第二十二話 「回帰」








カビの臭いが、鼻を突く。



ピタ、と頬を打つ水滴で、焔は目覚めた。

薄っすらと目を開くと、辺りには薄闇が広がっている。

手で探ると、床も壁も剥き出しの岩だと分かる。

目を凝らせば、天井まで伸びた太い格子が嵌っていることも。







あぁ、そう言うことか・・・



ここは、俺の『心の牢獄』の中だ。









「胸糞悪いな、くそっ・・・」

湿っぽく陰気な空気のせいか、気分が悪い。

焔は冷たく硬い床に体を投げ出し、天井を見上げた。






俺は、どうなったんだ?



”しばし身を休め、独房で反省なさい”

花降がそう言って、俺をここに閉じ込めて行った。

それから、どのくらいの時間が経ったのかは知らん。








そうだ。


最後に、反魂術を使ったんだったか。

今考えれば・・・全く、間抜けなことをしたもんだな。

俺には使えない禁呪だし、生の女神にばれない訳が無い。

力を封じられ、こうしてこんな所に縛られているのもそのせいだ。



『心の牢獄』は、言葉通り心を縛る秘術。

反旗を翻した神に処す刑罰のうち、最も重く厳しいもんだ。

心を、精神世界に封じられて・・・

心を切り離された体は、その間に衰弱し壊死する。

食べることも、飲むことも出来ずに。





だが・・・まぁ、それもいいだろう。

完全に戒められる直前、確かに陽に言葉を託せた。

月環に剣を渡し、護り、生かすようにと。




それが、ささらのために俺がしてやれる全てだった。

例えどんな結果でも、それは変わらない。


















「牢獄の居心地はどうだ、焔?」




漆黒の闇からの呼び声に、焔は耳を疑った。

ここは焔の精神世界で、当人以外は入れるはずがないからだ。

しかし、焔はすぐに声の主の正体に気付いた。

そして、皮肉って笑って見せる。


「素敵な寝床を提供して頂き、厚く感謝する。歌詠殿」

「おや、困るよ、私を恨むのは筋違いだろう。

君をここに閉じ込めたのは私ではなく、花降なのだから」

焔は、そんなことは言われずとも承知だ、と返す。

眉間の端には、深いシワが刻まれている。

正直、苛立っているのだ。

「早速だが用件を伺いたい。何をしにここへ来られた?

よもや、俺を馬鹿にしに来た訳ではあるまい」

そう切り出すと、歌詠は抑揚の無い声で言った。





「月環の魂は、私が回収した」





「な、に・・・ッ?!」

声を荒げた焔は、ズイと身を乗り出す。

しかし、歌詠は全く気にならない様子で言葉を発す。

「月環は君の謀反の甲斐虚しく死んだ、と言った」

悲しむ様子も、悪びれた様子も無い。

それが無性に癇に障り、焔は歌詠の胸倉を掴んだ。


すると、歌詠はそっと焔の手に触れた。

そして、焔の浅黒い肌に、ジワリと黒い印を残す。









「あ、つっ・・・?!」

その印は、急激に精気を奪っていく。

黒く細い稲妻が、肌にまとわり付いて離れない。










「乱暴をしてすまない。

しかし、君は少々短気が過ぎるようだね。

私は、君がした愚かな行為の尻拭いをしただけだよ?」

歌詠は、何故怒るのかと言いたげに服を直す。



くそ・・・眩暈がする。

今ので相当、精気を吸われたな。

陽にまで、痛みが伝わってなければいいが・・・



「おい、ささらは無事だろうなッ?!」

仕返しとばかりに、焔は凄まじい剣幕で食い下がる。

もっとも、感情の薄い歌詠には無駄だと分かっていたが。

「それは安心していい。

宝玉を得て、今は私の元に身を寄せているよ。

月環の死を目の当たりにして、酷い傷を負ったけれどね」

焔はそれを聞いて、とりあえず安堵した。

「彼女は・・・とても、可哀相な運命を持つ子だね。

だから私は、彼女の願いを叶えてあげようと思っている」

「ささらの願い、だと・・・?」

瑞貴が再び死んでしまった以上、あいつはもう・・・

「そう、彼女の希望を私は知っている」









ささらは、一体何をする気だ?





