第十話 「血の楔」







「熱、下がってないわね・・・」

月環の狭い額に手をやって、私は項垂れた。

掌に残った彼の体温は、明らかに私よりも熱かったから。

「ああ、ただの風邪や熱病の類じゃなさそうだ」




月環が倒れてから、今日でもう3日。

熱が下がる気配はなく、未だに意識を失くしたままだ。




「大蛇が出ないのが唯一の救いだな」

私は小さく頷いて、しかめ面の少年に視線を送った。

「・・・ねぇ、陽くん・・・この辺りに、良い薬師様はいらっしゃらない?」

その質問に、少年は鼻を鳴らしただけで答えない。

「あ、あの、聞いてる?」

「うるっさいなぁ、そんなのこの雪山にいると思う?!」

忌々しそうなその言葉は、確かに正論だけど・・・

「でも、月環が心配だわ。せめて、病名だけでも教えてもらえたら・・・」

「・・・それを聞いて、あんたは何をしてくれるわけ?

そもそも、寝込むほど月環が無理したのは、あんたのせいだろ。

招かれざる客のくせに迷惑までかけて、最悪だね」

淡々と言い放ち、彼は長い睫を伏せた。

お馴染みの憎たらしい口上に、気分が一気に重くなってくる。

私は迷惑かける一方だもの、当然よね。

「・・・でも・・・」

無力に落ち込むばかりじゃ、何も始まらない。

私は自分にそう言い聞かせて、毅然とした態度で顔を上げた。

「見てて、全力で月環を治してみせるわ。」

『ごめんなさい』も『ありがとう』も、全部込めて・・・









沈んだ私の背中を叩いて、遥は外へ出た。

『病人と女子供しかいない今、襲われれば一溜まりもない』

そう言って、大蛇の監視を願い出てくれたからだ。


遥が夜の森に消えると、陽くんは一人でさっさと眠ってしまった。

部屋の隅から、規則的な寝息が聞こえてくる。

少し気まずかったから・・・正直言うと、有難かった。





「また熱が上がったんだわ、すごい汗・・・」

暖炉の灯りしかない小屋の中は、ひどく暗い。

それでもはっきりと分かるほど、月環の薄紫の前髪が濡れていた。

麻布で額に滲む汗を拭い、煎じた薬草を口元に運ぶ。


すると







「・・・ねぇ、あんたさ」

「ひえっ・・・」

背後から突然、今は聞こえないはずの声がした。

一瞬、背中を大きく震わせて、苦笑を浮かべて少年を振り返る。

「あ・・・ごめんね、起こしちゃった?」

すると、子供扱いするな、と言いたげな瞳が向けられる。

「俺、竜族だって言っただろ。あんたより何倍も年上なんだからさ」

「ごめんなさい、とても若く見えるから・・・つい」

神様の年齢を見分けるなんて、至難の業よ。

だって、どう見てもまだ元服前の少年なんだもの。

「あ、そうだ・・・起こしちゃったついでに、甑の場所を教えて?

病人には、お粥を炊いてあげるのが一番いいわよね」

気まずい空気を掻き消すように喋る私を、彼は黙って見ていた。

「・・・・・・」

その視線はいつになく鋭く、刺さっても不思議じゃないくらい。

「ほ、本当はね、お料理は大の苦手なんだけどっ・・・」

でも、私は懸命に気にしない振りを続けた。









「・・・月環の病はさ、大蛇が原因なんだ。

だから、看病も無駄だし、普通の薬なんか効きやしないんだよ」









え・・・?



少年は、私の声を遮って

今まで頑なに拒んできた真相を、語り始めた。









「どうして、急に話してくれる気になったの・・・?」

話の内容は、耳を掠めただけで通り過ぎた。

それよりも、彼の態度の急変に、私はポカンと口を開け放った。

「別に。あんたがあんまり必死だから、ただの気まぐれだよ。

いいから黙って聞けってば!」

ここで彼を怒らせてしまったらまずいわ。

私は疑問を押し殺したまま、ええ、と相槌を打った。





「月環の命は、大蛇と繋がっているんだ。

だから、大蛇が傷つくと、月環にも痛みがそのまま伝わる」

「何、それ・・・?」

「この熱だってそう、大蛇の痛みをもろに食らったんだ」

陽くんの真っ直ぐな瞳は、嘘を言っていない。

でも、大蛇の痛みが伝わるなんて、そんな馬鹿なことある・・・?

「2人の間で、どうしてそんなことが起こるの?」

「月環が、この剣を継承したから。

宝玉は・・・つまり大蛇は、宿主の体に寄生して生きているんだ」

継承した宿主の体に、寄生・・・?

