二話 「帰郷」 ―― ビクッ・・・! 袖に触れると、体が大きく跳ね上がった。 「ん・・・ああ、悪い。別に何も」 遥を”兄ちゃん”と呼ぶ人を、私は一人だけ知ってる。 「もしかしてあの子、遥の・・・妹さんじゃ?」 妹の遠子ちゃんに、ここで会っても不思議じゃない。 詳しくは知らないけど、遥の故郷は都の東方だったはずだもの。 その間に、少女は全速力で駆け寄ってきた。 遥と瓜二つの面差しを、見れば見るほど確信する。 「久しいな、遠子。元気だったか?」 「もうっ、心配するくらいならたまには帰って来て」 遠子ちゃんは、頬を赤らめて満面の笑みを浮かべた。 素直そうで、数年ぶりに再会する兄への愛情が溢れている。 年は、私より・・・1つか、2つ下かしら? 「すまなかったな。それより、どうしてこんな所に?」 「そこの街まで薬草を降ろしに行ってたの」 「そうか、いつもながら精が出るな」 何、かしら・・・? 遥の態度が、どこか余所余所しい。 前は、『大切な妹だ』って嬉しそうに話してくれたのに・・・ 再会を喜べない理由でもあるの? 「兄ちゃん。ねぇ、この人は・・・?」 遥の体の陰から、大きな瞳が2つこちらを覗いている。 人懐っこそうで、可愛らしいなぁ・・・ 「あぁ、この人は俺が奉公している国主のご令嬢だ」 紹介を受けて私が会釈すると、彼女は 「ええっ・・・嘘、お姫様を連れてきたの。ほ、本物ッ?!」 キャーッ、と悲鳴に似た声を上げて頭を下げた。 「す・・・ごーい!!あ、お姫様、是非村に寄って行ってください!」 その言葉に、私は目をきらきら輝かせて頷こうとした。 でも 「いや、俺達は先を急ぐから無理だな」 私の返事も聞かず、真っ先に遥が断ってしまった。 行ってみたかったのに、と遥の背中を抓る。でも全く動じない。 「遠子、悪いがまた改めて便りを出」 「駄目ったら、駄目!村の皆、心配してるんだよ。 何年も戻らない不良息子なんだから、今日は絶対放さない!」 「・・・ったく、仕方のない奴だな」 「やった、遠子の勝ち!!えへへ、嬉しいっ」 その様子に遥は表情を柔らげ、大きくなったな、と髪を撫でた。 じゃれ合う猫みたいに、微笑ましく映る。 「あっ、そう言えば!」 「ねぇ、季沙姉ちゃんは一緒じゃないの?」 「・・・・・・ッ!」 遥の肌は、異常なほど過敏に反応する。 ついさっきと、丸っきり同じ光景を見ているみたい。 ・・・そう言うこと、か。 彼女の言葉を聞いて、やっと繋がった。 遥・・・季沙さんのことを、まだ話してなかったのね。 「久しぶりに会いたいなぁ、元気にしてるの? 絶対連れて帰るって言ったのに、一度も戻って来ないんだもん! 村の皆だって、会いたがってるんだよ」 明るくて無邪気な声が、遥の微笑を崩していく。 「ねぇ、兄ちゃんっ?」 だから 村を通るのを、頑なに避けようとしたのね。 最愛の妹君に再会しても、ずっとピリピリして・・・ 「遠子・・・あのな、季沙は・・・」 季沙は、死んだ。 でも、言えない。 真実を、どうしてお前に言える? 俺ですら、未だにこんなに苦しいのに・・・!! あいつの死を、受け入れたくない。 ―― シャラン、シャランッ 扇の端に付いた無数の鈴が、一斉に鳴り その音に溶けるように、栗色の豊かな髪も宙を舞う。 ”天女の舞” 彼女の踊りが、そう称されるのも頷ける。 俺は瞬きすら忘れて、細い肢体に見入っていた。 「ねぇねぇ、今のどうだった?」 裳の裾を翻して、季沙が駆け寄ってくる。 今の今まで踊り続けていたためか、息は異様に荒い。 「私、ちゃんと上手く踊れてたと思う?」 こうして踊りの感想をせびられるのは、もう慣れっこだ。 「ああ、はいはい。上手い上手い」 すると季沙は不満げに、頬をぷくりと膨らませる。 「遥くんってば、もっと真面目に答えてよ。 せっかくお祭りの踊り子に選ばれたのに、失敗したら・・・」 「だからって、同じ踊りを何十回見せれば気が済むんだよ!?」 「だって、すごく不安なんだもん。怒らないで?」 肩を落として、顔に掛かる髪をいじる。 これは極度に緊張している時の、季沙の癖だ。 俺は、お前に足りないのは自信だけだよ、と溜息をつく。 「ほら、持ってろよ。お前にやるから」 俺は、自分の腕につけていた玉の腕輪を差し出した。 すると季沙は、うろたえたように瞬きを繰り返す。 「祭りの当日に緊張してしくじらないように、お守りだ」 「いいの? 私にくれるの?」 せかせかと輪をはめ、腕を掲げて屈託もなく笑う。 「えへへっ・・・どう、お姉さんみたい?」 「何だよ、お姉さんって」 「お洒落するとね、少しだけ大人になった気がするの」 3歳年上とも思えないほど、柔らかい笑顔。 その笑顔が好きだと、照れくさくてずっと言えなかった。 「元気が出てきた。よぉし、もう一回練習するぞ!」 「げっ・・・ま、まだやんのかよ!?」 「私、きっともっと素敵な踊り子になる。 そして、遥くんのために・・・いつか、最高の舞を舞うの!」 「・・・・・・今だって、十分綺麗だっての」 わざわざ聞こえないように呟いたのに、この地獄耳め。 季沙の大きな瞳がジワリと潤む。 かと思うと、渾身の力を込めて飛びついてきた。 「嬉しい、遥くんっ・・・!!」 あの日まで、全てを戻せるのなら。 過去を、帳消しに出来るのなら。 