十三話 「血の鎖」 「姫様・・・どうか、なさいました・・・?」 「・・・う、うん、あの・・・」 真っ直ぐに私を見つめる瞳は、熟れた果実の緋色。 顔と躯の輪郭は徐々に形を失って・・・ 背後に揺らめく、銀色の巨大な影に溶け込んでいく。 どう言うこと? これは、人間の影じゃない。 「・・・あ・・・ぼ、僕、まさかッ・・・?!」 ハッとした広夜くんは、袖で咄嗟に瞳を隠した。 そして、鼓膜が裂けそうな、悲鳴に近い甲高い声を上げる。 「み、見ないでください・・・!!」 「えッ・・・」 緋い目を庇った彼は、鬱蒼と茂る森へ猛然と駆けて行く。 こんな危ない場所で、一人で何処へ?! 「駄目、待って!!」 引き留めようと伸ばした腕が、空しく宙を掴む。 私は呆然と立ち尽くし、喧しく脈打つ心臓を押さえた。 「お前が心配することはない」 「・・・遥、あれは」 緩々と顔だけで振り返ると、遥は私の肩を軽く叩いた。 「前に『広夜は妖怪の子孫だ』って言ったろ? 毒を緩和しようとして、一瞬、妖怪の血が強まったんだろう」 妖怪の血が強まった? じゃぁ・・・ 緋い眼と複数の尾を持つ、銀色の獣。 あれが、広夜君の本当の姿だったのね・・・? ああ、私はなんてことを・・・ 「私、広夜くんを傷付けてしまったのね・・・ 驚いた顔なんて・・・絶対に、してはいけなかったのに」 「止せ、今は追い駆けるな!」 駆け出した私をの両腕を、遥がきつく掴んだ。 強引に向かい合わせの格好にされ、視線がぶつかる。 「でも、私、謝らなくちゃ!!」 今走り出さなきゃ、広夜くんの信頼を失ってしまう。 「あのな、広夜は怖いんだ。 せっかく親しくなったお前に蔑まれ、忌嫌われないか。 昔から、容姿を見られる度に、酷い目に遭ってきたからな・・・ 今はそっとしてやるのも優しさじゃないのか?」 「・・・ッ・・・馬鹿にしないで! 遥も広夜くんも、私がそんな酷い人間だと思ってるの?!」 「違う! だけど、広夜からすりゃ」 私は遥の両手を振り払い、その反動で地面に倒れこむ。 異様に悔しくて、思わず涙腺が緩んだ。 ねぇ、遥。 ねぇ、広夜くん。 私は、ご先祖様と、違うのよ。 陽くんの昔話を聞いて思ったの。 500年前の過ちを放っておけない。 私は、その溝を埋めるために、ここに居るの。 今走り出さなくてどうするの? 「・・・しら、お頭!!」 「・・・・・・ッ?」 野太い声に促されて、長身痩躯の男は我に返った。 目の前には見慣れた男達の、心配そうな顔が並んでいる。 宴の席で、一瞬、意識を失くしていたらしい。 「考え事をしていた」 「お頭、何処か体の具合でも悪いんじゃ?」 問われても、男は何も答えなかった。 生温い風に遊ぶ紅い髪を一束摘み、そっと口元に寄せる。 そして、漫然と闇夜に浮かぶ丸い月を仰ぐ。 満月か・・・ 道理で血が疼くはずだ。 そして、同時に感じた”あの感覚”は・・・ 「お前ら、さっき、何か感じたか?」 紅毛の男は切れ長の瞳を更に細め、男達に問いた。 「は?」 俺らには何も、と男達は口を揃える。 それを聞いた紅毛の男は、勢いよく杯の酒を飲み干して、 艶やかな唇を一舐めすると、高らかに笑った。 「人間には、分かりっこねぇな」 今、確かに仲間の気配がしたんだ。 それも、気配の消し方すら知らないほど若い同族種。 血の味も・・・餓えも知らない童、か。 「久々に面白い玩具が手に入りそうだ! ハハッ・・・趣向を凝らした歓迎で、持て成してやろう!!」 「は? 何すか、そりゃ?」 「詮索するな、お前らには分からんことだ」 そう、分からないだろう。 同族に会うこの嬉しさが、この愉しさが。 さぁ、俺の元に来い。 お前の、血の鎖が導くままに。 「やっと追い付いた!!」 私の第一声に、小さな背中は大きく震えた。 元々小柄な子だけど、今日は格段に線が細い気がする。 