十二話 「水鏡」








「お?」







「桜、良かったな、洞穴の出口だ」

前を歩く遥の体が、仄かな橙色に染まった。

『来い』の手招きに促されて、私も小走りに光の先に近付く。

そして、思わず感嘆の声を上げた。








「う、わぁ・・・眩しい・・・」

ちょうど目元に強烈な陽光が差し込んでくる。

松明の薄ぼけた灯り以外の光なんて、もう何日ぶりかしら?

足元では滝が盛大に飛沫を上げていて、余計に清々しく感じる。

感極まった私は思い切り伸びをして、うう、と唸った。




「ふぅ、地下暮らしはもうこりごりだな」

まったくもって同感だわ。

岩場の蒸した空気を思い出すと、吐き気を催すもの。

「それも、こんな発育不良のジャジャ馬となんて耐えられない・・・」

「ちょっと、今何か言っ・・・うっ?!」

振り返って怒鳴ろうとした所で、背後から口を塞がれる。

「シッ・・・大きな声出すな、状況を考えろ。

ここらは奴らの領域なんだから、何処に潜伏しているか・・・」

はっと我に返り、こくこくと首を縦に振った。

地下水脈を出たここは、砦の目と鼻の先なんだわ。



一瞬の油断が、命取りになる。





「よし、分かったら降りるぞ」

洞穴の出口は、随分と高い場所にあった。

岩の陰から覗くと、滝壺と地面は遥か下に見えている。


「ここからどうやって・・・?」

「飛び降りるのが一番手っ取り早いんだが・・・

高さも大分あるし、落音で盗賊に感づかれたら危ない。

面倒だが、滝の裏側の岩壁を伝い降りよう」

遥はケロっとした声で、よし、と頷く。

一方の私は、落ちたらお陀仏の高さに身が竦んでいた。

遥なら平然とやってのけるだろうけど、私は・・・



「ほら、背負ってやるから来い」

遥の意図が読めずに、私は首を傾げた。

すると、遥は半ば強引に私の腕を自分の肩に引き上げた。

「苔が滑るし、腕力のないお前には厳しいだろ」

「でも、私、すごく重いんだけど・・・」

「いいから。それより、負ぶさったらしっかり目を瞑ってろよ?

下を見て泣いても失神しても、構わず進むからな。

よーし、行くぞ」





不意に、涙が毀れそうになる。

それは、高い所が怖いとかそんなことじゃなくて・・・

こう言う思い掛けない優しさを感じた時。




当然みたいに私を負ぶった腕が、胸に痛い。















「遥、すごい汗だけど平気?」

滝を三分の二ほど降った所で、岩の凹凸が激減した。

だから今、遥は腕の力だけで二人分の体重を支えている。

足場がない分、きっとかなり付加が・・・


「がたがた騒ぐなよ・・・こんなもん、ただの水飛沫だ」

そうは言っても息が荒いし、腕も痙攣してるもの。

「ねぇ、もう飛び込みましょう?!」

ちょっと痛いかもしれないけど、遥の方が心配だわ。









そう言った瞬間







滝壺付近の茂みが、不自然に揺れた。

耳を澄ますと、三人ほどの足音と話し声も聞こえる。


『いたか』だの『この辺だ』だのって・・・









「・・・何かを探してるみたい」

「連中か、まったく厄介な時に現れるもんだ」

遥は私を庇うような体勢になって、岩陰に身を潜める。

そして、懐に仕込んだ小刀に視線を落とした。






心臓が飛び出そう・・・

負ぶさった腕に力がこもり、唇を噛み締める。



















「遥さん?」












え?



どうして名前を・・・














「遥さん、僕です。広夜です!

この辺に賊はいませんし、警戒しないでください」

滝で隠れて姿は見えないけど、彼だ。

久しぶりに聞く声に、懐かしさが込み上げて来る。

「広夜か! よし、飛ぶぞ」

「え?」

敵がいないと知るや否や、遥は壁から腕をぱっと放した。

負ぶさったままの私も道連れにして・・・






「ちょ、ま、待っ・・・わッ?!」



飛沫さながらに、空中で身体が躍る。

そして、心構えをする暇すらなく渦巻く滝壺へ・・・









「きゃあぁッ・・・!!」



























「ふえっ、くし・・・!!」

青褪めた唇が、盛大なくしゃみを溢した。

それを見た兵士が、慌てて枯木で焚火を起こしてくれる。



「せっかくご無事な姿を拝見できたのに、

お風邪を召されては大変ですから、もっと火の側へ」

実はあまり無事ではないんだけど・・・

私は、広夜くんが渡してくれた浴布で体の水を拭いながら、

水面に叩き付けられた拍子に痛めた首筋を摩っていた。

「ありがとう・・・じゃぁ、遠慮なく」

私は顔に張り付いた髪を払って、火に手をかざす。

「それにしても、まさかここで会えると思わなかったわ」

「あぁ、驚いた。広夜、お前の采配か?」

「はいっ、遥さんならご無事で先へ進むと思ったので!」

「お前は賢いなぁ、広夜。でかしたぞ」

遥は、広夜君くんの頭をワシワシと撫でてやる。







広夜君くんの話では・・・

私達は、十日間も地下をさ迷っていたらしい。

その間、兵士達は遥の行動を予測して森に隠れていたと言う。


でも、今朝になって



「遥さんの声がはっきりと聞こえたんです!

