四話 「灯狩」 「大君様、失礼します!!」 革の鎧に身を包んだ兵士が、部屋に飛び込んできた。 その視線の先には、山積みの書類と格闘する天津の大君がいる。 机の上には書類が散乱して、酷い有様だ。 「そんなに血相を変えてどうした・・・?」 ずっと静かだっただけに、兵士の声は耳に喧しく響く。 大君は目を丸くして筆を置き、首を傾げた。 「関所から伝令で、先ほど、遥殿がお戻りになったと・・・!」 「高天原の支援は打ち切られたはずだぞ? 何故、遥殿がここに・・・いや、それより、早く出迎えの準備を」 「いえ、大君様、しばしお待ちください!」 兵士は、慌てて立ち上がった大君に、止まるよう促した。 「まだ何か?」 「あの、遥殿が伴われていらっしゃる女性が、その・・・」 「口ごもったりして、言い難いことか?」 ゴクリ、と唾を飲む音が狭い室内を駆ける。 「た、高天原の宮様のご息女らしい、との情報が・・・」 流石の大君も、突然の来客に口を開け放った。 「何、桜姫がおいでなのか?!」 いくら水穂が自由な国とは言え、越境には手続きがいる。 他国の官僚や王族ならなおのこと・・・ なのに、突然現れた姫君については、何一つ知らされていない。 一体どういうことだ? 涼風の宮から、何か言われてきたのだろうか? そう考えて、頭を抱えた。そして 「広夜・・・いいか、礼を尽くしてここへお連れしろ」 「はい、かしこまりました!」 銀色の髪の少年は、心得ました、と会釈して笑った。 何事もなく、すぎるといいのだが。 「いやぁ、お久しゅうございますな」 口元の深いしわを寄せて、初老の男性は笑った。 髪の結い方や上等な絹の衣類からして、国境の長らしい。 「総司令殿のお戻りで、国は沸き立っておりますよ」 「長官、すまないが俺はもう指令官では・・・」 「いやいや。たとえ任を離れても、あなたの武勲は消えますまい」 ガハハと笑い飛ばし、遥の背中を突き飛ばした。 慣れているのか、遥に怖気づく様子はない。 「ははは、相変わらず大げさなお人だ。 俺は副長に仕事を任せて隠居してたので、何もしていませんよ」 男同士のやり取りは、私には親しみ辛い。 だから、うふふ、と差し障りない愛想笑いを振りまいていた。 とうとう、国内に宝玉の情報はなかった。 手当たり次第に村を当たったけれど、虚しく終わるだけ。 だからこうして、水穂の敷居を跨いだ。 国外に渡った、ほんの僅かな可能性を信じて・・・ すると、突然 雑音に混じって、澄んだ声が響いた。 「遥さぁー・・・んッ!!」 声の方を振り返ると、水干姿の少年が一人。 銀色の髪の毛と、純白の袖をなびかせて走ってくる。 あれは、誰・・・? 「お前が迎えに来てくれたのか、広夜!」 「はい、お帰りを今か今かとお待ちしていました!!」 わぁ・・・近くで見るとますます綺麗で、上品な子。 遥は、嬉しそうにお辞儀した少年の銀髪を、よしよしと撫でてやった。 そう言えば・・・ ”広夜”って、どこかで聞いたような気が。 「初めまして、桜姫様! 天津の大君様の側仕えをしております、広夜です」 あぁ、そうだ、遥が話してくれたんだわ。 大君様の側近で、妖怪の少年に弓を教えてやってるって。 じゃぁ、この子は妖怪、なのね・・・ 「丁寧な挨拶をどうもありがとう、広夜君。 前に、遥からあなたの話を聞いたの。こうして会えて嬉しいわ」 「僕の・・・嬉しいです! あ、大君からお2人をお連れするよう、仰せつかったんです。 長旅でお疲れでしょう。桜姫様は、どうぞこちらへ」 彼は立派な輿を指差して、私に勧めてくれた。 「ありがとう。でも、私も馬でいいわ。 水穂の国に来たのは初めてだし、景色を見ていたいの」 「そうですか。疲れたら気軽におっしゃって下さいね」 広夜君は、ふわりと微笑んで頭を下げた。 この子が妖怪だなんて、話を聞いていなければ信じられない。 大蛇なんかと違って、人間と大差ないじゃない。 ”領主は、土地で共存していた妖怪も一掃したんだ。 『妖怪は本性が邪悪だから』と言う、ただそれだけの理由でね” 陽くんのあの言葉が、蘇る。 