八話 「水を這う影」 (良かったら名前を教えて?) (あなたは、まるで夜の闇の漆黒みたい。 冷たく見えても、月明かりを溶かした黒はとても優しいの) (姿を見られたら、何か困ることがあるの? 私は今は独りぼっちだし、絶対内緒にする。大丈夫だよ!) (また逢えたらお話しようね、歌詠くん) 月夜の晩に出逢った、巻き毛の娘。 人間でありながら、闇に紛れる私の姿を見ることが出来て・・・ ささらと同じように純粋無垢で、稀有な女だった。 だが、もうこの世に居ない。 彼女は、私が殺したようなものだ。 生前に彼女が好きだと笑った、満月の下で・・・ 「あら、嫌だ。何を呆けてますの?」 空を仰いでいた私の前に、金色の豊かな巻き毛が揺れて、 仄かな睡蓮の香りが、私の周囲を包んだ。 「ああ、花降・・・おかえり」 艶やかで美しい彼女は、私の”兄妹”に相当する女性。 ここ数日留守にしていたが、戻ってきたのか。 「そんな辛気臭い顔をしていると、幸運が逃げますわよ」 「いや・・・別に、たいした事はないよ。 夭逝した知人のことを、少し考えていただだけだから」 そう言うと、花降は子供のように頬を膨らませた。 「その知人とやらは女性ですのね、悔しいっ・・・!!」 そして、蒸気が出そうなほど、赤い顔で罵声を浴びせてくる。 キャンキャンと吠えて、小動物のように。 「君が勘繰るような関係じゃない。妹のような子だった」 「ふんッ、どうだか・・・!! ・・・でも・・・・・・まぁ、とにかく、私に話してご覧なさいよ? その子と同じ女として、聞いてあげても良くてよ」 何か・・・悪い物でも食べたのだろうか? 「そんな殊勝な態度をとるなんて、珍しいね。どうかしたの?」 「まぁ、私があなたを気遣ったら変ですの?!」 「嘘だよ・・・花降、ありがとう」 神と人間は相容れないもの。 高天原の妖怪と人間が、共に生きられなかったように。 そして、彼女もまた、 その境界線を越えようとして・・・ 私と言葉を交わしたばかりに、死んでしまった。 すまない。 季沙。 「わぁ、すごい川ねぇ・・・!!」 視界が開けると、そこには巨大な川が待ち構えていた。 会話が掻き消されるほど凄まじい水音。 何もかもを飲み込んでしまいそうな、激しいうねりと飛沫。 その全てに圧倒されて、思わず口を噤んだ。 「驚かれましたか、桜姫様?」 遥の愛馬の後ろに乗った広夜くんが、柔らかく微笑む。 「ええ、高天原では井戸が主流だから! 川は雪で埋もれるか、凍ってしまって使えないんだもの」 「これは、わが国一の大河・遠賀川です」 「あ、これが作戦会議の時に言っていた川なのね・・・?」 「はい。 これをずっと進むと、地下水脈や砦方面への分岐点があるんです。 そこを越えれば、目的地の砦までは少しですよ」 少し緊張して、唇をキュッと引き結ぶと、 「姫様、この辺りで夜営にしませんか」 先頭を行く年若い兵士が、振り向きざまにそう告げた。 辺りは薄っすらと闇に包まれているけど、まだ・・・ 「でも、今日はあまり進んでいないし」 「この先からは、盗賊の目撃情報が入っています。 敵の懐で休むのは、なるべく避けた方が良いかと存じますが」 そう言われると、恐怖に表情が引きつった。 前方に立ちはだかる川も、藪も、鬱蒼として怪しげに見えてくる。 いかにも、罠の一つや二つ張られていそうな風だわ。 城を発って、早七日が過ぎた。 私達一向は、出立してすぐに街道を離れた。 盗賊に足取りをつかませないために、と言う遥の指示で。 だから、舗装されていない裏道を、草木を踏み分けるように進んで・・・ やっと、盗賊の勢力圏に足を踏み入れる所まで来た。 砦へと繋がる、この大河の河畔まで・・・ ここは、何だか不気味だわ。 一般人の私でも、不穏な空気を肌で感じられる。 「・・・そうね、今日はここまでにしましょう」 そう答えるや否や、一斉に軍隊調の『ハッ』と言う返事が響く。 その声に、あっ気に取られて固まっていると、 私の周囲にいた兵は、馬の背に積んだ荷物を手際よく解き、 かと思うと、別の場所では、すでに数名が素早く天幕を張り始めていた。 川縁で魚を釣る兵の姿も、ぱらぱら見える。 す、すごい・・・ 「姫様、どうぞ天幕の内へ。 周囲は我々が警護しておりますので、ご安心ください」 「・・・あ・・・ど、どうもありがとう・・・」 促されてトボトボと天幕へ向かい、私は溜息を付いた。 一体、どうしてこうなったのかしら・・・? 最初は、遥と私、そして広夜くんの三人で発とうとしていた。 それなのに、今は相当数の兵を連れている。 