お前の望みは、瑞貴との再会だろう。

瑞貴が死んだ今、それはもう叶うはずのない願いだ。

一緒に生きることも、何も出来やしない。




ならば・・・



これ以上、何を望む?

これ以上、どんな道が残されている?









「君は、もうしばらく眠っておいで」

「待ちやがれ、まだ話は済んでねぇんだか」

歌詠が去ると、焔はもう目を開いても居られなかった。

再び、意識が深い闇の中へと沈んでいく。


くそ野郎、と呟いたのが最後だった。
















ささら、もう、止めろ。



死ぬ間際に、お前は確かに言った。

”誰かを傷つけてしまったら、私を殺して”と。








お前が、誰かをその手に掛けたら

俺は・・・お前との誓いを、果たさなければならない。






だから、もう・・・止してくれ。





ささら。




















































「・・・私、2つ目の宝玉を捜すわ」


夜が来るたび、一人ずつ人数が減っていく。

月環が居なくなり、今日は陽くんまで居なくなってしまった。

私は目を背けながら、話を切り出した。




「姫様、本気ですか?!」

遥と光一郎は目を剥き、揃って言った。

宝玉の正体が掴めない今、それが当然の反応だけれど・・・

「ええ、こんな時に冗談なんて言わない」

陽くんが何を言いかけたのかは、分からない。

ささら様の真意も、全く掴めない。

でも・・・


「宝玉を放って置いていいのかも・・・私、分からないの。

だって、また宝玉から怪物が現れて、里を襲うかもしれないのよ。

さつきちゃんのような子を、みすみす増やす訳にはいかないわ」

「だがな、あの姫巫女には絶対裏があるぞ?

初対面の時、一瞬だけど禍々しい感じがしたんだ。

あの人の目的は、高天原でも竜神でもなく、別の何か・・・」

遥は一瞬俯いて、真面目な口調で言い添えた。

「だとしたら、言いなりになって宝玉を回収するのは危険だ。

それが分からない程、馬鹿なお前じゃないだろう?」

「ええ・・・私も、本当はそう思う」

陽くんの、信用するなと言う言葉が胸に刺さる。

ささら様には、きっと何か別の考えがあるに違いない。

とても、危険な何か。


「でも、竜神様が瀕死状態なのは確かよ。

だったら、高天原の護りが脆くなっているのも確かでしょう?」

竜神様の守護が途絶えれば、国土は氷河に鎖されてしまう。

土地を追われたら、誰一人として生きていけないのに。

「黙って指を咥えて見てるなんて嫌なの。

宝玉の神通力が微々たるものでも、何かの足しに出来たら・・・

私の行動が、また裏目に出てしまうかもしれないけど・・・

でも・・・」



もし助けになるのなら、集めて返したい。

宝玉が危険なものなら、ささら様より先に見つけて護るんだ。



















何が『善』で何が『悪』なのか、分からない。

だったら・・・もう、私の正義を貫くしかないじゃない。




民や国を想うことが、私の”正義”

それが、旅の初めから変わらない・・・私の答え。











「でも、もし見つけても素直に渡したりしないわ。

今度はきっと抵抗して、本当の目的を聞いてみるつもり」

そう言うと、すぐに『不可能だ』と言う視線が2人から返ってきた。

自分の信用の薄さに、私は肩を落とす。


「見つけても、私は宝玉に指一本触れない。

遥・・・あなたが護って、唯月様の所に持ち帰ってちょうだい。

仙術師の唯月様なら、きっと儀式なり祈祷なりで何とかしてくれる」

そう、きっと何かに役立ててくれるはずよ。

私達常人よりもずっと、神々の領域に近い方だもの。

「私が近くに居るのが不安なら、緊急時には殴ればいいわ。

私なんか一発で気絶しちゃうから。ね?」

こんな時に、何もせずに待っているなんて出来ない。


「・・・俺が呼んだら、すぐにきちんと返事しろ?