私はひたすら瞬きを繰り返し、最終的には下を向いてしまった。

そう易々と、事情を飲み込めるはずがないもの。


「・・・じゃぁ、大蛇を殺せば月環も一緒に死ぬってこと?」

弱々しい問いに、陽くんは目を細めて頷いた。

「でも・・・竜神様は、大蛇を封じるようにおっしゃったんでしょう?」

「そう、殺さず剣に封じ込めておくことが月環の役目」

そんな方法があるのかは、私には分からない。

でも、混乱した私の脳内には、また別の疑問が浮上していた。


もっと別の、不穏な疑問が・・・









「ねぇ・・・宝玉って、一体何なの・・・?」









「・・・宝玉は、竜神様の力の源だって・・・

国を護るための大切な物だって、ささら様はおっしゃったのよ?」

心に一旦生じた不信感は、どんどん膨らんでいく。

「だから、私はささら様の言葉に従ったわ」






それなのに、宝玉は邪悪な大蛇を生み出した。

そして継承者の月環に寄生して、今も生き続けている。

とてもじゃないけど、純粋なものには思えない。

これじゃまるで、宝玉は・・・



まるで宝玉は、と言いかけた時だった。










―― ガクンッ!!


横たわった月環の体が、激しく揺れた。

それより、何かに”揺さぶられる”動きに近いかもしれない。

意識のない状態にしては、明らかに不自然だわ。









「・・・うっ・・・あ、あぁ・・・!!」


私が慌てて駆け寄ると、悲痛な呻き声があがった。

噛み締めた唇からは血が滲んでいる。

「月環、どうしたのっ・・・ねぇ、どこか痛いの?!」

もがき暴れる月環の両腕を、私は両手で抑え込んだ。

騒ぎを聞いて駆けつけた遥も、硬直しきって伸びた足を押さえる。

「どうしたって言うんだ・・・?」

「よく分からないわ。今、急に苦しみだしたのよ」

力なく首を左右に振り、私は眉をしかめた。

すると、視界の端に、月環の奇妙な動きが飛び込んでくる。









胸を・・・かばって、る?





私の頭の中で何かが弾けた。

不自然に見えた動きは、胸をかばっていたからで・・・


胸に、何か?








「・・・陽くん、月環の腕を押さえて!!」

そう言うと、彼は素早く月環の頭上に回り、両手を掴んだ。

そして、訝しげに開かれた大きな瞳で私を睨む。

「あんた、何をする気・・・?」

私はその問いに答えず、ごくりと唾を飲み込んだ。

そして、月環の体の上に身を乗り出し










―― グイッ・・・

厚手の服の胸元を開いて、目を凝らす。




すると、そこには









「・・・や、やっぱり・・・!!」

白い胸元の中央には、赤い筋が刻まれていた。

家畜に押す焼印のように、皮膚に浮き出たその筋は・・・

まるで、地を這いずり回る蛇のよう。





これも、宝玉を継承したせいなの・・・?






「何だよ、それ?!」

「このこと・・・あなたも、知らなかったのね?」

頷く陽くんを横目に、私はそっとその筋に触れてみた。

燃えるような熱さに、私は一瞬呆然とする。

私の目の前で、何が起きてるの?!

「大変ッ・・・遥は水をありったけ用意して。体を冷やすの!

陽くんは、大急ぎで冷たい砂糖水を作って持ってきてッ!!」







蛇のようなこの痣が

大蛇と命を共有している証なのかしら?






そんなの、分かりっこないわ。

誰に何て尋ねたらいいのかさえ、私には・・・






ささら様、あなたは・・・

一体、私に何をさせたいのですか?










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 執筆後記

ご、ご無沙汰しております、こんにちわ。
ハシカだか風邪だか良く分からない熱でヒーヒーしてます、幸村です。
月環とお揃いだ、とかどうでもいいことを考えてます(苦笑)
月1のペースで熱を出すんですが、いつからこんなに軟弱者になったのか;;

さて、とりあえず、遅くなりましたが十話を更新しました。
『蛇のような痣』と宝玉への疑問は、ずっと書こうと思っていたのですが・・・
ダラダラしてて読んでいて楽しくないので、どうにも気に食わない。
「だったら、そんなもん上げるなよ」と、思われると思うのですがっ><;
そのうち・・・早くても、夏以降になると思いますが書き直しますので、
時間的な余裕がない今は、この程度で及第点にして頂けたら、と切に願ってます。
と言う訳で、気に入らない話への感想は割愛します(汗)

それから、ちらっと出た「甑」は「こしき」と読みます。
弥生時代以降、平安までお米や豆類を蒸すのに使った道具のことです。
高天原の食事は平安期の食事をイメージしてたので、お鍋・お釜と言わず、あえて・・・
ちなみに、4章で出てくる水穂の国は吐藩とか中央アジア系がイメージ。