込み上げて来る。

悔しい、悔しい!!



「さぁ、味見は終わりだ」

昴織は、唇の端を舌でペロリと舐め上げた。

そして、首の柔い肌に、尖った爪先を容赦なく近付ける。


「・・・やっ・・・誰か・・・誰か助けて!!」

叫び声は、外の”儀式”の大騒ぎに空しく掻き消された。

「無駄だ、銃火器の蜂の巣になると知っていて誰が来る?

安心しろ、水穂の大君もすぐに後を追わせてやる」

焦りと死の恐怖が交じり合って、心臓を攻撃してくる。



まだ死ねない。

こんな所で死ねない。






「い、嫌・・・遥、遥――ッ!!」















―― ダンッ・・・!


血痕の残る絨毯に、一本の矢が刺さった。

矢じりは昴織の袖を捕らえて、動きを封じている。











あぁ・・・


来て、くれたのね?












「桜、無事かッ?!」

見覚えのある姿が天幕に飛び込んできたのを見て、

恐怖から解放されて、涙腺が途端に緩んだ。

来てくれるって、信じてた・・・



「・・・ハッ、覗き見はいい趣味とは言えねぇな」

「黙れ、桜を放せ・・・!!」

「馬鹿、嫌だと言ったらどうする気だ?」

昴織は挑発的な声で、遥の神経を逆撫でする。

そして、私の体を、強引に自分の胸元に抱き寄せた。

「あッ・・・」

その様子を見て、遥は一層眉を吊り上げた。

噛み締めた唇に、血が滲んでいるのが遠目からでも分かる。

「・・・貴様・・・刀を抜け、殺してやるッ!!」

「・・・・・・ハハッ、お前、やはりそうか」

「何?!」

「何処かで見た面だと思ったら、確か5年前にも会ったな?

あの時も、そうして激情のままに斬りかかって来た」

季沙さんを殺した時のこと?!

「ああ、そうだ・・・!!

俺はな、お前を殺すために5年間生きてきたんだ!」

「へぇ・・・人を憎む、いい目だな」

微笑を浮かべる仇に向け、遥は声を荒げる。

「さぞかし痛いだろうよ、人を憎む眼差しはッ!!」






あいつの柔らかい笑顔は、今もまだ胸にある。

俺を呼ぶ優しい声も、甘い香りも、ずっと愛しくて・・・

いつか迎えに行くんだと誓っていた。

一生寄り添って、生きて行きたいと思っていた。





もう叶わない夢。


目の前の男に奪われた夢。








「季沙を奪ったお前だけは、何を賭しても殺す!」

「・・・季沙? 誰だ?

悪いな、坊や。殺した女の顔までは覚えていなくてね」

鼻歌交じりの一言に、遥は刃を振り下ろした。

強烈な金属音と共に、尋常じゃない呼吸が耳に届く。

「は、遥っ・・・駄目よ、焦らないで!!」

平常心で挑まなければ危ないわ。

「おい、どうした、刃先が曲がってるぞ。もっと楽しませろ?!」

「くそ野郎がッ・・・ふざけるな!!」

どうしよう、捕まっていたら遥を止められない。

私は朦朧とする意識を引き戻して、

私を抱きながら立ち回る昴織の腕に、思い切り噛み付く。



「つッ・・・」

腕が離れ、私は絨毯に崩れた。



「遥、お願い、一旦引きましょうッ?!」

「下がってろ!! いや、お前は先に逃げろ!!」

「そんなの嫌だった・・・ら・・・・・・」

遥を止めようとしたけど、眩暈がして立てない。

しばらくの間、と言ってもおそらく数秒間だと思うけれど、

私はゆらゆらと歪む景色を眺めていた。





すると、突如・・・












「何、この音・・・?!」

おそらく盗賊達であろう野太い悲鳴と、

正体不明の轟音が、ドドド、と地を揺るがして響いてくる。






「来たか・・・桜、行くぞ!!」

遥はそう言うと、横たわった私を肩に乗せた。

そして、私が慌てて懐に密売契約の証文をしまったのと同時に、

勢いよく天幕の外へと走り出した。



「遥、ねぇ、これは何の」

何の音かと問いかけようとして、私は視線を上げた。

すると、濃紺の空に一羽の鷹が旋回している。

あれは広夜くんが言っていた、合図?

「・・・あッ・・・み、水・・・水が押し寄せて来てる?!」

よく見ると、遥の足元は水浸しだった。

何処からともなく膨大な水が押し寄せて、

排水が追いつかないのか、水位はみるみる上がってくる。

「広夜が伝えた話、思い出したか?」






”遠賀川を氾濫させて、砦に水を注ぐのです。

今、将軍の私兵が上流の森の木を切って、川を塞き止めています。

火薬が濡れては、自慢の火器も使い物になりませんし、

絶対の自信を持つ守備が崩されて、混乱するはず。

その隙を見て、僕らは・・・”