体を乗っ取られてたら、意識が戻るまで容赦なく殴るからな」

そんなに殴られていたら私は死んでしまうわ・・・

と思ったけれど、この脅しは遥なりの心配だ。

「乗っ取られないようにするから」

「じゃぁ、夜が明けたら東方に向けて発とう。

当初の予定より、随分長いこと北州に留まっちまったからな・・・」

遥の言葉は、北州での思い出を次々に蘇らせる。

本当に・・・色々なことが、あったね。








「桜姫様、私は承服しかねます!」






「光一郎・・・」

沁々した空気を断ち切ったのは、光一郎だった。

そうだ、彼は私を迎えに来たんだっけ。


「宝玉探しについては、もう異論は唱えません。

しかし、私には姫様をお連れする義務がございます。

御方は、姫様の帰りを心待ちにさなっておいでなのです!」

「お母様が私を? ふふ、嘘ばっかり」

まさか、と笑うと、光一郎は驚く程きっぱり否定した。

「御方様のことで嘘偽りは申しません」




『役に立ってお母様に愛されたい』

『たった一度でも、認めてもらいたい』

旅の始めは、そんなことが頭の隅っこにあった。



でも、今は・・・





「それ、聞かなかったことにさせてね」

私が耳を塞ぐと、光一郎は呆けた声を上げた。

「は・・・あの?」

「光一郎、悪いけどあなた一人で帰って。

そして、お母様に事のあらましを説明してほしいのよ」

月環の暗殺の任も受けていたんでしょ、と加える。

すると、光一郎は悔しそうに唇を噛んんだ。

「・・・仕方ありません。今一度帰都し、改めて迎えに上がります。

しかし、今回のように御身に危険が及ぶようでは」

「心配性ねぇ、あなたまで月環みたい。

でも大丈夫、遥が側に居てくれるもの。それに私は・・・」




私は、強くならなきゃいけないね。

全ての真実を知っても、受け入れられるように。




「それから、お母様に伝えてくれる?」





”不肖者なれど、桜はお母様の娘です。

名に恥じぬよう、立派に務めを果たして参ります”










でも、待って。







夜が明けたら、また精一杯笑うから

強くなるって決めたから・・・





北州に居る今だけは、最後の涙を許して。











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執筆後記

今回は珍しく、囚われの焔からお話がスタートしました。
前回の陽の「ドクン!」と言う場面と、照らし合わせてご覧ください!!
時間軸は分かりにくいかもしれませんが、2つは同じ頃のことです。

焔の『不器用なささら愛』は書いていて楽しかったです♪
それから、牢獄のシーンも異様に楽しかった。
でも、読み返すと、ちょっと物足りない感じもしてきます。
「首輪と鎖がジャラジャラ〜」とか書いた方が、囚われの雰囲気が出たか・・・
あ、いや・・・あの、私、決して怪しい趣味はありませんっっ(滝汗)

桜は、再度、宝玉探しの決意を固めました。
これについては「えー、止めなよ」と仰る方も多いかもしれません。
私も実は、「邸で大人しくしてた方が皆のためだよ」と思ったのです(苦笑)
宝玉を巡って騒動は起こるし、皆怪我していくし・・・

でも、集めさせないと話が続かないのでorz

内心では「桜はでしゃばらない方がいいよー!!」と思いつつも、
ささらは不審だけどとりあえず集めよう、と言う結論に無理やりしました><;
こじつけ多いし、投げやりだし、酷い話で申し訳ない;;

さて、残すところ3章はあと1話になりました!!
雪夜史上始まって以来の一気に3話公開まであと1話、頑張ります///