第十一話 「邂逅の音」 僕を案じる、姫君の声がする。 早く目覚めて、大事無いことを伝えなければ・・・ でも、体が動かないのは何故だろう? ”お願い・・・逢いたいの、逢いたいッ・・・” ああ・・・また、夢を見ているのか。 そう、いつも見る夢。 心だけが、何処か遠くを漂っていて・・・ 辿り着いた先で、ずっと少女が泣いているんだ。 そして ”ねぇ、私よ。分かるでしょう?” 泣きじゃくる君は、しきりに僕を呼ぶ。 それなのに、手を差し伸べてやることも出来ない。 ごめん、ごめんね。 僕は忘れている。 君を、僕を、そして僕らを包む全てのことを・・・ 忘れたことすら、憶えていない程に。 ねぇ、どうしたら思い出せる? どうしたら、僕は君に償えるのだろう? 「お疲れさん、一息つこう」 そう言って、遥がお茶の器を差し出した。 「私は何も・・・2人がよく働いてくれたおかげだわ」 月環の痙攣は治まり、熱も徐々に引いてきた。 私の対処が正しかったかは分からないけど、とりあえずもう安心だ。 「あんな恐ろしい形相で怒鳴られたら、嫌でもね」 「はは、それもそうだな・・・しかし」 遥の視線は、月環の胸元の包帯に向いている。 つられるようにして、私も表情を曇らせた。 月環を蝕む、痣。 まるで、這いずり回る蛇のような・・・ 「竜神様は、大蛇を封じる方法について何か?」 このままの状態が続けば、月環が危ない。 竜神様が何か解決策をくれたら、と今は願うしかなかった。 でも、そんな期待とは裏腹に、陽くんは俯いた。 「いや、大蛇については何も・・・『絶対に殺すな』としか言われていない」 「言っちゃ悪いが、あまり親切とは言えない主人だな」 すると、彼は寂しげに顔を歪め首を振った。 「そう言わないでやってよ、頼むから。 焔は、力を封じられて、まともに話せないくらい弱ってるんだ」 ささらさまも、竜神様が弱っていると言ってた。 でも、確か・・・その理由は、寿命だったはずだけれど? 「竜神様を封じてるって、誰が?」 初めて耳にする話に、私は興味心身で首を傾げた。 でも、黙ったままの唇が、微かに震えていたように見えたから・・・ 「やっぱりいい、言えないなら聞かない。 それより話を戻すけど、月環の体は衰弱しきってるわ。 どういう理由であれ、これ以上、大蛇と戦わせる訳にはいかない」 私の指摘に、遥も黙って首を縦に振った。 「この大振の剣を扱うには、月環は小柄るぎたんだろう。 これからのことを、考えないとな」 「心配には及びません、僕は・・・」 聞こえた呟きに、3人一斉に枕辺を見やる。 すると、月環は苦しげに顔を歪めながら、呼吸を整えた。 「・・・月環、気が付いたのね?!」 「僕は・・・戦って、いたいんです。ずっと。どうか止めないで、ください」 月環は元々線が細かったけど、今は前よりか細く見える。 まるで、この世のものではないみたい・・・ 「戦っていたいって、あなた、何を言っているの?」 澄んだ瞳には、私の姿は映っていない。 「あなたは、自分の体がどうなってもいいの?」 恐る恐る尋ねると、月環は冷めた目で天井を仰ぐ。 「構いやしません、僕には・・・もう失くすものなどないから」 「いいえ、父君や母君が心配なさるわ」 「・・・別に。どうせ、顔も名前も覚えていませんから」 淡々と放ったその言葉に、私は声を荒げた。 「何、それ?」 「僕には、一月前より昔の記憶がないんです。 目覚めた時は、この雪原で横たわっていて・・・ この白銀の世界から生まれたのかと、真剣に考えましたよ」 目覚めた時に見たあの夕暮れが、僕の始まり。 「・・・本当に、分からないの?」 どうやって生まれ、どのように育ったか何もかも・・・? 