十話 「光硝子」 「・・・ゴフッ・・・!!」 気道が塞がれて、息が出来ない。 雨で土砂の割合が多くなっているせいか、水が重く感じる。 ちくしょう、こんな薄暗い所で溺死なんてご免だぞ。 それに、何よりも・・・ 「おい、桜、しっかりしろ?!」 俺は、腕の中に収まっている桜を見遣った。 体は力なく濁流に揺らめいたまま、ピクリとも動かない。 まずいな・・・ 返事をするどころか、意識すらないらしい。 異様に青褪めた唇が、状況の悪さを物語っている。 「くそッ・・・!!」 何だってこんなことになるんだよ。 早く、こいつを手頃な岸まで運んでやらないと・・・ 「別に怒ってないったら」 「その態度、どう見ても怒ってるだろうが! 俺だって必死だったんだから、少しは大目に見ろよ?!」 遥は、水浸しの上着を脱いで水を絞りながら、 そっぽを向いて座した私に対して、懸命に弁解を続けている。 その理由は、腫れ上がった私の頬にある。 早々に意識を失くした私を助けたのは、遥だった。 私を岸に引き上げて、乾いた薪を探して火を付け、 おまけに・・・ 私が目を覚ますまで、延々と頬に平手打ちを食らわせてくれた。 なんて有難くて、気の利いた人命救助なの。 「おかげ様で、スッキリ目が覚めたわ」 湿らせた手拭を宛がいながら、私は唇を尖らせた。 両頬はヒリヒリと痛んで、触れるとかなり膨れ上がっている。 心配してくれたのは有難いけど、限度ってものが・・・ 「あー、悪かった悪かった。 責めは後でじっくり聞くから、さっさと服を脱いじまえ」 「な、な、何を言ってるのよ?!」 「風邪ひくから、脱いで干せって言ってるんだ。 長時間、水に浸かってたせいで、体温も奪われてるしな」 そう言った遥自身は、もう既に水浸しの上下を干し終えていた。 改めて我に返ると、肌にはプツプツと鳥肌が立っている。 「で、でも・・・」 「安心しろ、お前みたいな丸太に興味はないから」 「まる、た?! 何よ、もうっ・・・!!」 「で、具合はどうなんだよ」 単衣以外の衣服を焚き火の周りに吊るして、 肌が透けないように膝を折り畳んで座り、問い掛けにゆっくり頷く。 「怪我はないし、水も全部吐いたから平気よ」 「大事に至らなくて良かったよ、本当に。 だけど本来なら、お前は今頃三途の川を渡ってたぞ!! 敵前で呆けて突っ立っている奴があるか?! 注意力散漫にも程がある!」 「ご・・・ごめんなさい、ちゃんと反省してるわ」 しゅんと肩を落とした私を見かねて、遥は溜息混じりに頭を掻いた。 「反省してるならもういい。でも、次はないからな」 「はい。あっ・・・そうだ。ねぇ、ここは?」 見慣れた風景とは全く違う。 見渡す限り、周囲はゴツゴツとした岩石に覆われている。 完全に光は遮断され、炎から離れると、濃紺の闇しか見えない。 川縁から急流に落ちて、どうなったの・・・? 「下流の洞穴地帯に入ってる。 岸に上がるまでにかなり流されたらしいからな」 「ええッ・・・?!」 前に広夜くんが言ってた、例の?! 死亡事故多発の地下水脈、とやらに来てしまったの? そ、そんな危険な場所でよく助かったわね・・・ 「あの・・・助けてくれてどうもあ」 「あんな状況だったし仕方なくだ、仕方なく!! お姫様を見殺しにしたら、減給どころか斬首も免れないからな」 お礼くらい言わせてくれたっていいのに! でも、憎まれ口を叩いたって、ちゃんと理解ってるわ。 自分だって危ないのに、必死で飛び込んでくれたのよね? 私が微笑うと、照れた遥は慌てて顔を逸らした。 「よし、今日はとっととメシ食って寝よう」 「飯? ・・・ああ、そう言えばさっきから・・・」 火の側には、窪んだ岩の器が置かれていた。 そして、中では赤く濁った液体が煮詰まって、湯気を立てている。 それを見た途端に空腹感が込み上げて、小さくお腹が鳴った。 「美味しそう、あなたが作ったの?」 「料理下手のお前と違って俺は上手いもんだぞ? 水穂の任務では自炊することが多かったし、もう慣れたよ」 「でも・・・ねぇ、あの・・・こ、これは何?」 茸らしき飴色のものと、黒い物体がゴロゴロしてるけど・・・ 「ああ、これはコウモリ」 「コッ・・・!?」 ケロッとした声音で言い放たれた4文字に、 私は卒倒しかけて、喉の奥から込み上げてくる物を抑えた。 