十六話 「紅眼の狐」









”遥さんが育てた鷹のことを覚えていますか?

作戦決行の合図として、あれを東の空に放ちます。

それまでは、盗賊に作戦を悟られないよう、大人しくしていて下さい。

鷹を確認し次第、盗賊の混乱に乗じて牢を出て、裏門へ向かって下さい。

そこに、仲間の軍が待機していますから。

でも、もし、首領や団員に阻まれるようであれば・・・・・・”




”あなたに、これを渡しておきましょう”











「手筈は分かりました?」

変更後の作戦は、予想以上に奇抜だった。

兵法なんてお構いなしで、一か八かの一発勝負になる。

でも・・・不安だから反対だ、なんて言える訳ない。



「大丈夫、遥と水穂の皆さんを信じる」

「では、そのようにお伝えします。

こっそり牢を出て、落ち合うことになっていますから。

あ、もし何かあればすぐ僕を呼んでくださいね?

お一人で不安だと思いますので、大急ぎで駆けつけます!」

破裂しそうな心臓を、柔らかい笑顔が宥めてくれる。

「ありがとう、頼りにしてるわね。

あ、そうだ、この牢の檻の左から3本目と4本目を折ってあるの!

脱出の頃合になったら、そこから出て?」

「お、折ったんですか?!」

まじまじと、恐怖感の滲む目で私の腕を見る。

「か、怪力で圧し折った訳じゃないわよっ・・・これとこれで」

私は、懐から晒しと小刀を取り出して見せた。

「・・・あぁ!」

晒しを2本の杭に巻きつけて、布の両端を刀に縛る。

このまま刀をクルクル回せば、杭が晒に引っ張られて折れる。

頭の使い方次第で、牢破りなんて簡単よ。

「まぁ、普通のお姫様ならまずやらないでしょうけどね」

「ふふ・・・っ、しぃ・・・足音です。静かに!」

「え?」





「おい、何の話をしていた?!」

しばらく黙って待つと、厳めしい表情の牢番が現れた。

今の会話、聞かれたかしら・・・?

「別に何でも。同じ人質同士、慰めあっていただけよ」

「チッ、可愛くねェな・・・

それより、そっちのお前、首領がお呼びだ!」

牢番が指差した『そっちのお前』は、もちろん私のことだった。

「着替えて今夜の宴に出ろ、だとよ。

あの人は、娘を寝所に招いても普段はすぐ殺しちまうんだが・・・

お前のことは、大層お気に召したらしいなァ」

私達は同時にゴクリと唾を飲み、軽く目配せをする。


「おい、グズグズすんな!」








怖い?


少しだけね。






でも、脅えて屈したりはしない。

最大の敵は弱い心だって、私は知ってる。




























「首領、娘を連れてきました」

足を踏み入れた瞬間に、肌が粟立った。

この間、首領に絞められた首が、何だかひどく痛む。




「うッ・・・?!」

天幕中に、お酒の臭いが充満している。

中には十人近い団員がいるけど、揃いも揃って酔っているみたい。

呆れ顔で見回すと、あの長身痩躯は中央に座していた。


「ようこそ、囚われの王女殿下。

流石だな、そこらの村娘とはまるで風格が違う」

半ば無理やり着替えさせられた、水穂風の裾の長い衣装を見て、

昴織は、切れ長の眼をさらに細めて微笑んだ。

「あら、お褒めに預かり光栄だわ」

「ハッ、心にも無いことを言うのはお得意か。まぁ、いい、座れ」

どすを利かせた私の返答に一頻り笑うと、

突然腕を引き寄せられて、円筒状の背もたれに倒れこんだ。

「祝い酒だ、お前も飲めよ。なぁ?」

「そんなものいらないから、腕を放してよ!!」

首が捩れるほど顔を背けて、私は杯を回避する。

「そんなことより、これは何の宴!?」

「あ? 一ノ谷ででかい仕事が成功した祝いだ。

無事に仕事が済んだ時は、羽目を外すことを許しているからな」

「仕事、ですって?

大君の・・・いいえ、国の財産である純金を盗むことが?

随分と自分本位で迷惑な『仕事』があるものね」

「ははッ、世間の掟なんぞ関係ねぇよ。

俺達が遵守すべきは、盗賊の血の掟だけだからな」

「血の掟?」

「『団の恥は血で雪ぎ、不義には命で贖え』ってな」

「仲間を簡単に殺すなんて酷い・・・!」

「おい、覚えておけよ?

