第十五話 「昏き箱庭」







「悪霊め、一体何をしに来た?!

今更・・・よくも、図々しく俺の前に顔を出せたな!!」


陽くんの視線が、肌に突き刺さる。

ささら様への憎しみの深さが、伝わってくるわ・・・






「悪霊めって・・・違うの、ささら様は月環を」

助けようとして来てくださったの、と私は必死に訴える。

でも、気が昂った陽くんは耳を傾けない。

「ねぇ、陽くんっ・・・」

「桜姫、無理は禁物です。とりあえずこれを、頬に」

腫れ始めた頬を見かねて、月環が手拭いを貸してくれた。

雪を包んだ蓬色のそれを宛がうと、冷たさで痛みが少し緩和された。

「・・・陽、今すぐに姫君に謝るんだ!!」

「怒らないで、ただの誤解なの!」

でも、月環の声にも反応せず、陽くんは威嚇を続けた。

私の中に居る、ささら様の魂に向けて・・・


「おい、黙ってないで何とか言ったらどうだ?!」















(ふふ、相変わらずの激情家ね)















―― え・・・?!



体に掛かっている圧力が、消えた?

ささら様の柔らかい言葉が、耳を掠めた瞬間に・・・











ああ・・・そう言うことか。





「ささら様の魂が、私から離れたのね」


あえて説明するなら、そんな感覚だった。

魂魄に重みなんてないと思うし、確証はないけれど・・・

何度呼びかけても、もう声は聞こえない。



ここにいるのは、確かに私だけだ。






































(懐かしいわ、竜の眷属の陽くん)

艶やかで小さな唇が、緩やかに弧を描く。



眼前に現れた巫女は、500年前と同じ姿だ。

透き通る淡い髪も、細い肢体も・・・

魂魄だけになった今も美しいまま、全く衰えていない。



「出来れば、二度と会いたくなかった」

(あら・・・久しぶりに会ったのに、酷い言い草ね)

姫巫女は、柔和な笑みを浮かべて言った。

全く悪びれないこの態度が、余計に俺の癇に障るんだ。

(あなたは、私を憎んでいるのね)

「当たり前だろう。お前のせいで、焔の奴は今・・・!!」

神通力を封じられて、動くことさえ出来ずにいる。





お前は知っているのか?

誰のために、焔が神通力を失ったのかを。

誰のために、宝玉を月環に継承させたのかを。

きっと・・・何も、知らないんだろうね。




だから、余計に憎いんだよ。

自分一人が被害者だと思っている、お前が・・・!!





「俺は、お前のその声を聞くだけで虫唾が走るんだよ!」

眉をひそめた女に罵声を浴びせ、俺は唸った。

本当に、今にも神経が切れそうだ。

でも、女は切なげな表情を浮かべ、俺から眼を逸らさない。

(悪霊・・・そうね、確かにそうかもしれない)

苦々しく笑い、かと思うと、眼差しがみるみる険しくなっていく。


(でも、悪霊だろうと鬼だろうと、何だっていいのよ。

望みを叶えるためなら、何て呼ばれたって構いやしないもの)

開き直りやがって、と何とか袋の緒が限界に達した。

俺はこの女が大嫌いだ。

「・・・俺は、焔みたいに優しくないよ。

だから、もう、お前を野放しにしてはおかない!

俺がここで退治してやる、2度とこの世に目覚めないように!!」

双刀を鞘から抜き払って構えると、女はまた笑う。

刃が見えない訳でもないだろうに、余裕の態度だ。


何故だ・・・?












(ふふっ、あなたは私を殺せるかしら?)








愚かな子。


あなただって、十分優しいのよ?

そのことに、自分が気付いていないだけ・・・








「何、だ・・・?!」

女の口元から、微笑が毀れた。

でも、攻撃が来るかと身構えても、何も起きない。




でも、次の瞬間
























「う、ああぁッ・・・!!」



悲鳴を上げたのは、後方の月環だった。

これまでにないほど痛烈に叫び、苦しげにもがいている。

激しく咳き込んで喉が切れたのか、血を吐いて・・・





何が、起きた?






「どうした、月環?!」

馬鹿な・・・あの女は、誰にも指一本触れていない。

それなのに、この苦しみ様は異常だ。

「だ、いじょうぶだ・・・何故か、胸が、急に痛んで・・・」

「胸、だって?!」

「もしかして、痣が・・・見せて!!」

動揺する俺に代わり、桜が月環を横たえた。

そして、乱暴な手付きで皮製の胸当てを脱がし・・・


「・・・な、何なの、これ!?」

蒼白の桜につられた様に、俺も一瞬で黙った。






蛇の痣が、左胸に潜り込んだ・・・?

