七話 「瓦解の淵」 「・・・そこまで言うなら、仕方ない。 俺は南側は不慣れですから、案内役としてお借りします」 睨み合いの後、根負けしたのは遥だった。 「ほ、本当ですか?!」 「あぁ・・・不本意だが、お前の本気は汲んでやる」 広夜くんは、決して押しの強い子じゃなかった。 どちらかと言うと受身な方で・・・でも、理屈じゃないのよね? ただ、盗賊団にいる仲間に逢いたい一心で・・・ 「良かったね、広夜くん」 「はいッ・・・!」 そうして、地図との睨めっこが始まった。 「砦は、南の外れに構えられています」 複雑に絡み合う図の中で、広夜くんの指は一点を指した。 大河と山に囲まれた地形の中央に、赤い『×』印が刻まれている。 それを見て、私は無意識に呟いた。 「何だか・・・天然の要塞、みたい」 街道はなく、峠か川を越えなければ近付けない。 でも、細い山路に伏兵を配備されたら、隊列が分断されてしまうし・・・ 渡河中はどうしても無防備になってしまう。 戦のことを知らない私でも、攻め込み難そうだと思った。 「その言葉がぴったり合う場所ですね。 地の利も踏まえて、彼らはここに砦を構築したのでしょう。 正面はもちろん、砦の周辺は警備が堅く、無闇に近付けません」 「川を渡るのも、山越えも自殺行為だろうな・・・ なら、どちらも避けよう。 遠回りになるが、この川の流れに沿って背後に回りこみたい。可能か?」 「え、あ・・・はい。 川岸には葦が群生しているはずですが、多分・・・」 「では、小船を用意させましょうか?」 「いえ、船は目立つので余計警戒されてしまう。 近くまでは馬で行き、闇に乗じて葦の中を泳いで進みます」 警備の厳しい正面突破を狙うよりは、その方が・・・ そう同意した時に、 「ねぇ、ここの曲線は何かしら・・・?」 目に留まった線は、川の途中で枝分かれし、砦の辺りを貫通している。 この道が、一番最短の道筋に見えるけど・・・ 「ああ、それは地下水脈ですよ。 この遠賀川から分岐して、川下でまた本流に合流しています」 と言うことはつまり・・・ 砦の地下を通り抜けられる、と言うこと? 「なら、これを下りましょうよ。地下なら目立たないし」 「ええ、そうですね。 ただ、流れが大変急なので、利用することはまず無理です。 毎年、死者が大勢出るほど危険なんですよ。 水穂では暗黙の了解になっているので、誰も近付こうとはしません」 ここだけは駄目と念を押されて、曖昧に言葉を返した。 「ふーん、そう・・・?」 「話を戻すぞ。砦の背後に回ったら、風が強い夜を待とう」 何故かと尋ねると、遥は懐から一枚の紙を取り出した。 どうやら、大君から預かった砦の見取り図らしい。 「武器庫と弾薬庫の位置を見てみろ。 今は南風の季節だから、武器庫はちょうど俺達の風下になる。 風上にいる俺達が、一斉に火矢をを放てば・・・」 多少離れていても、矢は風に流されて届くはぜだわ。 それに、今の時期の水穂は乾燥してるから、 「よく燃えそうね」 「ただし、離れにある穀物庫と宝殿は狙うな。 あれは元々水穂のものだ。焼かずに、そっくりそのまま返してもらおう。 そして、消火が始まる隙を見て潜入し、首領を押さえる」 ”首領”の単語に、体が硬直した。 その人を見つけた時、あなたはどうするつもり・・・? 「奴さえ捕らえれば、砦中の武装を解除させて終わり。 そうなれば、丸腰になった砦に、正面から兵を迎え入れればいい。 危険が伴う作戦だが、これが一番手っ取り早い。 大まかな流れは分かったな?」 計画を聞いてると手軽そうだけど・・・少し、不安が残る。 でも、尻込みしていたら始まらないもの。 それを敢えて無視して、私と広夜くんは頷いた。 「それで、だ・・・ 広夜は、火矢を放ったら後方に下がって待機すること」 くるくると地図を畳みながら、遥は抛るように告げた。 「え?! でも、僕もお手伝いを・・・」 食い下がった少年を毅然な態度であしらい、遥は私に向き直る。 「仲間は俺が見つけてやるから。それから、桜」 「嫌よ」 「・・・まだ何も言ってないっての」 聞かなくたってお見通しなんだから、聞くだけ無駄でしょうが。 「広夜くんと一緒に下がってろって言うんでしょう?」 遥は面食らったように慄き、頭を掻いた。 ほら、やっぱり図星じゃないの。 「あのな、奇襲作戦はたいてい時間との勝負だ。 