小さく頷く月環は、寂しげな笑みを浮かべる。 「だから僕は、過去を取り戻したい」 その術は、ここにある。 僕の中に、確信めいた想いがあるんだ。 この戦いの果てに答えが潜んでいる。 忘れた全てを・・・あの少女のことを思い出せる、と。 きっと、思い出せる。 だから僕は、この身を戦いに投じていたい。 たとえ、僕自身を犠牲にしたとしても・・・ 真実を、手に入れられるのなら。 「おい、いつまでそんな顔してるんだ?」 薪を取りにいくと言う名目で、私は外に連れ出された。 それが、遥の精一杯の気遣いだと分かるけど・・・ 私は、月環のことを思わずにいられない。 「呆けていてもいいけど、薪を落とさないでよ」 薪小屋までの案内役の陽くんが、冷たく言い放つ。 「あ、ごめんなさい・・・気を付けるわ」 だって、どうして平気なの? 記憶もすっかり無くて そのうち、死んでしまうかもしれない。 心細くないはずないのに・・・ 「私ね・・・月環に、子供の頃の話をしたの」 事情を知らなかったとは言え、何て無神経なことをしたのかしら。 「今更悔いたって仕方ないだろ」 「あのさぁ、同情なら他所でやったら? 湿っぽくて、気が滅入るんだよ」 私は、無意識にきつい視線を投げかけていた。 つっけんどんな言い方が、今回ばかりは癇に障ったから。 「あなたこそ、もう少し人を思い遣ったらどうなの?」 「あんたって馬鹿だ、いちいち口に出さなきゃ分かんない?! 命令とか継承者とか、俺がそれだけのために側にいると思ってんの?」 それは、そうよね・・・ 彼が月環を思っていないはずがないわ。 素直に口に出さないだけで、本当は誰よりも・・・ 「軽率だったわ、ごめんなさい」 「・・・それに、心配しなくても、記憶はいずれ戻る」 だって、俺は知ってるんだ。 月環の記憶を縛ったのは、他ならぬ焔で・・・ そして、その呪縛は、ごく簡単なものだってことを。 あんたの中に宿るあの姫巫女が 月環の前に表れれば、記憶の糸は解けるだろう。 いとも簡単に、解けてしまうんだ・・・ 本当は・・・ 本当は、月環が望むなら教えてやりたい。 秘密を洗いざらい話して、安心させてやりたいよ。 でも、失くした記憶を取り戻した時・・・ 月環は ――― きっと、死ぬ。 月環にかけた焔の願いも、全て打ち砕かれるんだ。 だから、記憶なんて一生戻らなくていい。 「記憶が戻るまでは、私も協力を」 惜しまない、と言い掛けた所で、不審な香りに気が付いた。 「・・・ねぇ、何だか嫌な香りがする・・・」 「ああ、小屋の方からだ」 鼻を利かせると、それは明らかだった。 神経を苛立たせる、この粘っこい匂いを、私は知ってる・・・ これは、確か 「2人とも嗅いじゃ駄目、薬品よ!!」 そうよ、何ですぐ気付かなかったの。 都にいた頃、暗殺者が使ってきた神経性の毒薬じゃない! 私は薪の束を捨てて、小屋へと走る。 遥も私の後を追って走り、一足早く中に飛び込んだ。 「2人は外で待ってろ。相当強いから、嗅いだら一瞬でのびちまう」 「私も行くわ、薬物には耐性があるもの!」 昔、何度も毒殺されかけて、それから体を慣らしてきた。 それがこんな所で役に立つなんて皮肉ね。 「月環・・・おい、何処だ?!」 袖で口を覆い、煙を避けて辺りを見回す。 すると、月環が横たわる寝台のすぐ隣に、黒い影が蠢いた。 そして、今にも月環の喉に刃を落とそうとしている。 ―― あれは・・・!! その姿を見ても、今度は驚かなかった。 「下がって! 月環から離れなさい、今すぐに!!」 影の正体は案の定、彼だった。 黒い防毒面を付けた光一郎は、平然として一礼する。 「・・・どういうこと、光一郎?」 私は窓を開け換気をしながら、光一郎を睨む。 