あ、ほら・・・僕、耳がとてもいいから。

それで、本隊から離れて、偵察がてら洞穴の出口までお迎えに・・・」

「そこに、私達が運よく到着したのね」


「それで、俺達を襲った盗賊達は?」

遥の問いで、今まで屈託なく笑っていた顔に影が差す。

「捕らえたんだろう?」

「もちろん、全員城に連れ帰りました。

そして、一昼夜、責め問いを続けたのですが・・・でも、あの・・・」

広夜くんは言い難そうに目を逸らして、口篭った。

「はっきりしないな、どうした?」







「彼らは、全員死にました」







「し、死んだって何故?!」

口に含んだ白湯に噎せて、大きく咳き込む。

体格が良くて、いかにも丈夫そうな大男が十人もいたのよ?!

一昼夜の拷問くらいで死んでしまうなんてありえない。


「地下牢の中で、何者かに惨殺されました。

牢番が見つけた時には、既に事切れていたらしく・・・

すいません、見張りを強化しなかった僕の責任です!!」

「いや、不可抗力だ。それで犯人は?」

「存じません。

ただ、牢の壁に血で文字が綴ってありました。

またいつも通りの、”双神”と”怨”の三文字です」





「・・・ッ!!」

二頭の山羊の死に様が頭を掠める。

お城の中庭を染め上げた、あの鮮血の赤が・・・





「盗賊の、仕業なんだな」

広夜君くんは返事をせず、俯いて言葉を続ける。

「彼らは有力候補ではありますが・・・

でも、巨大な影が牢の付近を駆け抜けた、と言う情報も入っています。

遺体の傷跡も、大型の獣に裂かれたようなものでしたし」





巨大な獣の影?





「・・・どちらにしても脅威だな」

『極秘に連れ戻った盗賊を、一瞬で手際よく殺せる』

それは、敵が簡単に城の内情を知ることが出来る事を示唆している。

すなわち、大君くらいいつでも殺せると言う警告だわ。

「ねぇ、盗賊の遺体はどうしたの・・・?」

「大君様の計らいで、遺体は供養をして墓地に」








あぁ、どうして殺すの・・・?



命の重さ全てを贖うことなんて

どう足掻いたって出来やしないのに・・・






どうして、奪うことを恐れないの。











「再会早々、物騒な話しをしてすいません。

とりあえず、森の奥で待機している本隊に合流しましょう?

天幕に戻って旅の疲れを落としてください」

広夜くんは不安げに眉間を寄せて、立ち上がる。

彼だって平気なはずないのに、私が沈んでいるせいで気を遣って・・・

「あっ・・・あの、私は平気だから」

「無理をするな、お前は少し休んだ方がいい」

「そうですよ。あ、安全面ではご安心を!

今度は、警備のため小隊長が同行して下さいましたから」






「さぁ、本隊はこっちです」


そう先導され、茂みに入った瞬間・・・

















―― ブチッ・・・!!



茂みから何かが飛び出し、

皮膚を破る、おぞましい音が森に木霊した。















「うわ、あッ・・・!!」

茂みから飛び出したそれは広夜君くんを襲い、

二の腕の皮膚にガブリと喰らいついて、なおも威嚇してくる。

広夜くんは背後に倒れ、小柄な体を小刻みに震わせる。






「鎖蛇ッ!!」

三列の黒い輪状の柄を持つ淡褐色の蛇が、

私の背丈ほどはありそうな体を渦巻状に巻いて蟠っている。

「くそっ・・・桜、広夜の手当てを!」

鞘から刀を抜き払い、尾目掛けて振り下ろした。

でも、蛇は素早く体を八の字にくねらせ、刃を軽く逃れる。

それどころか、シャァと呻いて飛び掛ってきた。



大丈夫かしら・・・

でも、私には私の戦場がある。





「広夜君くん、傷口を見せて・・・!!」

血の染みた袖を破ると、ぽっかり2つ穴が空いている。

私は、薄っすらと青紫に変色したそこに唇を寄せ、

毒素を吸っては吐き出す、と言う行為をひたすら繰り返す。

「大丈夫だから、大丈夫だからね!!」

早くちゃんと血清を打たないと危ないわ。

とりあえず私は、良薬になりそうな葉を数枚むしった。

すると


「・・・だ、いじょうぶです・・・

僕は毒には耐性がありますので、姫様こそ・・・」

「駄目、喋ると毒が早く回るから」

小さな体を捻って起きようとする彼を、寝かし付ける。

そして、顔を覗き込んで













え・・・?




思わず、持っていた葉を落とした。

















「広夜くん、あなた・・・」


私は口を噤んで、目を開け放った。





広夜くんの瞳が、緋色に染まっている。

普段の青とは対照的な、熟れた果物のような色に・・・

そして、彼の背後には




巨大な影が揺らめいていた。











銀色に輝く、影が・・・
















                                  次頁へ続く











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執筆後記

また、盗賊の痕跡が出てきました。
私は彼らの悪っぽい所が大好きなので楽しかったです(笑)
流石に、彼らの残虐な行為を想像すると「ぐえー」となりますが・・・
でも、この先のメインは彼らと言っても過言じゃないので、
張り切って書き進めたいと思いますv

それから、何と言っても広夜の変貌!
毒蛇云々の流れは、正直言って気に食わないのですが・・・
だって、蛇一匹で大騒ぎするのって、何だかすごくショボい気がして(汗)
でも、「この辺で広夜の妖怪バージョンを出そう」と思った時に、
きっかけになる出来事が何も浮かばなかったんですorz
まぁ、それはいいとしてっ・・・
もう少しはっきりした姿は、次の話で書きます。
是非、広夜の妖怪バージョンを見に来て上げてください。

あ、宝物のページに狐の広夜の絵があります///
サブ絵師の白玉さんが描いてくださったんですー!!><*

可愛すぎます、犯罪です。

なので、是非ご覧下さいませ♪
ただ、あの狐広夜はフィクションですのであしからず。

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執筆中のBGM:緑の森で眠ル鳥(志方あきこさん)