と言うのも・・・ 「了承しかねますな」 番いの山羊が惨殺された後のことだった。 屈強な筋肉を持つ男性が、遥にいきなりそう申し出た。 強面の彼は、遥の信頼も厚い、水穂でも屈指の将軍なのだと言う。 彼は砦攻略の作戦を聞いて、首を横に振った。 「遥殿、私の兵をお連れください」 「ですが、私事のために兵を貸して頂くなど・・・ それに、人員を増やせば動きが目立ちますし、連携もとりにくい。 今回は、桜と広夜の3人で行こうと思っているのですが」 「それは無謀な賭けと言うものです」 連戦の将は、顔から分かる通り頑固らしく、まったく譲らない。 息子のように年の離れた遥を、上手に嗜めていく。 「お分かり頂けますな?」 「・・・では、将軍のお言葉に甘えて。 俺達と一緒に行動する騎兵を、数名だけお借りしたい。 あと、すぐに動かせるよう、騎馬隊に軍装をさせておいてください。 首領を仕留めた後、団員の捕縛を手伝って頂けたら・・・」 その返答に彼は、跪いて手を組んだ後、目尻のしわを寄せて笑った。 「しかと心得た! 遊軍として、内々に砦の四面に配備させましょう。 我々が構えていれば、盗賊どもの退路も断てましょう」 将軍は、少しだけ相楽に似ている。 相楽と言うのは遥の師匠であり、育ての親にも当たる武将で・・・ そのためか、遥も気を許したように柔く微笑んだ。 「お気持ちに感謝いたします、将軍」 と、言うやり取りがあったのだけど・・・ 気が抜けないと言うか、彼の兵士達の圧迫感には参るわ。 遥は、5年間もよくこんな堅苦しさに耐えたわね。 盗賊の勢力圏を前にして、とても心強いし、 寝床の確保や炊事をしてくれたり、有難いのだけれど・・・ 「ねぇ、食事の支度が出来たって」 出掛けた遥に食事が完成したことを伝えるため、私は天幕を出た。 そして、川縁に腰掛けた遥に近付き、声をかけた。 でも、急流に声が掻き消されたのか、遥は何も答えない。 この激流だし、聞こえなくても仕方ないか? 「遥、ねぇったら!」 釣りでもしているのかと、顔を覗き込んでみた。 すると、遥の腕の中には、モゴモゴと動く茶色い塊がある。 ひゃっ・・・何、この気味の悪い塊?! 「ああ、桜。もう飯なのか?」 動転していると、ようやく私に気付いた遥が振り向いた。 「悪いな。わざわざ呼びに来させちまって」 「え、ああ・・・別にいいのよ」 居心地が悪かったから逆に助かった、なんて言えない。 「ねぇ・・・その茶色いの、何?」 「何って、水穂でずっと飼っていた俺の鷹だよ。 色々と仕込んであるから戦場でも役に立つし、連れて来たんだ」 遥は唇に指を寄せて、『見てろ』と一言。 ”ピィー”と指笛が鳴ると同時に、鷹は高く舞い上がった。 「巧いもんだろ、な?」 愛馬の流風と言い、この鷹と言い・・・ 遥には、武将よりも調教師の方が似合ってるんじゃないの? そんなことを考えていると、また甲高い笛が鳴る。 「ん・・・?」 「ほら、餌だぞ。沢山食えよ!!」 そう言って、黄色い粉末を放り被せられた。 微かなトウモロコシの香りが、髪や羽織から漂ってくる。 すると、匂いを嗅ぎ付けたのか、鷹が緩やかに下降して 「ちょ、待ってよッ・・・! いた、痛い痛い、私は餌じゃないったら!!」 鋭い嘴が着物を突ついたり、羽ばたいて粉を舞わせたり 終いには、私の肩に居座ってしまった。 「ははは!! お前、鷹の羽飾りが似合いだぞ」 自分の滑稽な姿を想像すると、穴があったら入りたい気分。 「あ、あのねぇ?!」 「悪かった悪かった。ほら、鷹は籠に入れたから」 一しきり爆笑して、遥は髪に付いた羽を払ってくれた。 そして、立ち上がって遠賀川に背を向ける。 「よし、天幕にもど」 どうしたんだろう・・・? 言葉が不自然に途絶えてしまった。 視界を遮っている遥の背中から、顔を出してみる。 すると、目に飛び込んできたのは 「な、に・・・この人達・・・?」 浅黒い男達が、私達を取り囲んでいた。 「桜、俺の後ろに隠れてろ?」 恐怖心に占領された胸が、一層高鳴る。 ごくりと生唾を飲み込むと、どっと汗が吹き出た。 ここはもう・・・確かに、戦場なんだ。 次頁へ続く *_____________________________________________________________________________________________________________*
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