第十二話 「宿木」 「どうしたの、月環?!」 呆然として、眼の焦点も定まっていない・・・ 「・・・あ・・・いえ、何でも・・・何でもありません」 月環の様子も、迫ってくる大蛇の気配も、私を混乱させた。 「何でもないって顔色じゃないわよ」 もしかして、体が痛むのを隠しているのかしら? お節介かもしれないけど、やっぱり私達で月環を守らなきゃ。 そう考えた所で、光一郎が扉へ向かって歩み出た。 「話は掴めませんが、妖怪がここへ来るのですね?」 「ええ・・・もう、すぐそこに」 「ならば、滅ぼさねば。妖怪は忌むべき存在ですから」 背中にある矢筒から矢を出して、森に向けてキリキリと弓を射る。 私はそれを、しばらく呆然と眺めていた。 それでも、ハタと我に返り、大慌てで腕にすがり付く。 「止めて、あれを傷つけては駄目!!」 「何故止めるのです?!」 説明するのが面倒で、私は押し黙った。 そうするうちに、脳裏に『ある物』の姿が閃いた。 「・・・そうだわ、光一郎。あなた、あれを持っている?!」 「あれ、と申しますと・・・? あ、ああ・・・はっ、荷駄の中に携帯しておりますが」 私が両手の指で形を模すと、どうやら理解できたらしい。 ハキハキとした、軍隊調の返事が返ってくる。 「あれを使って!!さぁ、急いで準備を!」 「しかし、巧くいきますか・・・?」 「大蛇を十分に引き付けてから放つの、いい?!」 光一郎に指示を出し、私は月環に頭から布団を被せた。 そして、立ち尽くす男性陣に駆け寄って 「急いで壁際に伏せて、合図するまで顔を上げないで!」 そう促してから、私自身も暖炉の隅に身を屈めた。 すると、次の瞬間 ―― バチバチッ・・・!! 何かが弾けたような大音響が響いた。 電気のような、爆音に、小屋の外が騒然となる。 同時に、瞑った瞼の裏側が明るくなり 藍色の煙が立ち込める。 「良かった、成功したんだわ」 間を置いてから顔を上げて、剣を見てホッと息をついた。 色が、緩やかに元の珊瑚色に戻っていったから。 「・・・あの音は、爆竹か何か?」 遥が、何をしたんだ、と言いたげな視線を送ってきた。 状況を飲み込めていない彼らに、私は懇切丁寧に解説を加える。 「とても珍しい道具でしょう? あれはね、邸の警護のために造られた新種の炸裂弾なの。 殺傷力はほとんどないし、扱うのは難しいけど・・・音と光で大蛇も逃げたはずよ。 戦わずに追い払うには、ぴったりだったでしょう?」 驚く3人を他所に、私は誇らしげに微笑んだ。 「・・・なんつう危険なものを・・・恐れ入ったよ」 でも・・・ でも、これじゃ駄目なんだわ。 いくら追い払っても、何の解決にもならないんだもの。 命を共有している以上、大蛇は殺せないし・・・ かと言って、このまま戦わせたら、月環の体がもたない。 ああっ、もう・・・ 分からないことだらけで、八方塞だ。 「ねぇ、またウジウジ悩んでんの?」 「失礼ね、ほんの少し考え込んでいただけだわ」 カチンと来て凄んで振り向くと、そこには竜が佇んでいた。 全身に金色の鱗を持つ、美しい竜が・・・ 陽、くん?! 「どっ・・・どうしたの、元の姿に戻ったりして」 何度見てもその姿は美しく、威厳が溢れている。 「薬師なんかはいないけど、薬湯がある場所があるんだ。 今から汲みに行くから、ちょっと付き合いなよ」 竜もとい陽くんは、長い髭を揺らして、しきりに顎で背中を指している。 「背中、がどうかした・・・?」 「後ろに乗れって言ってんの。目、腐ってんの?!」 自分の鈍感加減に、あちゃ、と顔をしかめた。 逆らえば、すぐにでも立派な角で刺されそうな剣幕だわ。 