贅沢は言えない、と思いつつも口の端が引きつる。 「水穂じゃ普通に食べてるし、我慢しろ」 「・・・・え、えええ・・・?」 「桜、起きてるか?」 「・・・ん・・・丁度、寝付けずにいたところ」 獣の唸り声みたいな風の音が不気味なんだもの。 それから、さっき食したコウモリの味も一因ではあるかも・・・ う゛ッ・・・ど、独特の臭みを思い出すと胃が痛くなる。 「真剣な声を出して、どうかしたの?」 布団代わりにしていた乾いた上着から、もぞもぞと這い出した。 「あのな、昼間からずっと考えていたことなんだけど・・・ こんな水脈に流されたのも何かの縁だ。 このまま下流に向かって、地下洞穴を進もうと思うんだ。 本流との合流地点で地上に出れるはずだし」 「この空洞、大丈夫なの?」 風の音がするから、抜け道はあるのだと思う。 でも、万が一迷ったり、増水でもしたら、地底に閉じ込められる。 「正直、道々の安全は保障できない。 だけど、引き返す方がおそらく何倍も困難だろうからな」 「いいわ、私は遥に付いて行く。ふえっ、くし・・・」 「風邪、ぶり返したか?」 私の返事を待たずに、遥は自分の衣を掛けてくれた。 「それ着て寝てれば、少しは暖かいはずだ。 寄り添ってりゃ一番いいんだが、来いっつっても来ないだろ」 「当たり前でしょ、狼男なんかと・・・」 上着を頭から被った所で、ふと遥の体が目に留まった。 「・・・・・・・・・」 「何だよ、俺の体がそんなに珍しいか?」 「ち、違うわよっ・・・ただ・・・傷が、沢山あるんだなって思って」 肌蹴た胸元には、大小様々な傷が残っている。 そのほとんどが、5年前遠征に行く時にはなかったものだ。 「ん? まぁ、仕事してたら自然にな。 おい、あんまりジロジロ見るなって。いやらしい奴だな」 「あのねぇ・・・・えっ?!」 馬鹿、と反論しかけて、私は思わず口を噤んだ。 目を見張ったまま、動けなくなってしまった。 一際大きくて、無残な傷跡が、視界に飛び込んできたから・・・ 「・・・そ、それ・・・」 左胸から、右の脇腹にかけて・・・ 鋭利なノコか鉤爪で、無理に引き裂いたような跡が残っている。 焼け爛れたように赤く色付いて、見るも痛々しく。 こんな酷い傷、普通じゃない・・・!! 「気味悪い傷だろ。 これは・・・5年前に、水穂で受けたもんだ。 季沙が襲われた時、俺はこの傷のせいで動けずにいた」 季沙さんが襲われた時・・・? じゃぁ、この傷を穿ったのは、もしかして首領なの? 「季沙に致命傷を与えたのと同じ刃でな。 酷い熱と痛みに襲われて、俺は昏倒して動けなくなって・・・ 目の前で弱っていく季沙を見殺しにしたんだ」 小さく震えがして止まらない。 「情けないよなぁ・・・」 「・・・私・・・本当は、仇討ちはよくないと思うの。 愛する人の弔いが復讐だなんて、悲しすぎるじゃない・・・?」 「・・・・・・かもな。季沙もきっとそう言う」 呟いた遥は、複雑そうな表情を浮かべて俯いた。 復讐なんて止めてって言うと思うわ。 大切な人だと思うからこそ、きっと止める。 でも・・・ 「でも、許せない・・・許せないわ・・・」 震える指先で、のこぎり状の傷を撫でてみた。 皮膚が歪んで癒着したのか、激しい凹凸が残っている。 紅く脈打つこの傷は、どんなに痛かったかしら・・・? どうして、こんな惨いことが出来るの。 殺してやりたい。 「遥をこんなに傷付けて・・・!! 私がその場にいたら、こんな惨い事させやしなかったわ。 首領にも、同じ目に遭わせてやりたいッ・・・!」 どうして、こんなことが出来るの。 たまらなく憎くなって、気付くと噎び泣いていた。 「・・・桜、ありがとな。 お前のそう言う真っ直ぐな所、好きだ」 そう言って、私の頭を一度叩くと、遥は無造作に涙を拭った。 そして、服をたくし上げて胸元の傷跡を隠してから、 嗚咽を漏らす私に向けて、ゆっくり口を開いた。 「季沙の家はさ・・・」 ―― え? 私は面食らって黙り、泣き腫らした目で遥を見た。 過去を話すのを毛嫌いしていた遥なのに、どうして急に・・・? 「俺がガキの頃は、酷く貧しかったんだ。 病がちな義父上のために薬が必要だったし、弟妹も多くてな。 義母上が田畑を耕して、季沙がチビ達の面倒を見てた。 