500年前から、高天原では妖怪を禁じてきたけど・・・ そんなことをする必要は、何処にもなかったじゃない。 ご先祖だからって、絶対に許せない。 お母様はご存知なのかしら・・・? 「あ、桜姫様」 遥の愛馬に一緒に跨った広夜くんは、愛らしい笑みを振りまく。 そんな様子を見るだけで、トゲトゲした心が和んだ。 「向こうに城門が見えましたよ!」 広夜君は身を乗り出すようにして、指差した。 その先には 「わぁ・・・!!」 濃い青碧色の湧水池が広がっている。 そして、その泉の畔には、巨岩作りの門がどっしりと構える。 水の青に写る門は壮麗で、絵画を見ているみたい。 「水穂は綺麗なところなのねぇ」 目移りしている間に、あっと言う間に人だかりが出来た。 その中心には、馬を下りて顔を綻ばせる遥がいる。 あらら、しばらく解放してくれそうもない。 「見知らぬ土地での一人きりは所在無いなぁ・・・」 そう途方に暮れていると、環の中から小さな体が這い出てきた。 「皆集まってきてしまって、驚かれたでしょう」 「ええ、少しだけ。それにしても、すごい人ねぇ・・・」 大きく息を吐いて、門の脇に腰を下ろす。 すると、まじまじと私を見た青い瞳が、ふわっと陰る。 「・・・あなたは、宮様とは全然違うんですね」 「え? お母様がどうかした?」 「いえ、いきなり変なことを言ってごめんなさい」 広夜君は、フイッと顔を背けた。 「そ、そう・・・?」 私にはこの意味が、まだ、分からなかった。 「遥殿、よくぞお戻りくださいました。 特別の高配を賜っていながら、何の持て成しも出来ず・・・」 「いえ、突然押しかけたこちらが悪いので。 ああ、そうだ、今日は紹介したい女性を連れてきました」 遥は私の手を引いて、顎で挨拶するように促した。 私は、カツン、と爪先から履を出す。 「天津の大君様には、初めてお目に掛かります。 高天原の国主・涼風の娘、桜と申します」 「あぁ、姫、頭など下げてはいけない。どうぞ楽に・・・」 「では、お言葉に甘えて」 頭を上げると、心配そうに顔を歪める青年がいる。 その線の細さと端正な面立ちに、素敵、と思わず声を漏らした。 『若き賢君』と名高い方だけど、こんなに若いなんて・・・ 「どうかなさいましたか?」 私は慌てて、場を取り繕って手を振った。 「いえ、大君様のご健勝のご様子を拝し、安堵いたしました。 母も、たいそう気にかけておりましたので・・・」 「そうか、宜しくお伝えください」 母の渋い顔を思い浮かべたのか、大君は苦笑した。 「・・・して、今日は何用でこんな所まで? 私で力になれることでしたら、助力を惜しみませんよ」 大君は、どうぞ、と金糸を織り込んだ円坐を勧めてくれる。 立ち話に疲れた私は、ゆっくりと腰を下ろした。 そして、一息ついて 「では、1つお尋ねしたいのですが。 大君様は、『宝玉』と呼ばれる鏡か、勾玉をご存じないですか? 故あって、秘密裏に探しているのです」 「宝玉・・・ですか? 思い当たるものはないかと存じます、申し訳ない」 大君の歯噛みを目ざとく見つけた遥は、大丈夫と首を振った。 「ですが、何か分かるかもしれません。 宝物庫を探させ、国内の古物商にも布令を出しましょう」 「ありがとうございます!」 「その間は、この城でごゆるりと滞在なさってください。 今宵は、お二人の歓迎の宴を催しますので。 広夜、お二方を賓客用の室まで、案内して差し上げなさい」 「いえ、俺は、もう少し話をお聞きしたく・・・」 遥の様子が、少しおかしい? 「そうですね、別室で酒でも酌み交わしながら」 遥の意図をくんだのか、大君は女官に別室の用意を命じた。 重苦しい雰囲気に、私はただただ困惑するだけで・・・ 「では、桜姫様は僕と行きましょう?」 「あの、でも、遥と・・・」 広夜君と遥の顔を交互に見て、口ごもる。 「お二人は賊の・・・いえ、お仕事のお話だと思いますので」 「あ、私がいたら邪魔になってしまうわね」 私はその場の全員に会釈して、慌てて部屋を後にした。 