周りの皮膚は青く腫れ上がり、血管が浮き出ている。






「ど、どうなってるんだ?!」

そう怒鳴って、俺は背後の視線に気付いた。

慌てて振り返ると、女の細い指先は月環に向けられている。


「お、お前の仕業か・・・?」

俺はゴクリと息を呑んで、恐る恐る言葉を紡ぐ。

すると、クスクス、と女の無邪気な笑い声が響いてくる。

「大蛇の動きを活性化させたのか?!」

大蛇に過剰な生気を注ぎ込んで、暴走させたに違いない。

そうでなければ、こんな風になるもんか。

(ふふっ・・・巫女の力があれば、生気を与えることも難しくないの)

俺は、この女が怖い、と心底思う。

心臓が脈打つ音が、いつもより大きく感じる。


「ね、ねぇ、陽くん・・・ささら様と、一体何の話をしているの?!」

桜には、姫巫女の声は聞こえていないらしい。

まぁ、それは当然のことだろうね。

巫女の魂魄が体から抜ければ、桜はただの人間なんだから。

「くそっ・・・何て奴を連れて来てくれたんだよ」

これは半ば八つ当たりだけど、桜を恨まずにはいられない。

こんな女を相手にしなきゃならないなんて最低だ。

俺は舌打ちして、姫巫女に向直った。








(さぁ、早く剣を渡してちょうだい?

私なら、彼を大蛇から助けてあげることが出来るわ)








「ふざけるなよ、お前が仕向けたくせに!!」

(・・・選択よ、あなたはどうしたい?

蛇の痣が心臓に到達したら、彼は死んでしまうわ)

姫巫女の甘い声に重なるように、月環の悲鳴が聞こえる。

「あ、あぁっ・・・うああああ!!」

視界の端に、苦しんで胸を掻き毟る月環の姿が映る。

悔しくて、悔しくて、俺は唇を噛み締める。

(ねぇ、陽くん。

あなたが優しい子だってこと、私は知っているの。

私が焔に嫁いだ時も、言葉とは裏腹に親切にしてくれたわよね。

だからね、何処を突けば脆いのかなんて簡単なの。

あなたは、私を殺せない)

なんて性質の悪い姫巫女様だよ、くそ!!

「こッ・・・の、卑怯者が!さっさと大蛇を止めろ!!」

(ええ、だから剣を私に)

「嫌だ!! お前なんかに渡すもんか」

こいつの目的は、月環を助けることじゃない。

口車に乗って、剣を渡したらどうなるか!




でも、月環を見殺しにすることなんて・・・































「しっかりして、死んでは駄目!!」

ささら様の姿も、声すらも聞こえないから・・・

目の前で、何が起きているのかも全く分からない。

表面の傷でなければ、介抱も出来ない。



私は、なんて無力なの?!

苦しむ月環を、ただ見ているだけなんて・・・!!













「ごほっ・・・!!」



反対側から、遥の咳が聞こえた。

振り向くと、大蛇に押し倒されるような格好の遥がいる。

鋭利な爪は、一直線に遥の腹部を狙っている。





「遥、危ないわ・・・えッ?!」

遥に圧し掛かっている、大蛇の様子がおかしい。

全身が膨れ、今までの比じゃないくらい巨大化している。

それに、禍々しい殺気が漂っていて・・・

今まで戦っていた大蛇と同じだなんて、到底思えない。



「遥、光一郎、大蛇の様子が?!」

「ちっ・・・こいつ、突然、動きが俊敏になりやがった。

さっきまで受身だったくせに、何が起きたんだよ、一体・・・!!」

遥は果敢に刀を振るって、爪を薙ぎ払う。

でも、その度に、腹部から血が吹き出るのが分かる。

「無理よ、その傷じゃ戦えないわ!!」

私は、遥の隣で応戦している光一郎の加勢を期待した。

でもよく見ると、彼の長刀の刃が半分欠落している。

「光一郎、あなた、刀を折られたの?!」

「大蛇の外郭の強度が上がっているらしく、名刀も真っ二つです。

くっ・・・ですが、柄だけあれば戦えますので!!」

そんなはずないじゃない。

いくら生粋の武官でも、得物がなければ危うい。

光一郎とそんな会話をしていると、鈍い呻き声が耳に入った。


「つぅっ・・・!!」

「遥、大丈夫、しっかりして?!」

爪に引き裂かれた跡を見て、目の前が暗くなる。

あっという間に大粒の涙が溢れ出して、止まらない。



―― 遥が、死ぬ・・・?



