六話 「四面錯迷」 冷たい何かが、額に触れた。 「・・・う、ん・・・」 重い瞼をこじ開けると、視界が大きく歪んだ。 口を開けば息苦しさも込み上げてくる。 私はどうなったんだろう? 「よう、お姫様。やっとお目覚めか?」 その声に促されるように、淀んだ思考が澄んでくる。 ああ、そうだ・・・私、遥を追い駆けて倒れたんだっけ。 そして、そこで初めて、 「そこに居るの、遥なの・・・?」 歪む景色の端っこに、見慣れた姿があることに気が付いた。 たらいの水に浸した手拭を絞る、長身痩躯。 夢じゃ、なかった。 「・・・良かった、居なくなっちゃったかと思った」 単身砦へ向かった遥を、私は必死で追い駆けて説得した。 背中を見つけた瞬間の高揚、確かに覚えてる。 あれが夢じゃなくて良かった・・・ 「言ったろ、俺とお前はもう一蓮托生だって。 それにしても・・・お前、医師が『過労だ』って言ってたぞ。 都を発ってから今日まで、黙って相当無理してきたんだろ?」 足手纏いになりたくなかったから、なんて言えないわ。 私は何も答えずに、窓の方へと顔を逸らした。 「・・・夜・・・ねぇ、どのくらい経ったの?」 「丸2日。だが、まだ熱が高いし、寝ていた方がいいぞ」 「もう置いていかない・・・?」 袖をがっちり掴み、鋭い目付きで睨んでやった。 2日前も黙っていなくなったし、もう信用しないんだから。 「待っていてやるから養生しろ。 そう言えば・・・お前は、よく熱出して寝込んでいたな。 出掛け先でも倒れて、俺が負ぶって連れて帰った記憶がある」 「その度に、お母様に叱られるのは遥だったね」 コケにされて、悔し泣きする遥を覚えてる。 でも、病床で『また行こうな』って言ってくれたわよね? あの頃からずっと、遥は変わらない。 「ああ。さぁ、もう休め」 「そうするわ。あ、もう付いてなくても平気よ?」 「何だよ、遠慮すんなって」 そう言ったかと思うと、突然、寝台の私の隣に寝そべった。 音程はずれの子守唄らしきものを口ずさみながら。 「ちょ・・・な、な、何で寄って来るのよ!!」 「照れんなよー、添い寝くらいいつだってしてやんのに」 「いらないわよ、そんなの・・・!!」 私が唖然として固まると、面白がって更に体を近付けてくる。 手頃な玩具を見付けた、子供みたいな顔で。 「あああ、危なっかしくて眠れやしないでしょ、馬鹿ッ!!」 狼男のニヤケ面に、枕を投げ付けてやろうと構えた。 すると、その直後、 「駄目だよ、病人をからかっちゃ!!」 「痛ぇ!!」 背後から飛んできた香炉が、遥の後頭部を直撃した。 ガシャーン、と痛烈な良い音が響き、 苦痛に悶える遥を見下ろしながら、『天罰よ』と嘲ってやる。 でも、私はすぐに黙った。 ・・・今の声って、まさか・・・? 確証が持てないままで黙っていると、 声の主は『薬湯を貰いに行く』と、きびきびと部屋を出て行った。 水穂風の裾の長い服を、ひらりとなびかせて・・・ 「遥・・・今のって、もしかして?」 声だけじゃなく、立振舞いまで似た人を知っているけど・・・ 首を傾げると、遥は大きな溜息を付いて頷いた。 「倒れたお前を医者に診せてから・・・ 『妹を名乗る女が国境に来てる』って報せを受けてな。 半信半疑で迎えに行ったら、俺達を追って来たって言うんだよ。 我が妹ながら愕然としたな、まったく・・・」 月が、中天に昇る頃。 報せを受けて、国境に向けて馬を駆けた。 そして辿り着いたそこには、少しやつれた姿があった。 泣き腫らしたような瞳が痛々しい、妹の。 「さて、どう言うことか説明してもらおうか。 水穂の治安が、この上なく悪いことは知っているな?」 何故、一人きりでこんな所まで来た? 今にも殴らんばかりの勢いで問うと、遠子は俯いた。 「うん。あの、ごめんなさい」 「・・・はぁ、あまり心配をかけるんじゃない。 何事もなかったから良かったものの、なんて無鉄砲な真似を」 他国の国境まで、一人で乗り込んでくる度胸は流石だが・・・ 俺の周りは、どうしてこんな女ばかりなんだろうか。 「どうしても、兄ちゃんに会いたくて」 「・・・いや、あんな別れ方をした俺が悪かった。 謝るよ。あのまま村に留まっているは、辛かったから・・・」 「季沙姉ちゃんの・・・こと?」 いつになく神妙な面持ちで尋ねてくる。 大きくて真っ直ぐな深緑の瞳が、俺を案じている。 「・・・・・・ああ」 一言そう言うと、遠子は腕にしがみ付いた。 「兄ちゃん、私も側にいさせて!」 「何の話だ・・・?」 「遠子は兄ちゃんの妹だもん、分かってるよ。 