それでも彼は平静を装い、深々と頭を垂れた。 「先程は、取り乱してすいませんでした。 姫様の御前でのご無礼、重ねて陳謝いたします」 決して目を合わそうとはせず、淡々と業務的な言葉を紡ぐ。 それが、妙に寂しく思えた。 「いいのよ、そんなことを気にしないで・・・ それより、皆心配してるから一緒に戻りましょう?」 額に浮かんだ汗を拭いながら、私は利き手を伸ばした。 でも、広夜くんは首を縦には振らない。 「いいえ、僕は今暫くここに・・・」 「一瞬でも驚いてしまったことは謝るわ、ごめんね。 でも、私・・・たとえあなたが妖怪でも、友達になれて嬉しかったの。 それなのに、今更何を気にする必要があるの?」 広夜くんは軽く会釈して、私に背を向けた。 そして、昇ったばかりの満月を仰いでから、ぽつりと呟く。 「あえて言うなら・・・」 「僕の、血です」 誰にも言っていないことだけど・・・ 満月の晩になると、身体が酷く疼き出す。 そして、血の甘い芳香を求めて、どんどん餓えていって・・・ 体中に滞りなく行き渡った獣の血が、僕に訴える。 ”サァ、カリヲ、ハジメヨウカ” 僕は、人間にはなれない。 それどころか敬愛する王君様さえ、 いつか、この牙歯で喰い殺してしまうかもしれない。 そんなこと、僕には耐えられない・・・!! それなのに・・・ この穢れた血を、心底疎ましく思っているのに、 僕は、永遠に血から逃れられない。 ねぇ、教えて。 穢れにまみれた僕は、どうすれば? 「ねぇ、姫様・・・本当は、僕・・・ 捕らえた盗賊を殺した犯人を、知っていたんです」 「えっ?!」 意外な一言に腰を抜かしそうになる。 「犯人は・・・盗賊に加担している妖怪なんです」 巨大な影が豪速で駆け抜けたと言うのは、妖怪のことなの? でも、遥の前では知らないと言ったのに・・・ 「僕・・・それを、誰にも言えませんでした。 言ってしまったら、皆が、同族の僕を軽蔑すると思ったから。 怖いんです、穢れた血が・・・とても・・・」 「私もね、穢れた血族の生まれ。 軽蔑されて、口汚く罵られても仕方ない程のことをした」 「・・・それは、どう言うことですか?」 驚いた顔をする彼を、私は暗澹とした気分で眺める。 「500年前のご先祖様の話なんだけどね。 平和共存してた妖怪を殺戮して、土地から追い払ったの。 『妖怪は悪だ』って言う陳腐な誤解のために。 妖怪と人間の間で、確執なんて何もなかったのにね・・・」 私はこの旅で、それを知ってしまった。 ごめんね。 多くの生命を、絆を、未来を犠牲にした・・・ そんな重罪・・・遠い子孫だからって、許されやしないわ。 妖怪殺しの罪の螺旋は、この先も切れることはない。 だから、私は決めたの。 私に出来る限り、ご先祖様の罪を贖うこと。 私も広夜くんと一緒。 罪を知られて罵倒されるのは、とても怖い。 でも、逃げるのだけは絶対に嫌だ。 だからこそ・・・ 「私はまず、あなたからの赦しが欲しい。 妖怪の本性がどうであれ、私は全てを受け入れるから・・・」 忌み嫌ったり、乱暴したりしないから。 だから広夜くん、あなたも、逃げないで聞いて。 「姫様は僕が怖くないんですか?! 僕は、いつか本能のままにあなたを殺してしまうかもしれない! 僕の体は、この眼はッ・・・!!」 私は、錯乱して緋い目を擦る彼の手をそっと握る。 「とても綺麗よ、燃え立つ夕焼けの色」 怖くなんかない。 だって、私は知っているから。 あなたの心が、誰よりも綺麗だってことを。 だから、ねぇ、怖がらなくていいんだよ。 「さぁ、傷の手当てをしましょう?」 広夜くんは、困惑したような表情を浮かべる。 それを無視して、私は二の腕の傷に薬草を貼り付けた。 「あ、ごめんね。 包帯がないから、汚いけどこれで我慢してくれる?」 そう言って、髪からりぼんを解く。 