「やっ・・・駄目、そんなの!!」

私は懐剣を抜き払って、大蛇に猛進する。

あまりに動転して、剣術の型も何もあったものじゃない。

でも、寸での所で、私を遥が止めた。





「お前は来るな!!」





遥の牽制に、私はビクリと肩を震わせる。

「いいから・・・そこで、大人しくしてろ。大丈夫だから」

「無茶しないで、お願いよ・・・?」

「ごほっ・・・分かってるから、下がってろ」

その言葉で、私はやっと冷静な思考を取り戻した。

動悸を抑えると、正確な状況も把握できた。



即座に”危険”と、脳に信号が走る。

遥は重症、光一郎の愛刀は見事に折られている。

月環は身動きが取れる状況じゃない。

『ああ』と、短く高い悲鳴が、ここまで響いている。


それなのに・・・

巨大化した大蛇は、ますます猛っている。

傷一つないまま、何かに取り憑かれたかのように・・・








どうしたらいい?

最悪の状況に言葉も出ない。

皆を助けたいのに、死なせたくないのに・・・
















大事だから。

死なせたく、ないから。





















―― グイッ!!


私は、陽くんの腰の剣を引っ張った。

そして、剣を両腕に抱いたまま、後ろへ飛び退る。










「あ、おい・・・何するんだよ?!」

その侮蔑を含んだ表情が、目に焼きついて残る。

「止せ、それを姫巫女に渡したらどうなるかッ・・・!!」

差し伸べられた少年の手を、私はスルリと避ける。

そして、お互いに押黙ったまま、しばらく見つめ合っていた。

「私・・・先のことは、よく分からない。

でも、このままじゃ、月環は死んでしまうかもしれないでしょう?!

苦しみ悶えて死ぬなんて、そんなの嫌なの!!

大蛇の様子も何だかいつもと違っていて、遥や光一郎だって・・・」






迸る血の赤で、気が狂うかと思った。

身近な人が、死と隣り合わせになっていると言う現実にも・・・

考えるだけで、心が崩れてしまいそう。

だから・・・今は、こうすることしか浮かばないの。



ごめんなさい、陽くん・・・

何度もそう繰り返し、私は珊瑚色の剣を抱く。






「ささら様、私の体に戻ってください!

そして、この剣を使って、今すぐ大蛇を鎮めてください!!」


両手で、剣を前へと掲げて言った。

無我夢中で、半ば叫び声にも近かったように思う。














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執筆後記

『1日1話更新』を続けること、早3日目です(´∀`*)
このペースは、自他共に認める超遅筆の私にしては、すごい快挙です!
内容の良し悪しは置いといて、今回は自分を褒めてあげようv
すいません、何にも威張れることではないです(滝汗)

この話は、1人称が『桜→陽→桜』と変化しています。
分かりにくいかと思いつつも、話の都合上仕方なかったので勘弁です;
と言うのも、魂が体から抜け出てしまうと、桜からはささらが見えないのです。
ただの人間の桜に、魂魄体を見る力は備わっていないので。
ですから、お話を進めるために、視点を一時的に陽に移しました。
でも、何だかんだ言いつつ、陽の視点で書くのは面白かったです♪
素直に「くそー」とか「開き直りやがって」とか、書けるのはとても新鮮でした。
ささらと陽のコンビも、なかなか気に入ってます///

この話もまた、特に、と言う感想はないのですが・・・
でも、全体を通して見ると、流れや内容はとても気に入っています(^-^*)
個人的な見所を挙げるとすると・・・

1. ささらが月環の痣と大蛇を活性化させるところ
2. ささらの「あなたの何処を突けば脆いのかなんて、簡単なの」

黒ささら、結構好きだったりします(笑)

3. もがく月環の描写(鬼畜ですいません)
4. 遥の「いいから・・・そこで、大人しくしてろ」
5.桜が、陽から刀を奪うところ

ずっと前から考えてきたクライマックスなので、書くのも楽しかったです♪
ただ、それを表現する力が乏しいのが切ない限りです;;