ねぇ、私だって戦える。今までずっと、剣も弓も練習してたもん! 女ならきっと油断するから、一緒に行かせて!!」 「馬鹿を言うな、無理だ!」 頑として視線を逸らすと、遠子の腕は力なく解けた。 でも、諦めてくれたのかと思いきや、そうじゃなかった。 「私・・・自分が許せないの・・・情けなくて・・・ 今までみたいに暮らしていくなんて、きっと無理だよッ・・・!!」 悲痛な叫びと、泣き腫らしてやつれた顔。 ああ・・・遠子は、俺と同じだ。 哀しい別れ方をした大切な人を、諦められずにいる。 別れすら言えなかった分、俺よりも・・・ ―― かわいそうに。 あの日の俺の背中と、被って見えた。 「・・・んな訳で、仕方なく連れてきた。 しばらくはお前の身の回りの世話をするように言ってある」 遥は呆れたように天井を仰ぎ、ぶつぶつと文句を溢す。 でも、遥・・・あの子を 「戦場には連れて行かないわよね・・・?」 遥が彼女を連れてきたのは、正直少し意外だった。 だって、この件に関しては、頑なに一人を選んできあなたなのに。 危険な仇討ちに誰も巻き込みたくないから、って・・・ それで、いいの? 「城で待っているように誓わせた。 遠子を戦場なんかに行かせたら、母さんが死んじまう。 それに・・・お荷物は、一人で十分だからな」 お荷物と言う言葉に、片眉をぐんと吊り上げる。 そして、遥が両手を挙げたのを見計らって、息を吐いた。 「・・・でも、それなら安心したわ。 遠子ちゃんに何かあったら、母君様に申し訳が立たないもの」 「季沙の二の舞には、出来ないから・・・」 そう呟いた遥は、近くに居るのに遠い。 心はまだ・・・5年前の、惨劇の場に留まっているから。 ねぇ、いつまでそこに居るつもり? 「姫様、少し中庭に出てみませんか? 熱も下がりましたし、今日は陽射しが特別暖かいんです」 「ええ、そろそろ動かないとね」 あの後、結局7日も寝込んでしまったし・・・ 「なら、すぐに履を用意しますね。お待ちください」 これから戦場に行くって言うのに、体が鈍っていたらどうしよう。 そんなことを考えながら、7日ぶりの地面の感触を確かめる。 「おい、桜。起きてるか?」 扉を開けて、軽快な足取りで遥が入ってくる。 その様子とは裏腹に、私の体は一瞬にして強張った。 「あなたはそれ以上、近付かないで!」 「はぁっ?!」 狼男の所業は、私の辞書にしっかりと残っているわ。 ふざけて、また寝台に登られたらたまらないんだから! 「根に持って、そんなこと言ってる場合か。 大君が、わざわざお前の見舞いに来て下さったってのに」 「お、お元気そうで何よりですね」 大君は丁寧に、失礼、と顔を背けて苦笑した。 「お、大君様・・・お気遣い、痛み入ります。 無茶をした上に、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」 「いえ、それよりお加減はいかがですか? 遥殿に伺ったのですが、回復し次第ここを発たれるとか・・・」 「はい。もう大分いいので、近いうちに」 ふらつく足に叱咤しながら、気丈に微笑んで見せた。 すると、考え込むような仕草で、大君は手を顎に寄せる。 「あの・・・何か?」 「遥殿、そして姫君、物は相談なのですが・・・ 出立の際には、この広夜を同行させて頂けませんか」 え?! 「なっ・・・大君様、正気ですか?! 広夜は幼いですし、あなたの腹心の部下を連れ歩くなど!」 私より先に遥が反論し、言いたいことを代弁してくれた。 そうよ、悪の巣窟に彼を連れて行くなんて・・・ 「ご存知の通り、広夜は妖族の出です。 故に、聴覚嗅覚・・・他にも様々な感覚で、常人より秀でている。 戦闘は無理でも、連絡役として存分にお役に立てるかと。 この子は、砦方面の地理にも優れておりますし」 「だからと言って・・・」 負けじと食らいつく遥に、広夜君が歩み寄った。 断固として同行を決めているからか、普段より凛々しく見える。 「遥さん、僕も連れて行ってください! 大好きなあなたのお手伝いがしたい・・・それに、僕にはッ・・・ 妖族として、仲間の凶行を止める義務があるんです!!」 ”盗賊に、妖族が混じっている” 僕と同じ血をひく、誰かが。 それは、今はただの噂でしかないけれど・・・ もし真実なら、止めなくては。 それに、もし生きているのなら・・・逢いたい。 ”ヒト”にも、妖怪にもなりきれない 僕の孤独や、ヒトと共に生きる痛みを・・・ 理解ってくれるかもしれないから。 次頁へ続く |