奪われた未来を、もし取り返せるのなら・・・ 今も、願わずにはいられない。 でもそれは、許されない願い。 「季沙は、もう・・・」 「どうしたの、兄ちゃん・・・?」 遠子ちゃんの顔が曇り出し、遥も悔しそうに唇を噛む。 そんな顔、しないで。 「ねぇ、話はまた後でにしましょうよ。 日が暮れてきたけど、村まではあとどのくらいあるの?」 「え・・・あ、まだ少し距離はありますが、日没には間に合うかと」 「そう。ねぇ、じゃぁ、一緒に馬に乗らない?」 私は翠の鞍の後ろを叩いて、そっと手を差し出した。 「あっ・・・いえ、滅相もない!! そうだ、私、一足先に帰ってお母さん達に報せて来ます! 兄ちゃんとお姫様は、後からゆっくり来ください」 「そう。じゃぁ、お言葉に甘えてそうするわ」 ひとしきり手を振り、黙って歩き出すと、一呼吸遅れて遥も続いた。 今は、言わなくていい。 だからもう、そんな顔しないで。 「ここが・・・遥の故郷?」 村の入り口に差し掛かり、私は口を開いた。 到着するまでの景色も、寂しい様子だった。 それにこの村自体も、決して豊かとは言えないみたい。 国境の近くって、もっと賑やかなんだと思っていたけれど・・・ 「豊後の村だ。ボロくて驚いただろ?」 柵代わりの小柴垣は、雨に腐って半壊している。 見渡せる家々も、丁寧な造りとは言えず、年季が入っている。 「・・・あの・・・」 私が言葉に困ると、遥は困ったように笑う。 「若い連中は、こぞって国境の街に出て行っちまうんだよ。 関所には商人や使節が通るから、儲かるんだと。 だから、うちの村には老人や女子供ばかりが残ってな。 ああ、でも心配すんなよ。 貧しいけど、村民が食べるのに苦労する程の極貧じゃない。 俺が都まで出仕してからは、定期的に金も送ってるし」 「そうだったの?!」 「俺は長男だし、母さんや妹を守らないとな」 そう言った遥は青年ではなく、一家の家長の顔をしていた。 かと思うと、少年のような細い声を零す。 「最後に里帰りしたのは、あー・・・いつだ? 水穂の国に発つ前のことだから、俺がまだ13歳の頃か。 その頃から、ここはちっとも変わってない」 凸凹を極めた地面にしゃがみ込み、遥はそう呟いた。 目が、今までにないくらい優しくなってる。 「あの用水路さ・・・昔、遠子と季沙と3人で落ちて溺れかけたんだ。 母さんがカンカンに怒って、確か納屋に閉じ込められた。 あっちの橡林は、俺の剣術の稽古場だった」 「あの家も、あの田畑も、あの井戸も、皆・・・昔のままだ。 ただ、たった一人だけが居ないだけで・・・」 胸が・・・少し、痛んだ。 遥の”たった一人”の女性。 盗賊に殺された、同郷の舞姫を・・・ 遥が、まだ強く想っているのが分かったから。 「ああ、悪い。俺ばっかり話して退屈だったろ?」 そう繕った遥に、私は首を振って答えた。 「・・・何だか、不思議な心地。 私の知らない遥の生活が、ここにはちゃんと在って・・・ そこら辺のあちこちから、小さな遥や季沙さんが顔を出しそう」 ここには、まだ昔の遥の気配が残っている。 「私、遥の生まれ故郷に来れて良かった。 母君様にもご挨拶したいし、遠子ちゃんにも会いたかったの」 「あいつも、中身は全く変わってなかったな」 「でも、5年ぶりに会って美人になっていたでしょう?」 「・・・・・・まぁ、それなりに」 照れたように頭を掻く遥が、途端に可愛く見える。 「あんな可愛い子に『兄ちゃん』なんて囁れたら、照れちゃうね。 あら、何だか人が集まってきたみたいよ?」 私が迫ってくる人垣を指差すと、遥はまた黙った。 「・・・緊張、しているの?」 そう尋ねて手を握ると、軽く震えていた。 戦い以外でのこの人は、何処までも繊細で不器用だ。 「そりゃ、5年以上もその話題は避けてきたからな。 『売られて行った季沙を連れて帰る』って、豪語してたし・・・ 守ってやれなかった俺が・・・今更、帰る資格なんか無いと思ってた」 夕日が長い影を落として、遥の姿を塗り潰していく。 でも、遥の緊張は手に取るように分かった。 「でも、季沙のことは出発前に必ず話すよ。 驚いて泣かれるだろうけど、今度こそ腹くくって、ちゃんと・・・」 季沙さんの死は、深い傷跡を残した。 5年も経った今でさえ、膿んだまま癒えずにいる。 それは、もしかしたら・・・ 遥自身が回復を拒んでいるからかもしれない。 季沙さんを、生涯忘れないように。 だったら私は、あなたのために 「ねぇ、遥・・・ 忘れろなんて言わないから、少しずつ動き出しましょう? 村の人達にお話しするのが、最初の一歩。 過去は消えないし辛いけれど・・・でも、あなたはきっと頑張れるわ。 だって、私がずっと一緒に居るもの」 あなたがいつか立ち直る日の、添え木になれるように。 「はは・・・そりゃ、強力なお守りだ」 そっと繋いだ手に、熱と圧力が加わった。 話そう、季沙のことを。 もう、逃げずに。 次頁へ続く *_____________________________________________________________________________________________________________*
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