「わわっ・・・わ、分かったから怒らないで」 遥に、心配するなと視線を送り、恐る恐る背中に跨った。 金の鬣がフサフサとしていて気持ちいい。 角に掴まると、ほどなく竜は垂直に昇り出す。 落ちる不安は、不気味なほど無かった。 普段より体が軽くて、羽になったみたい・・・ 加速を始めれば、風と一体になっている気さえしたほどだ。 「わぁ、すごい・・・!!」 眼下に広がる森林は、何処までも暗い。 だからこそ、遠くに点在する集落の灯りが綺麗に見える。 遠くに霞む峠も、昼間とは違う厳かさがあった。 「無駄口を叩いてると、舌を噛むよ」 「だって、私、空を飛ぶなんて初めてなんだもの! 海を越えた国では、航空技術が進んでいるって聞いたけどどうなのかしら」 彼が竜神様の縁だと、実は半信半疑だった。 そのことを胸の中で謝罪しつつ、私は空からの景色を堪能した。 「・・・巫女様も、こうして天に昇ったのねぇ」 「は?」 「あら、陽くんも知ってるでしょう? 土地を救うために、ささら様が竜神様に嫁いだこと。 ささら様は、どんな気持ちでこの景色を見たのかしら・・・」 土地を護りたいって、その一心で? それとも、自分の故郷を去る寂しさかしら? どちらにしろ、ささら様の想いが私の胸を締め付けた。 「ねぇ、私はどうするべきかなぁ。 私はね、国を守るために宝玉を捜してここに来たの。 だから、いつまでも大蛇を放って置く訳にはいかないわ。 でも、だからって・・・」 月環を殺す覚悟で大蛇を倒すなんて、私には・・・ 早く決断しなければいけないのに、心が決まらないの。 「まったく、お姫様は甘いったらないね。 犠牲なしの平和なんてさぁ、何処にもありはしないんだよ?」 「ないのかな」 「そんなの、ただの理想論でしょ。 叶う訳ないんだから、一番護りたいものを護るしかないだろ?」 「・・・私・・・私の一番は・・・・・・」 私にとっては、高天原が最優先・・・のはず。 でも、喉の奥に栓をしたように、言葉が出てこなかった。 「陽くんは何を護りたい?」 話を逸らすように尋ねると、彼は不機嫌そうに声を荒げた。 「はぁ? そんなの愚問だね、俺にとっては」 焔の命令が全てだし、他は何も要らない。 だから、邪魔になるものは全て排除する、と迷い無く答えた。 あんたも遥の奴も、宝玉を狙うなら容赦しないよ、とも・・・ そう言い切る彼を、心底すごいと感心した。 でも・・・ 誰かを護るためなら、別の誰かを踏みにじっていいの? そうしなきゃ、上手くいかないのかな? 「ねぇ、遥が一番護りたいものって何?」 月が中天に昇る頃、私達は小屋へと戻った。 若草色の薬湯を月環に飲ませ、たった今、床に付いたばかりだ。 「ねぇ、何?」 「今は・・・お姫様だろうな、護衛だし」 「そう言う意味じゃないの分かるでしょ、はぐらかさないで」 追求すると、背中越しの遥は苦笑する。 「分からない・・・悪いが、俺が唯一護りたかったものは、もう・・・」 ああ、と私は自分の質問の愚かさに気付いた。 「そっか、そうよね・・・ごめんね」 「月環のこと考えてんのか? 俺は・・・民を護るために大蛇と戦う。必要とあらば、躊躇わずに殺すだろう」 硬くてゴツゴツした枕を抱きしめて、私は低く唸った。 「だけどな、なにも月環を犠牲にしたい訳じゃない。 いいか、桜。勘違いするなよ? 俺は、諦めなければ、活路は自然に生まれると信じてるんだ」 「活路はそのうち生まれてくる・・・?」 「ああ、きっとだ」 ああ、そうか・・・ 私が欲しかったのは、その言葉だったんだわ。 「焦る必要なんて何処にもない。 