九話 「泡沫」 「桜、俺の後ろに隠れてろ?」 私と遥を囲んだ男達は、熊か何かの薄汚れた毛皮と胸当だけを纏って、 毛皮に飾られた籠手の先には、物騒な刃物を握っている。 そして、全員揃って、ニタリと下品な微笑を浮かべた。 背筋が、ゾッと冷えてくる。 この人達が、盗賊なの・・・? ”途轍もなく人相の悪い一般人”かもしれないけれど・・・ 震える足が、そうじゃないと訴えてくる。 「わざわざ歓迎しに来てくれたのか?」 平静を装っているのか、本当に何も気にしていないのか、 遥の声音には恐れの色なんて微塵も見えない。 「見回りの途中で、えらく豪勢な天幕が見えたもんでなァ」 「まったく・・・毎度毎度、暇な連中だな」 ど、どうしてそんなに落ち着いているのよ?! ならず者と、暢気に会話なんてしてる場合じゃないでしょ。 天幕にいる兵士が、こっちに気付かないかしら・・・ そう思って首を捻ると 「こいつ、女を連れてやがる!!」 立ちはだかった盗賊のうち、狡賢そうで小柄な男が声を上げた。 ミミズが喋ったら、きっとこんな声に違いないわ。 「こいつァ、田舎にゃ珍しい上物だ・・・」 「置いていきな、兄ちゃん。そしたら命までは奪らねェからよ」 うう・・・嘗め回すような目付きが気味悪い。 でも遥は、彼らを完全に無視して一言『下衆が』と呟き、刀に手をかけた。 盗賊の数は、一、二、三・・・ちょうど十人。 こんなに大勢を相手にして、大丈夫なのかしら・・・? 「ほら、さっさとかかってこいよ。 砦の詳しい情報が欲しかったところだし、相手になってやる」 軽々と鞘を抜き払った遥と、一瞬、視点が合う。 その拍子に、出発前の遥の一言が脳裏を過った。 ”万一の時、お前は攻撃に転ずることになる。 ほんの一時も・・・相手が誰であっても、絶対に気を許すな” 今がその『万一の時』なのよ、ね・・・? 他に誰もいないんだから、私が遥を援護するしかないんだわ。 ごくりと唾を飲んで、帯に括った刀に手を伸ばす。 もしもの時に応戦しようと下げてきた、太刀に。 出発した時は、 こんなに早くお世話になるなんて・・・ それも命を預けるなんて、夢にも思わなかったけど。 ―― ギィィンッ!! 鉄が互いに弾き合い、轟音を立てる。 風を裂く音も同様に鋭く、何処までも喧しく聞こえる。 でも・・・一番煩いのは、きっと私自身の鼓動だわ。 「くッ・・・!!」 打ち合う度に襲ってくる死の恐怖に、心臓が飛び出しそう。 私と対峙する男の怪力に、腕も悲鳴を上げている。 「桜、息が上がってるけど大丈夫か」 背中合わせになって刃を受けながら、遥は私の身を案じてくれた。 私は掌の痺れを無視して、笑って見せる。 「まだ大丈夫よ」 「なら、そいつはお前に任せるぞ?」 私が頷くと、遥は安心したように大きく息を吐いた。 「昔のお前は剣術が不得手だったから、心配してたんだが・・・」 「え?」 遥の役に立つことが、私の唯一の願いだった。 遥が認めてくれるなら、お母様に疎まれていても平気だと思った。 だから、苦手だった剣術も、毎日必死に練習したわ。 「嬉しい誤算だったな」 誇らしさが胸を撫で、もっと遥の声を聞いていたかった。 でも、野蛮な盗賊は、そんなことにはお構いなしで刃を振り下して来る。 何なのよ、少しは空気を読めないの?! 「この、クソッ、ちょこまかと逃げるな!!」 「逃げてる訳じゃないわよ!!」 力で格段に劣る私は、素早さで勝負するしかないじゃない。 すると、私の切っ先が相手の頬の皮膚を掠ったらしく、鈍い声が響いた。 「や、りやがったな・・・この女ァ!!」 そして、男は大きく飛び退って体勢を立て直す。 「あの・・・痛いのなら、この場は一旦退いてくれないかしら?」 「はァ?! お前、馬鹿か」 「私達、今はあなた方に危害を加えたりしないから」 提案するも、男は躊躇いなく飛び掛ってくる。 と思いきや、突然、目に激痛が走った。 文字通り『目の前』で、何が起きたんだか分からない。 「・・・ッ?!」 「目が・・・・・・ッつ、あ!!」 目に向けて砂を投げ付けられたんだと気付いた時には、 さっきのお返し、とばかりに留袖を斬られていた。 「形勢逆転だな」 「・・・はぁッ・・・はぁ・・・この、卑怯者!!」 じょ・・・冗談じゃ、ないわ。 とっさに身を逸らしていなかったら、多分、腕が一本落ちていた。 遥に斬られて足元に倒れている盗賊と、同じように・・・ そう考えると、途端に足の踏ん張りが利かなくなってくる。 