話の内容が気にならないと言ったら、嘘になるけど・・・ 「退屈しのぎに、少し城内を案内しましょうか?」 「じゃぁ、お願いするわ」 水穂の建築材は、石が主らしい。 窓のない石造りの回廊が、四方八方に続いている。 朱塗りの寝殿造りが多い高天原とは、違った趣があった。 「左手に折れると食品庫があって・・・ 手前にあるのが厨房です。約千人分の賄を作るんですよ」 広夜君は、淡々と城内の説明を続けた。 その中で、一箇所だけ妙に騒がしい部屋が目に付いた。 「ねぇ、あっちの部屋は何?」 もう既に、扉から人が溢れているのに・・・ 引っ切り無しに人が増えていく。それも、男性ばかり。 「あそこは、医務室です。 今は兵士でごった返しているので、近付かない方がいいですよ」 「兵士で、ってどうかしたの? よく見たら皆、酷い怪我をしているみたいだけど・・・」 「・・・それは・・・あの・・・」 広夜君は気まずそうに、歯切れが悪く告げた。 「高天原の支援がなくなったので、盗賊の攻撃を防げず・・・」 「お母様のせい、なのね・・・?」 さっきの悲しげな視線の意味が、やっと理解できた。 お母様は、水穂への援助をとうとう打ち切ったんだわ。 大君様や水穂の人達が苦しむのを承知で・・・ 「ごめんなさい、あなた達には酷なことを」 「いえ、すいません。僕、そう言うつもりでお話した訳じゃ!!」 「分かってるわ。遥は、この話・・・」 「おそらく今、大君様から説明されているはずです」 「・・・広夜君、私も詳しいことを知りたい。こっそり見に行こう?」 「ええ?! でも、叱られてしまいます」 動揺する広夜君を尻目に、私はさっさと踵を返す。 「ま、待って・・・!!」 「あなたは怒られないわ、『桜に脅された』って言えば」 「いえ、ここまで来たら僕も共犯です。 もしバレちゃった時は、一緒にお仕置きを受けますよ」 彼は、少年らしくペロッと舌を出して笑った。 「馬鹿げてる、こんな時に全面撤退だと?! 宮から聞いてはいたが、まさか本気で敢行するなんて・・・!」 広夜君は慣れた足取りで、私を物置へ連れてきた。 彼曰く、盗み聞きが出来る特等席らしい。 「まぁ、私には宮の考えも分かりますよ。 金の見込みのない我が国への援助は、百害あって一理なしでしょう」 「しかし、鎮圧に当たっていた一隊が壊滅したなんて。 俺の軍を使えたら、援護できたのに・・・くそッ!! 奴ら、どれだけ力を付けてるって言うんだ・・・?」 「近隣からも仲間を募っているらしい。 何より、連中の使う”火器”には、反撃する手立てもなく」 火器・・・って、爆薬なんかのことかしら? 大君の苦々しい声音は、戦況の悪さを如実に表している。 「・・・大君、少し失礼」 まずいわ、こっちに来る!! 床板の軋む音が、徐々に近付いてくる。 「広夜君、早く隠れなきゃッ」 前に邸で盗み聞きした時も、すごく怒られたし・・・ 「え、え・・・そんな突然言われても」 ―― バンッ・・・! 逃げるより早く、板戸が引き剥がされた。 そして、それにもたれる様な格好だった私達は 「わ、ぁッ・・・!!」 同じ奇声を発して、室内に倒れこんだ。 「・・・・・・よう、桜」 強烈な威圧感で、睨まれただけで体が硬直した。 牛車にひかれたカエルみたいな格好のまま、微動だに出来ない。 「ひ、姫君?! 広夜も、物置で何を・・・」 「あの、ですね・・・ぐ、偶然通りかかったの、痛ッ!!」 頭蓋骨を貫通しそうなほど、凄まじい音がした。 拳が頭を直撃して、目の前がぐらつく。 「遥さん、待って・・・!!」 遥は相当頭に来ているのか、両頬をつまんで放さない。 「ったく、お前は! 今度は広夜まで巻き込みやがって!!」 「遥殿、姫君を放して差し上げない。 あなたは今、気が立っている。姫君に当たってはお可哀相だ。 それに、姫君には聞く権利があることですから。 こそこそせず、ご一緒にどうぞ」 大君は私を背中の後ろに隠し、そう言ってくれた。 「・・・大君の寛大な配慮に感謝するんだな、お転婆」 「何よ、遥こそすぐ怒って大人気ない!」 「何だと?!」 