「お前、弾薬の在り処を教えてくれたろ?」

「え? あ、ああ・・・」

広夜君に渡した情報に、武器庫のことも確か。



”それから、武器庫なんだけど・・・

大君の密使の見立ての2箇所ではなくて、正しくは4箇所。

稜線の端の、川から一番遠い所に、警備が厳重な建物があって・・・

盗賊が、そこが武器庫だって口を滑らせたの。

同じような仰々しい警備の建物が、他に3箇所あったから、多分”



「・・・あ・・・私、役に立てた・・・?」

遥は息をついて、ゆっくりと私の髪を撫でた。

「上出来だ。

あの辺は真っ先に水浸しにするように指示してきたよ。

今頃すっかり水没して、慌てふためいているだろうな。

奴らの馬も、あらかじめ逃がしておいた」

「馬?」

「少ししたら、兵が団員の捕縛のために砦へ突入する。

将軍が騎馬隊を武装させて、

遊軍として、内々に砦の四面に配備させておいてくれたから。

水に混乱している間に門を奪い、足を失くした盗賊を袋叩きにするんだ」

「でも、高い所には大砲があるの!!」

馬の隊列で砦に入れば、上から狙い撃ちされる。

「それも広夜から聞いて、対処してある。

足場の櫓を潰せば、照準もろくに合わせられないだろう」

遥の声には、成功を思わせる力が篭っていた。

きっと、大丈夫。







「遥さん!!」

銀色の狐が、私達の目の前に降りた。

その姿を見た瞬間、全身にビリッと電気のような感覚が走る。

でも、私を見る緋い眼には、邪悪さなんて微塵もないから・・・




「桜さん、ご無事で何よりでした!

ゆっくりお話をしたいのですが、今は火急の用事が」

私は、微笑んで一度だけ頷いた。

「遥さん、騎馬隊の準備が整いました。突入の指示を!」

それを聞くと、遥は私を広夜くんの背中に移らせた。

壊れ物でも扱うように、優しい手付きで。

「広夜、桜を頼むぞ」

「遥・・・?」

「お前は裏門へ行け、将軍が待ってる。

高台に行けば安全だから、早く傷の手当をしてもらえ」

「でも、遥・・・遥はどうするの?!」

何だか無性に不安になって、私は遥の手を握り締めた。

もっとも、腕が麻痺して力なんて出なかったけれど。

「俺は砦に残る。

あいつとの決着を付けないと、前には進めない」

「嫌、私も連れッ・・・」

口を開きかけて、私はハッと言葉を飲み込んだ。



繋いだ遥の手が、微かに震えている・・・







「いい子だから、駄々をこねずに行け。

お前が・・・お前さえ無事でさえいてくれたら、俺は・・・」



一粒、また一粒、涙が溢れた。





「・・・はる、か・・・」

悲しい訳じゃない、寂しい訳でもない。

私を置いて行くこの人が、愛しくて、愛しくて仕方ないから。



「・・・遥、きっと無事で帰って来て。きっとよ・・・?」

「どうした、ジャジャ馬。そんな顔して?」

涙で濡れた私の真っ赤な顔を見て、遥は小さく笑った。

「もともと膨れっ面なのに、泣いたらもっと丸く見えるぞ。

ほら、そんなに泣くなよ」

「・・・・・・勝って・・・必ず、勝ってね。

卑劣な盗賊なんかに殺されちゃ、駄目だから・・・

無事に仇を討てたからって、自分から死のうとするのも駄目。

また・・・また一緒に旅をするの、そうでしょう?」

離れていた5年間を埋めて、ずっと側に居させて。

私を、独りにしないで。

「怪我の手当てをして、大人しく待ってろ。

全部片付いたら、絶対に迎えに行くから・・・な?」



「・・・っ・・・・・・うん・・・」

大切すぎて、言葉にならない。

たった一言、頷くだけでやっとだった。










待っているから。

ずっと、あなたの無事を祈るから。



信じているから。






だからこれは、最後なんかじゃない。















                                  次頁へ続く













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執筆後記

今回は、予定通りの時期に公開できました!
いつも全く有言実行できていないので、ホッとしました(´∀`*)
内容の良し悪しについては保証しかねますがっ・・・

さて、今回の話は書いていて最高に楽しかったです!
昴織と桜の絡みは、少しだけセクシー(?)な匂いを漂わせつつ、
今後の展開のための布石を盛り込んで・・・
桜と遥とのやり取りは、煩悩全開、フル出力でした///

「いい子だから、駄々をこねずに行け」

を、ずっとずっと使いたかったのです!!><*
遥は最近アホキャラになってますが、元の設定では兄貴タイプ。
なので、ラストは包容力のある感じを全面的に引き出して・・・
やっぱり遥が好きだ、と改めて感じた一話でした。
アンチ遥の読者さまには申し訳ないのですがっ(汗)

あ、ひとつ裏話など。
昴織が桜の腕(と言うか手)に噛み付くシーン。
あれは、アップ直前までは、首筋にガブッといかせる予定でした。
『ボタンを外して、露になった首をー』と言う所まで書いてました;
ただ、「あんた、いつから吸血鬼になったの」と思って(苦笑)
しかも、描写がセクシー(?)過ぎたのもあって修正。
でも、どっちが良かったのか今もちょっと迷っています・・・うーん;;