「あのっ・・・いけません、大事なりぼんが汚れてしまいます」 「いいのいいの、構わないから使って? こうして三角の布で縛ると緩まないの。はい、出来た!」 よし、と満足げに頷くと、彼は頬を赤らめた。 「あ・・・ありがとう、ございま」 ―― グイッ・・・ 朱色のりぼんを巻いたばかりの細い腕が、 突如、頭上に捻り上げられる。 突然の事態で、何が起きたのか分からない。 「う、あっ・・・!」 広夜くんは苦痛に顔を歪めて唸った。 私は慌てて腕の先を見上げ、小さく声を漏らす。 「あっ・・・?!」 犯人は、浅黒い肌をした屈強な男だった。 遠賀川の河岸で私を襲った盗賊と、同じ格好をしている。 下卑た嗤い声までそっくりそのまま・・・ ―――― この人、盗賊ッ?! 私は慌てて懐に利き手を入れる。 そして、小刀の鞘に手をかけたのと同時に、 「おっと、動くなよ」 男が私を威圧し、一瞥してニタリと歯を見せた。 ゾッとして胸の奥が冷えていく。 それでも、私はあくまで毅然とした態度を維持して怒鳴る。 「あなたこそ、その子から手を放して!!」 「ヒュゥ・・・こりゃぁ、威勢のいいお嬢さんだなァ」 「ふざけないで、何が目的なの?!」 「女だよ、女。連れて来いって、上役からの命令でなァ」 「その子は男の子よ、他を当たって頂戴」 「ハハハッ、他を当たれだとさ!!」 男がそう嘲ると、背後から笑い声が重なった。 ちらりと視線を流すと、ざっと5・6人の男達が屯している。 「小僧でも、これだけの上物なら構わねェよ」 「・・・冗談じゃないわ・・・」 今、ここで戦うのは得策じゃない。 護身刀一本で団体を相手にするなんて、私には無理だわ。 でも、私はともかく、広夜くんを危険に晒す訳には・・・ それなら、いっそ 「・・・私と、取引をしましょう?!」 ごくりと唾を飲み込んで、脳内で慎重に言葉を選ぶ。 この人達の興味を私にだけ引きるけるように・・・ 「女が必要なら、私1人連れて行けばいい!! その子を見逃すなら、無抵抗で付いて行ってあげるわ。 条件を飲まないなら抵抗して、捕まる前に彼と揃って自害する。 そうなれば上役に怒られるんじゃないの?! 大の男が6人もいて、女の1人も満足に浚って来れないのかって」 「・・・チッ、クソ生意気な女だぜ」 私の強気の姿勢に、首領格の男はチッと舌を打った。 「いいだろう、そいつの条件を飲んでやろうぜ」 近寄って来た新手の男は、嘗め回すように私の全身を見た。 そして、クツクツと喉を鳴らして嗤う。 「こんな上物の女が無抵抗で従うってんなら、言うことねェよ。 こっちのチビには、夜伽はまだ早そうだしなァ・・・」 最低だ、下劣な言葉に吐き気がする。 「そうと決まれば、お嬢さんよ。とっととこっちに来な」 私は歩み出て、盗賊を睨み付ける。 すると、脂汗を滲ませた広夜くんが腕に縋った。 「姫さ・・・いえ、桜さん!!」 「私は大丈夫だから、あなたは遥の所に戻って」 私はその機に乗じて、そっと耳打ちする。 (私は一足先に砦に入って待っています。 前線でのあなたの”駒”になるから、指示をちょうだい) 「さ・・・さくッ・・・!!」 この取引のおかげで、公然と砦に入れる。 だから、きっと無事で、あなたの役に立ってみせるわ。 「おい、女ァ、何をもたもたしてやがる!!」 私は片目を瞑って合図をしてから、 男に引き摺られるようにして、広夜くんから離れた。 きっと、役に立ってみせるから・・・ どうか、遥。 私の無茶を許してね。 次頁へ続く *_____________________________________________________________________________________________________________*
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