「ははは、お二人は本当に仲がよろしいようで。 姫君といる間は、遥殿も青年らしい顔をされているし」 「止してください、気持ち悪い!!」 ぴったり重なったその声に、 またも、笑いが飛んだのは言うまでもなかった。 「潜伏先は、やっと突き止めました」 そう切り出した大君に、遥は仰天したように身を乗り出した。 「密使を送り続けて、やっとのことで。 彼らは強固な砦を構え、金を強奪する機を伺っています。 最近では、私が手配した警護の兵など、気にもかけない様子ですよ」 大君はそう苦笑しながら、唇を噛み締めた。 「まぁ、情けない話なのですが・・・ 水穂は軍事に長けた国ではないので、防ぎ切れないのが現状で」 だからこそ、高天原の援助が必要だったのに。 自分の利益ばかり考えて、兵を引くなんて・・・お母様!! 「ごめんなさい・・・」 「俺は・・・俺の無力が、悔しい・・・」 「遥殿のせいではない。もちろん、姫や宮のせいでも」 言い聞かせるように言った大君様が、痛々しくて仕方ない。 一番辛いのは、大君様なのだから。 「あの、盗賊って何人くらいなんですか?」 「砦にはだいたい、首領以下、八十名を確認済みです。 ですが、外回りの者などを含めれば、規模はさらに拡大するかと」 「・・・首領も・・・その砦にいるのですか?」 「え?」 突然、その場の空気に電気が走った。 「おそらく。首領らしき姿を目撃したと、部下が」 「その砦は何処ですかッ?!」 激昂した声に、私と大君はただ眼を丸くした。 ・・・遥、一体どうしたの? 「み、水穂の南の外れ、宇佐の地に」 「砦の見取り図と、兵の配置図などはありますか・・・?」 いかにも不自然な静寂が、ピリリと肌に痛い。 「見取り図・・・ま、まさか」 遥の言葉に、大君様はみるみる青褪めていく。 いきり立った遥も、くしゃりと切なげに表情を歪めた。 2人して一体何の話? 「いけない、あなたはッ・・・!!」 「大君様。俺は・・・桜の前では、18歳の、普通の男に見えますか? それなら『若さ故のこと』と、今は見逃してください。 御前失礼!!」 遥は、大君の手から見取り図を引っ手繰ると、部屋を飛び出した。 尋常じゃないほど、真剣な眼差しだった。 「ちょ、待ってよ・・・あ、大君様、私も・・・すいません!」 目の前で、何が起こっていたの。 遥を見送る大君が一礼した訳も、私には分からない。 「ねぇ、待って、遥!!」 私は必死で、遥の背中を追い駆けた。 こんな時、男と女の歩幅の違いが恨めしくなる。 すると 「どうかしたのか、桜?」 「えっ・・・」 突然振り返った遥が、いつも通りの様子だから拍子抜けだ。 必死で追ってきた私が間抜けみたいだわ。 「ど、どうしたって、それはこっちの台詞よ。あなたこそ・・・」 「今晩、お前は宮の代理として宴に出るんだ。 着物も髪もちゃんと直して、堂々としているんだぞ?」 「分かってるわよ、子供じゃあ」 え・・・? 遥の手が、私の髪に伸びた。 そうして懐かしそうに、一束ずつ梳いていく。 その手付きは、恐ろしいほどに優しい。 「ちょっ、と・・・」 「ガキの頃はよく・・・こうして、髪を梳いてやったよな」 頬が紅潮して、火を噴きそうだ。 「遥、あなたやっぱり変よ。どうしちゃったの・・・?」 「何もないから心配するな。また後でな」 そう言い捨てると、遥は薄闇の中に消えていった。 心臓が高鳴って、私はそれ以上は追い駆けられなかった。 遥の異常に、確かに気付いていたのに・・・ 「な、何なのよぉ・・・」 夕闇に包まれた回廊には、点々と火が灯された。 獣脂の油のきつい匂いが、ツンと鼻を突く。 心のもやを、覆い消すように。 次頁へ続く *_____________________________________________________________________________________________________________*
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