俺は欲張りだから、戦いながら両方護れる方法を探していくさ」 遥は真剣な声色で、今は機を待て、と念を押した。 私に武術を教えていた時の、遥だ。 「うん・・・そっか、何日も悩んでたのに馬鹿みたい」 私は何て盲目だったのだろうと、そう考えると無性に笑えた。 「分かったら、さっさと寝ちまえ。 明日からまた、大蛇と遊んでやらなきゃなんないんだからな」 とても、簡単なことなのね。 今すぐ決断しなきゃなんて、どうして思ったの? 何かを諦めなきゃいけない未来なんて、私は要らないわ。 そんなの、誰も幸せになんてなれないもの。 今は、今のままを受容れればいい。 追い払うだけの鼬ごっこだって、そう悪くない。 諦めて、捨ててしまわなければ・・・ どっちも手に入れられる好機が、きっと来るわ。 きっと、何もかも上手くいく・・・ 「ねぇ、ささら様、怒っているの?」 怯えたように細い声で、少女は尋ねた。 たった今まで、膝の上で寝息を立てていたはずなのに・・・ 不意打ちの、そして話の筋の見えない問いに、私は戸惑った。 「別にそんなことないけど、何故?」 「だって、ずっとお口を噛み締めているから」 言われてみれば、口内に微かに血の味が広がっている。 無意識に、ずっと噛み締めていたのかな。 「あのね・・・これは、別に怒っているせいじゃないの」 心配をかけてごめんね、と私は少女の細い髪を撫でた。 すると、気持ち良がって寄り掛かって来る。 「じゃぁ、どうして?」 「ずっと欲しくてたまらなかった物があってね・・・ もう少しで手に入りそうなのに、上手くいかないから悔しくて」 「そうなの・・・」 そう呟くと、少女はまた静かに眠りに落ちた。 「ふふ、いい子ね。おやすみなさい」 瑞貴が死んでしまってから、私は全てを捨てた。 でも、空っぽだった心が、優しい想いで満たされていくのが分かる。 可愛いこの子と、ここで、こうして過ごすのも悪くない。 でも、私は・・・ 「歌詠さん、私を地上に連れて行ってください」 すぐ隣に腰をかけていた青年に、緩やかに頭を下げた。 すると、彼は頭を上げるように促す。 「地上へ降りて、また姫君の所へ行くのか?」 私は小さく頷いて、あの子はね、と話を切り出した。 「あの子は・・・桜姫は、優しすぎるの。 このまま任せておいても、宝玉は手に入らないでしょう」 私にはもう、自由になる肉体が無い。 死して長い年月が経ち、魂だけが現世に留まっているのだから。 だからこそ、桜姫に宝玉の回収を頼んだけれど・・・ おそらく1つ目の宝玉を得ることは出来ない。 あの姫君は、最後にはきっと・・・ 私との約束よりも、継承者の命を優先してしまうから。 「ああ、おそらくそうだね。これをご覧」 地上の様子を映す水鏡を眺め、歌詠さんは頷いた。 水鏡には、北州の様子が・・・ 大蛇を追い払おうと必死になっている姫君の姿が、映っていた。 「このままでは、何時までも進展しないのだろうね」 じれったい、と私は唇をへの字に結んだ。 「だから、背中を押してあげに行くの。 何としても、彼女に宝玉を見付けてもらわないと困るんだもの」 「いいだろう、君の望む通りにしよう」 働いてもらわなくちゃ 宝玉を見付けてもらわなくちゃ、困るんだもの。 たとえ、誰を死なせたとしても・・・ね? 次頁へ *____________________________________________________________________________________________________________________*
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