お前ももう、俺達の掟の中にいるんだ。

妙なマネをすれば、俺の手で一瞬で切刻んでやるからな」



そうして、その馬鹿げた掟に則って殺したの?

遥の愛する人を、あなたの穢れたその手で・・・



「そんな脅しは効かないわ、くだらない」

「ハッ・・・だが、お前の手、震えているじゃねぇか」

「これは怒りよ。人を人とも思わない、残虐な鬼への!!」

「・・・俺が残虐な鬼、ねぇ・・・」

昴織はほんの一瞬、悔しそうに表情を歪めた後、

噛み締めるように呟いた。



「何よ、違うとでも言」










―― ワァッ・・・!!

天幕の外から、突如歓声が上がった。

獣の遠吠えにも、地鳴りにも似た、重低音で。



少し、怖い。







「何、あの声・・・?」

「俺達の神聖な儀式だ、覗いて見るか?」

私は差し出されたしなやかな手を無視して、外を目指す。

緊張しきった胸が、ドンと強く打ち続けている。





あら、何かしら・・・?

不可解なものが、視界に飛び込んできた。







人だかりの向こうに、大きな塊が2つ・・・











え・・・?










「・・・ッ・・・きゃああぁッ・・・!!」

私は一瞬で蒼白になり、両手で顔を覆った。



あれが胴と首が切り離された死体であることは、すぐ分かった。

城の中庭で殺された、二匹の山羊を髣髴とさせる男女の・・・

鋭利な切り口が、キラリと紅く輝いている。





「おい、顔だけは潰すんじゃねぇぞ?

お前らの気が済んだら、いつも通り始末しとけよ」


虚ろな目が、こちらを見てる。

水穂の赤土に、血の涙が浸み込んでいく。















「あッ・・・あ・・・」

逃げるようにして戻った天幕は、空だった。

団員は皆、異常な儀式に夢中になって外で騒ぎ散らしている。

私は両腕で上半身を抱え込んで、その場に崩れ落ち、

小さな嗚咽を漏らす。

すると、



「なぁ、いい余興だっただろう・・・?」

私の耳元で、昴織が不気味なほど静かに囁いた。

「あれはな、一ノ谷の警備責任者とその妻だ。

いつも軽く甚振った後、首を狩って水穂の城門に晒」

「もういい、やめてッ・・・!!

あなた達どうかしてるわよ、何故あんなことを?!」

問い掛けて仰ぎ見ると、昴織は薄っすらと微笑を浮かべていた。

「邪魔だった、それ以外何の理由がある?」

「・・・どうしたら、こんなに人を憎めるか不思議だわ。

私、今、あなたと刺し違えて死んだって、後悔しないのよ!!」

恐怖感は全部、怒りに切り替えられた。

怒りで震える手で、懐にしまっていた小刀を取り出す。

「お前に出来んのか?」

「出来ないと思ったら大間違いよッ!!」

この男を見てると吐き気がする。

私は平突きの構えで、昴織の胸板目掛けて走る。


「ハハッ、馬鹿な女だ・・・!!

懐に飛び込んでくるなんざ、正気の沙汰じゃねぇ!」

昴織は嗤笑して、刃を鞘から抜き払った。



「・・・ッ」

遥の腹部の傷を付けた、あの刀だ!!

遠目から見てもはっきり分かる程に粗い、鋸状の刃。




でも、退けない。







”小柄な私の武器は俊敏性”


遥のこの教えに、今までも何度も助けられたね。

大丈夫、私は独りでも戦えるよ。













「何、刀を捨てたッ・・・?!」


鋸状の刃と斬り合う直前に、私は自分の刀を手放した。

放り投げた刀は音を立て床に落ちる。

そして私は、重心を低くして鋸の一撃をかわし、

呆気に取られて出遅れた昴織の懐に、全身で飛び込む。



狙いは、一点――・・・!!
















