第十八話 「廻る月」






白銀の世界に、雪が降る。

立ち尽くした背中を、そっと撫でるように・・・








でも、それは



『死』と呼ぶには明るく、美しすぎる景色。














「しっかりして、死んでは駄目!!」

月環の体は粒子と化して、サラサラと毀れていく。

桜はそれを懸命に抑え、意識のない月環に言葉をかけ続けた。

時折しゃくり上げながらも、絶えずずっと。

それが無意味なことくらい、その場の誰もが分かっていた。

でも・・・何もせずに、居られなかったから。





「きっとすぐに良くなるわ、きっと治るっ・・・」

桜の頬を伝った涙が、僅かに残った月環の白い肌に落ちた。

すると、月環はゆっくりと重い瞼を開いた。


「月環、気が付いたのね!!」

「・・・良かった・・・無事に、体に戻ることが出来たんですね?」

普段通りの静かな声が、胸を抉る。

桜だけでなく俺も、そして呪縛を解かれた陽も顔を歪めた。

「遥殿も、陽も、光一郎殿も無事ですね?」

「馬鹿、人のことを心配してる場合じゃないでしょう・・・?!」

体の崩壊を止められない悔しさが、徐々に込上げてくる。

そんな俺達を気遣ってか、月環はコロコロと笑った。

「どうしたんです、妙に暗い顔をして。皆さんらしくもないな」

そして、長い睫を伏せて言葉を続ける。




「姫君・・・俺は、全てを思い出せたんです」

すっきりした声に、桜はただ瞬きを繰り返した。

口調が若干変化していることにも、困惑を隠せない様子だ。

「・・・全てって、記憶を?」

「そう。今は、胸の中が思い出で満ちている」












ささらの、柔らかい笑顔。

”本当に馬鹿ねぇ”と、千代のいつもの怒鳴り声。

鼻をくすぐる、母さんの自慢料理の香り。

生まれ育った村の、懐かしい郷愁。





あの頃の、大切な・・・

一度は失くしてしまった、記憶。













俺は、心を取り戻した。

もう二度と、手放すことはない。














「今は・・・俺の人生に、とても満足しているんです」

瞑った瞳には、過去の景色が見えているのだろう。

月環は心底愛おしそうに、そして清々しい様子でそう告げた。


「そんなの嘘。だって、じきに消えてしまうのに・・・!!」

桜は、そんな顔で笑わないで、と悲鳴に近い声を上げた。

子供のように泣きじゃくる様子が痛々しい。

「桜姫。本当にいいんです、もう」

その迷いのない言葉に、桜は遂に泣き崩れた。




でも、俺は・・・






「・・・ざ、けるなよ・・・」

俺は立ち上がり、月環の胸座をきつく掴み上げた。

悲しみよりも強い感情が、涙を拒んだからだ。













「ふざけるなよッ・・・!!

お前は一体、今日まで何のために生きてきたんだよ!!

全部諦めて、こんな風に笑って死ぬためか!?」











死に逝く者を、罵倒して何になる?

だけど、言わずに居られるはずがなかった。




お前が、死ぬなんて・・・












「違う・・・償うために、戦ってきた!!

でも、やるべきことはやった。俺は、もう満足なんだ」






満足、と言う月環の言葉が、俺の枷を解いた。






「てめぇっ・・・この馬鹿が、何が『満足』だ?!」

俺は、横たわる月環の頬に拳を食らわせた。

でも、透けた頬には当たらず、地面を叩くだけで終わった。



くそッ・・・!!






「お前は、ずっと死に場所を探していた。

大蛇と戦いながら、この世を儚んでいたのだって知っている。

だから、未練なくすっきり死ねて、さぞ満足だろうな」






初めて会った時も、一人森を眺めて・・・

全身から”消えてしまいたい”と言う想いが滲み出ていた。

あの時は、俺には関係ないと思っていたさ。

だが、今は・・・






「だけど、残されたこいつはどうなる?!

こんな風に泣いてくれる奴がいる人間はな・・・

満足だとか何とかぬかして、簡単に死んだら駄目なんだ!!」

残された者の痛みを、お前は知らない。

誰のために桜が泣いているのか、分かっていない。


「ふ、えっ・・・ぐす・・・ッ・・・」

無気力だったお前を、桜が変えたんだろう?