その合間に、俺や遠子とよく遊んだよ。 でも、季沙が10歳の頃、とうとうその生活も限界になって・・・」 「それで、どうしたの?」 「借財のために、巡業中の楽団に身売りに出された。 季沙は近隣の村でも評判の舞姫だったから、高値が付いて・・・ あいつ自身も、それを喜んでいたよ」 「止めなかったの?」 「止めたさ、もちろん・・・」 別れの朝。 季沙は、楽団の荷馬車の隅に腰掛けていた。 花の香を焚き染めた衣装に身を包み、美しく化粧をして。 そんな、村の誰よりも美しく着飾った季沙を見ながら・・・ 俺は、たまらなく苛立っていたっけ。 「嫌だ・・・季沙、行くなよ!!」 俺はただ、ひたすら感情的に引きとめ続けた。 家族を守ろうとする季沙の決死の覚悟も、葛藤も知らずに。 「俺が代わりに働いて、家族養ってやるから!」 食らい付いた俺の瞳に、季沙の不安げな表情が映った。 「遥くん、ありがとう・・・」 それが出来たら、どれだけ嬉しいだろうね。 「でも、私はもう大人だもん。甘えてちゃ駄目だよね!」 「嘘付くな。じゃぁ、何で震えてる?!」 そう言うと季沙は震える肩を抱え込んで、唇を引き結んだ。 ほら、やっぱり強がりじゃないか。 かと思うと、次の瞬間には不敵に微笑んで、 「遥くん、頬っぺたに泥!」 紅を差した唇を、ニッと大きく開いた。 そして、手拭でゴシゴシと汚れを擦り、満足げに頷く。 「き、季沙・・・?」 「私達っていつも泥だらけだったよね。 でも、私・・・今度は泥じゃなくて、白粉を塗って帰ってくるの! とびっきりお洒落をして会うから・・・そしたら・・・」 「・・・そしたら、俺の所に嫁に来て。 村に帰って、義母上や遠子達と一緒に暮らすんだ」 「・・・それ・・・・・・ほんと?」 故郷や家族と離れて異国を巡るのは怖くない。 旅先でどんな困難にあったとしても、耐えていけるの。 ただ1つ、怖いことがあるとすれば・・・ 「約束、してくれる?」 「ああ、誓う。だから・・・必ず・・・」 美しい萌黄色の瞳が、初めてジワリと潤んだ。 抱き締めた腕に力なく頬を寄せて、一度だけ唇を重ねた。 「えへへ・・・大好きだよ。遥くん、大好き。 私を忘れないでね。生きていたら・・・きっと、また会えるから」 次に会う時は、最高の花嫁衣裳を着て・・・ もう、ずっと、死ぬまで離れないの。 その日を夢見て、生きていける。 同じ夢を見て、独りでもきっと生きていける。 だから、私を忘れないでね? 「自立した人だったのね」 「普段は脆いくせに、時々驚くほど強くなる。 おまけに頑固で、一度言い出したらてこでも動かないんだ。 扱い辛くて、しょっちゅう苛々してたよ」 「でも、そう言う所も好きだったんでしょう?」 「・・・・・・ああ、好きだった。 俺は若干7つのガキだったけど、ガキなりに真剣だった」 「でも・・・どうして、季沙さんの話を私に? 話してとせがんでも、前は何も教えてくれなかったのに」 「あー・・・・・・さて、何でだろうな。 さぁ、昔話は仕舞いにして、そろそろ寝るぞ。ほら!」 「もう、いっつもはぐらかすんだから・・・!」 俺だって不思議なんだ。 どうしたら、お前にそれを説明できる? 季沙を、忘れたことなんてなかった。 でも、あいつを思い出す度に・・・ 傷を見る度に、悔しさと哀しみで胸が潰されそうだった。 だから、過去を語ることを頑なに拒んで、 胸の奥に蓋をして、大切に、大切にしまっておいたんだ。 なのに今は、懐かしさだけを感じられる。 驚くほど穏やかな気持ちで、季沙の話をしている。 俺の心は、徐々に癒されている。 きっと、それは・・・ 桜がいるからだ。 意地っ張りで、口喧しくて、短気で、涙脆いこのお姫様が・・・ 生きて、俺の側にいて、温もりをくれるから。 胸に残る、季沙と揃いの傷跡も、 心と同じように、いつかは癒えるんだろうか? お前の光に照らされて・・・ 次頁へ続く *_____________________________________________________________________________________________________________*
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