その視線に気付かないのか何なのか、彼は実直に答えた。 「先日は、挨拶もせぬまま失礼を・・・」 「ふざけないで。何をしていたのか説明しなさい、と言っているの」 私の威圧に、光一郎は口調を改めた。 「恐れながら申し上げます。 私は、御方様の密命を受けてこの地に参りました。 国の存続のため、早急にこ奴を抹殺せねばならないのです! 止めてくださいますな、姫様!!」 そう言って、光一郎は鞘から刃を抜き払う。 このお役目男は、生真面目すぎて私の手には負えない・・・ はいはい、とあしらって、逆に質問を投げかける。 「月環が何の罪を犯したって言うの? どんな刑法に触れて、処刑されなきゃいけないの?」 「それは、唯月様が占いで・・・」 慌てて目を逸らすその顔には、困惑の色が浮かぶ。 「ほら、御覧なさい、それだけでしょう?! 邪悪な魂だの何だのって、占いなんかで人を殺すなんて最低よ。 恥を知りなさい!!」 光一郎は、冷徹なお母様の影だ。 要人の暗殺だって、命令とあらば勤めとしてこなしてきた。 でも、彼は・・・月環は、何も悪くないのよ? 「今すぐ引き返してお母様に伝えるのよ。 『北州は危機に瀕していて、馬鹿げた争いをしてる暇はない』と」 「その命令は聞けません、高次の命令が出ていますので」 「意地張ってる場合じゃないのよ?!」 あの妖怪を見れば、お母様だってきっと・・・ ―― ポウ・・・ 壁に立てかけた剣が、突如、青白く光る。 見慣れた光景なのに、やっぱりまだ緊張が走った。 また、来たのね。 「あ、あの光は一体何なのです・・・?」 ここ数日は大人しかった大蛇が、目覚めてしまったんだ。 しかもここには、月環を付け狙う光一郎までいる。 まったく、三つ巴なんて最悪の事態だわ・・・ 「大蛇よ、百足に似た妖怪なの」 徐々に強くなる光は、大蛇が迫っていることを示唆していた。 冗談じゃないわ。 今、月環を戦わせる訳には・・・ 「・・・って・・・ま、待って、駄目だったら!」 私は覆い被さるようにして、立ち上がった月環の動きを封じた。 それでも、月環は、振り払おうと必死にもがいている。 「放してください、僕が奴を倒さないと!!」 「嫌!! 戦えば、今度こそ死ぬかもしれないのよ!?」 「いい、それでもっ・・・早く剣を!!」 月環は、私から引っ手繰るようにして青銀の剣をつかむ。 すると、その瞬間、月環の動きが停止した。 「奴を鎮め、ない・・・と・・・」 ―― 彼女の、ために。 「え・・・?」 頭の中に、確かな波紋が残る。 ほんの一瞬、あの夢の続きかと思ったけれど・・・ 違う、今度は男の穏やかな声だ。 ―― 彼女のために、戦わなければ。 「彼女とは、一体・・・つぅっ」 突然、こめかみに刺すような痛みが走った。 ―― これ以上、君の手を汚さないために・・・ 姫君の声は、もう届いていなかった。 小屋内に立ち込める騒々しさも、吹雪の音も何もない。 ただ静寂と、男の声だけが・・・ ―― な、ささら? いつまでも、花のような君でいてほしいから。 「お前は、一体誰なんだ・・・?」 説明できない無数の不安が、胸に突き刺さった。 これは、誰の声? 懐かしく感じるのは、何故だろう? 知らない・・・でも、知っている気がする。 いつだったか、遠い昔に・・・ 次頁へ *____________________________________________________________________________________________________________________*
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