相手の隙を付くしか、俺達に勝機はないだろうからな。 だから、最前線では迅速に動けるように、一人で居たいんだ」 それでも、と言い掛けて口を噤んだ。 遥の渋い顔、もとい『黙れ』と訴える視線に気付いたから。 「それに、お前はいつも無茶をしすぎる! 今回ばかりは、俺の命令に従ってもらうからな?!」 高圧的な物言いに、私はしばらく黙っていた。 「返事!!」 「・・・わ、分かったわよ」 凄まれて思わず声が上ずった。 「広夜、桜から目を離すな。頼むぞ?」 そう呟いた後、お疲れさん、と遥は息を吐いた。 これで、作戦会議は無事に終わる、 はずだった。 「・・・き、きゃああぁ――・・・ッ!!」 突然、幼さの残る少女の悲鳴が上がった。 鼓膜が破れんばかりのそれに、私をはじめ全員が顔をしかめた。 静まり返った城内に、ざわめきが走る。 「遠子・・・?」 「遥、早く行きましょう?!」 あの声は、確かに遠子ちゃんの声だ。 私と遥は部屋を出て、一目散に発信源へと駆ける。 「あの悲鳴、何があったのかしら・・・?」 「ったく・・・何だってあいつは、いつも俺を驚かせるんだ」 「無下に叱っちゃ駄目よ、可哀相だわ」 そんな会話をするうちに、人だかりに遭遇した。 そして、城の中庭に面した回廊に遠子ちゃんの姿があった。 石造りの床に、ぺたんと座り込んでいる。 「遠子、どうした?!」 「にッ・・・兄ちゃん、兄ちゃぁんっ!!」 遥の胸に縋るように抱きつき、青褪めた顔を埋める。 事情を聞いても、咽び泣いて答えようとしない。 これは一体・・・ 「何があった・・・の・・・ッ?!」 事情を尋ねる声は、その一瞬で嗄れ果てた。 視界に飛び込んできたものは、全てが紅く染まっていた。 ・・・二匹の山羊が、死んでいる。 それも、中庭の血溜まりの中に横たわった体には、首がない。 緑の芝生には、血で綴った”双神”と”怨”の三文字・・・ 「や・・・ど、どうして・・・」 私は激しい吐き気を催して、ふらふらと後ずさった。 すると、急に視界が闇に閉ざされた。 「驚かせてしまいましたね、申し訳ありません」 ああ、大君様が背後から袖を伸ばし、顔を覆ってくれたんだ。 「供養して片付けますので、どうぞ奥の間に」 「桜、遠子を連れて行ってやってくれ」 「お・・・大君様も遥も・・・何故、そんなに落ち着いてるの?」 よく見たら、警備の兵士もあまり驚いてはいない。 やれやれ、と言う疲れたような表情を浮かべているだけだわ。 こんなに惨たらしい光景なのに! 「これは、盗賊の仕業なのです。 今回に限ったことではなく、連中は頻繁に家畜を殺しに来る。 いつも決まって、”雄と雌”の二頭ずつ・・・」 雄と雌を、一緒に? 何か意味があるのかしら。 それに、何故”怨む”なんて書かれたの・・・? 「姫、水穂は豊かな国に見えますか?」 「え? ええ、それはもう・・・」 それは、国境の門を潜った時から思っていたことだ。 高天原と違って雪が積もらず、代わりに黄金の麦穂が実る国。 荘厳な岩細工や金も、とても素晴らしいものだわ。 「ですが、5年前から血塗られでしまった。 崩れかけた内政を、何とか保っている状態です。 この膿は、盗賊を根絶やしにするまで、決して癒えないでしょう」 無残に殺害された、雌雄の山羊。 そして、その生血で綴られた、呪詛の文字・・・ 水穂の狂った歯車の象徴を、目の前に突きつけられた。 「でも、だったらどうして戦おうと・・・」 力を合わせて戦って、盗賊を追い払おうとしないの?! そう言い掛けたところで、遥が私を抑制した。 「桜、黙ってろ・・・!!」 「私は、とても臆病な人間です。 兵や民を犠牲にして、全面戦争をする決断も出来ずにいる。 山羊一匹でも、こんなにも哀しいのですから・・・」 「大君様・・・」 もう『仇討のため』じゃ済まない。 個人の問題じゃない。 この国を蝕む膿を、知ってしまったのだから。 次頁へ続く *_____________________________________________________________________________________________________________*
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