「・・・・・・ち、油断したな・・・」

首に抱きつくようにしてもたれ込んだ私の体ごと、

首領は勢いよく床に倒れこんだ。

私は昂る心臓を押さえ、即座に天幕の隅に逃げる。



「はぁ・・・はぁっ・・・

あんな恐ろしい刀と真っ向勝負なんて、死んでもご免だもの」

昴織は、しばらく硬直した後、ゆっくりと首に指を這わせた。

首の付け根に、何か違和感を感じたらしい。

「何を刺した、毒針か・・・?」




”もし、首領や団員に阻まれるようであれば・・・

この指輪に、針が仕込んであります。

異国渡りの眠り薬を塗ってありますので、隙を突いて眠らせて下さい。

一刺しするだけで、どんな強靭な獅子でも一日は覚醒しません”

広夜君が、そう言って渡してくれた。




「違う、あなたを殺すのは私じゃない・・・!」

そう言うと、昴織はぐったりと端正な顔を伏せた。

一刺しで即効性があるって、広夜くんは言ったから・・・

これは、成功したのよね?






「・・・ぐッ、う?!」

ホッと息を付いた瞬間、首に何かが巻きついた。

喉が潰れて、息が出来ない・・・!!




「てめぇ、頭に何しやがった?!」

側近の男が首に縄を巻いたんだわ、この状況はまずいッ・・・

私はミシミシと音を立てる縄に、指を絡める。

「あ、うっ・・・はなし、てッ!!」

懇親の力を込めて、側近の脇腹に肘を打ち込む。

すると、側近は苦しげに呻き、スルリと縄を手放した。

「ゲホッ!! くそッ、許さ」

「ゴホッ・・・し、死ぬ訳にはいかないのッ・・・!!」

振り向き様に、私は男の首に手刀を打ち込んだ。

急所を突かれた男は、泡を吹いて前のめりに崩れ落ちる。


「・・・わ、たし・・・い、生きてる、わよね・・・?」

両肩を抱いて、自分の無事を確かめる。

そして、安心したら急に、震えが襲い掛かってきた。


「だ、駄目・・・震えてる場合じゃない。

今みたいに、団員が戻って襲って来るかもしれない。は、早く・・・」

鷹が飛ぶまで、何処かに身を隠さなくちゃ・・・






「・・・あぁ、そうだ・・・」

震える足を踏みしめた途端、ある疑問が浮かんだ。


盗賊が強奪した金を、誰が、何処で買うのかしら?

それは、国内に違法の市場があるかも知れないってことよね。

それを暴かなきゃ、水穂の膿を出せないんじゃ・・・

「売買の帳簿か何かあれば」

それに、もしかしたら宝玉がここにあるかも・・・

私は、物音に気を遣いながら天幕内の引き出しや葛篭を開け、

丁寧に中身を取り出していく。

そのうちに、厳重に封をされた分厚い冊子に辿り着いた。

臙脂色の古びた表紙には、達筆な墨文字・・・




これだ・・・!!




「密売契約の証文・・・」

こっちの羊皮紙の巻紙は、加担者の連署かしら?

水穂の現地語での記載で、半分以上は読めないけれど・・・

これがあれば、金の流出を防げる!!























「へぇ、それが目当てか」











―― ビクッ・・・


今は聞こえるはずのない声が、狭い天幕に響く。

中性的なその声は、不気味なほど低い。












「さっさと逃げれば良いものを。

まぁ・・・ここから逃げた所で、無駄な足掻きだがな」

恐る恐る振り向くと、円筒状の背もたれにその姿があった。

さっきと何等変わりない、落ち着いた様子で杯を煽っている。

気配なんて、少しも感じられなかったのに・・・


「ど、どう、して・・・」

圧倒的な恐怖に声が不自然に上ずる。

「いい作戦だったが、俺には薬なんか効かねぇんだよ。残念でした」

一日は目覚めないはずじゃないの・・・?

「ハッ、分からない顔をしているな。

いいだろう、お前の果断な行動に敬意を表して教えてやる」








「団員すら知らない、俺の秘密を・・・」

















「・・・えッ?!」

気付くと、昴織の顔の輪郭は崩れ出していた。

煌々と紅い光を纏って、徐々に巨大な影を形成していく。







私、この影を知ってる・・・!!







「こんなの嘘に決まってる・・・」

ずるずると後ずさり、昴織の対極に辿り着いた頃には、

銀色の影は、完全な獣の姿に変わっていた。

体毛の所々に紅毛の混じる、紅い眼の禍々しい狐の。


「随分と驚いているようだな」

「・・・あなた・・・よ、妖怪だったの・・・?」

こんな巨大な獣に、ちっぽけな眠り針が効くはず無い。

「自分が如何に愚かだったか分かったろだう、王女様」










「さぁ、食事の時間だ」





優しさなんて欠片もない


獲物を狙う鋭い眼が、怪しく煌いた。













                                  次頁へ続く