だったら、こいつを残して死のうとなんて、絶対に思うな。

思っちゃ、いけないんだ・・・!!










「・・・・桜姫、遥殿、どうもありがとう。

俺は心から、あなた方に出会えて良かったと思う」

泣きじゃくる桜に向けて、月環は微笑む。


「つき、わ・・・?」

「姫君・・・本当は俺、ずっと怖かったんです。

記憶がなくて、自分の足元が今にも崩れていきそうで・・・

遥殿の言うように、”死んでいい場所”を探していたのかもしれない。

でも、今は、そうは思わない。

本当に幸せだと思えるんです。一分の偽りもなく、心から」

色素の薄い月環の瞳から、一滴の涙が毀れた。


「こんな時に、酷な頼みかもしれませんが・・・

最後は笑って看取ってもらえたらと、そう思うんです。

聞き入れて、もらえますね?」



お前は本当に、それでいいんだな?









その場にいる全員が、月環の最期を悟った。

体の大半が崩れ、残り一欠片の所まで到達していたから。


もう止めても無駄なのだ、と。










「・・・また、いつか会おうね・・・」

必死で作ったそれは、笑顔と呼ぶには無理があるが・・・

桜の優しさが、十分すぎるほど滲み出ていた。

「またお会いすることがあれば、一緒に月を見ましょう。

今度は、美味しいお茶菓子を沢山用意して」

「ええ・・・そして私は、そこで琴を弾くの。

・・・あなたの笛と一緒に・・・ね、とても風流でしょう?」

涙を堪えてやっと出した言葉は、しゃくり上げて途切れ途切れ。

だけど、月環は満面の笑みを浮かべて頷いた。

「そうですね、いつかきっと」















ささら、君は怒っただろうか?

何度も君を悲しませる、身勝手な俺を。






ごめんな。






またいつか、巡り逢って・・・

きっと捜し出して謝るから、許してくれな?














でも、思うんだ。






今度は、過ちを償うためでなく

過去の未練を断ち切るためでもなく・・・

真っ直ぐに、新しい自分を生きてみたいと。





次に生まれ変わったら、そうしたい。

もし我侭が許されるなら、またささらと一緒に。





































「美しい、雪ですね・・・」

朝焼けに染まった空を舞う、白い花弁のような。



また、何処かでこんな景色を見れるかな。

また、心優しい人に出逢えるかな。

俺のために泣いてくれた、あなた達のような人に・・・








また、この美しい世界で。















―― お別れです、桜姫。


優しくて儚い響きが、耳の奥を撫でた。


















「や、嫌だ・・・嫌ぁッ!!」


感極まった桜は、咄嗟に月環の懐に飛び込んだ。

でも、伸ばした腕は服だけを抱き・・・






その後、しばらくは

淡く優しい光が、桜を包んでいた。













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執筆後記

この話で月環が亡くなったので、喪に服したい気分です。
が、そう言ってばかりもいられないので、いつも通り後書きをお届けします。

月環は、雪夜で一、二を争うほど影の薄いキャラです(^^;)
メインキャラとの会話も削り、身の上に関する話も、あえてさせませんでした。
彼の肩書きが、『記憶を失くしたミステリアスな青年』と言うものなので・・・
ただ、存在感が薄すぎて、可哀相だったかなと今更反省しています。
彼が死んで半泣きになるのも、私くらいでしょう。
彼の最期のシーンは気合を入れて、長々と書きましたが・・・
読者さんからしたら
「月環ってすぐ居なくなったね」程度でしょうorz
うああ・・・設定だからとは言え、月環ごめんねー!!!
でも、月環は影の薄さもダントツですが、話の中での重要度も高いです。
ささらの計画には、『昇天した月環の魂』が鍵になるからです。
3章の内容は後々重要になるので、どうか月環を忘れないであげてください;
それだけ、切に願っています。

今回の自己満足は月環の最期なのですが、他にもう1つ。
遥のマジ切れシーンの「ふざけるな〜」の辺り、お気に入りです><*
遥、大好きです(親バカは帰れ;)

3章はもうちょっと続きますので、お付き合いくださいませ!