砂を食らったせいで、目もろくに機能していない。 怖い。 怖い、怖い。 そう感じた時、辺りが俄かに騒がしくなった。 刃を避けて耳を澄ますと、兵士達の声だとすぐに分かった。 「クソッ、勘付かれたか」 帰りの遅い私達を心配して来てくれたのね? 良かった。 さっきは、軍隊みたいな雰囲気が苦手なんて言って悪かったわ。 相手の刃を嬉々として弾きながら、私は脳内で陳謝した。 でも、味方が見えたことで気が緩み だから・・・ 「おい、どうする、救援が来た!」 「あの人数に適うはずがねェや、引き上げようぜ?!」 「だが、このまま帰ったら頭に殺されるッ!! 俺達が生き残るためには、一矢報いるしかねェだろ。やれ!」 だから、こんな不穏な会話にも気付けなかった。 「く、そォッ・・・!!」 淀んで太い声に振り向いて、ハッとした。 悲鳴を上げる暇もなく、怪しくギラつく刃が猛進してくる。 勝利を確信したように、盗賊は笑った。 私、ここで死ぬの・・・? 避けろ、と言う周囲の声にも反応できない。 瞬きさえ出来ずに、痛む目で、ただ切っ先だけを見つめていた。 すると、 「馬鹿、何呆けてるッ!!」 立ち竦んだ私の前に、遥が飛び込んできた。 そして、私を押し倒しながら、上半身を捻って相手の刃を薙ぎ払う。 「は、るッ・・・」 私、また足手纏いになっちゃった。 真横になった景色を、遥の腕の中から見ていた。 そして、重なり合った体は宙に放り出され・・・ 「広夜、後は任せるぞッ・・・!!」 ―― バシャ・・・ンッ!! 揃って、遠賀川の濁流に飛び込んだ。 夜の色に染まった水面が、巨大な畝を作って体を飲み込む。 「おい、桜、俺の体を離すな?!」 水流のあまりの激しさに、体が引き千切られそう・・・ 「ゴホッ・・・!!」 水が勢いよく喉を付き、呼吸を遮る。 疲労のせいもあってか、水を吸った着物が重い。 憔悴した私は、ここで意識を失ったけれど・・・ 最期に浮かんだお母様の厳しい顔と、 水の冷たさだけは覚えている。 「おい、広夜・・・この後どうしたら?」 盗賊をねじ伏せ、麻縄で縛り上げながら、仲間が口を揃えてそう言った。 「わ、分からない・・・」 鍛え抜いた将軍の兵でさえ、焦りを隠せずにいるんだもの。 僕だって、どう指揮を取ればいいのか分からない。 でも・・・ 激流に飲まれた遥さんの、最後の言葉。 あれはきっと、あなたならきっと・・・ 「ひとまず、この人達を捕縛して城へ戻りましょう? 砦に戻って僕らのことを話されては、計画が露見してしまいます! 砦の情報を聞きだしてから出直し、予定通り砦の背後で待機しましょう」 「だが、総司令はここに戻られるんじゃないか・・・?」 そのもっともな意見に耳を傾け、頷く。 「でも、ここから流された場合・・・流れ着くのは、おそらく・・・」 遠賀川の水流には、いくつも分岐点がある。 今回の旅の目的地である、砦方面に分かれるものや・・・ 水量が多く、最も危険と言われるあの、 「遥さん達が流れ着くのは、地下水脈です」 「な、に・・・馬鹿な。あんな場所、生きては戻れないぞッ?!」 そう、毎年決まって大勢の死者が出る。 「とても危険だと、お二人にも僕からお教えしました。 ですが、『利用できれば何よりも便利だ』とも、言っておきました。 砦の下を潜り、背後に回りこむことが容易に出来るんです。 もし生きていれば・・・この気に乗じて、活用するはず」 「い、生きてるのか・・・?」 ずっと嫌っていた妖怪の発達した聴力が、 こんな大事に、思い掛けず役に立つなんて皮肉だけど・・・ 僕には、遥さんの声が微かに聞こえる。 姫様は水を飲んだのか、酷く咳き込んでいて・・・ でも お二人とも、まだ確かに生きている。 「はい、ご無事でいらっしゃいます!」 「・・・よし、その言葉を信じるぞ。そこらの村で馬を調達しよう」 早く城に帰って、砦の情報を吐かせて戻ってこよう。 遥さんは、僕が知る誰よりも勇敢な方。 あの激流の中でも、きっと桜姫様をお助けするはず。 そして、ご自身も必ず無事で・・・ 次頁へ続く *_____________________________________________________________________________________________________________*
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