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第二章 第七話 警鐘
知らないのなら教えてあげる。
あなたを育んできたものが、いかに愚かで脆弱なものか。
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この国には言い伝えがあるの。
『一人の少女が生贄として竜神に身を捧げ、
その御霊は社に祀られ、未来永劫、神と人間の礎に』
そんな、土地を救った姫巫女の物語。
なのに今、
この心は確かに触れている。
五百年前の、美しくも哀しいお伽話に・・・・・・
(突然の挨拶でごめんなさい。驚いた?)
喩えるなら、熟れた果実か砂糖菓子。
もしくは揺り篭の中の子守唄。
そんな甘く優しい音色が、私の頭の奥をそっと撫でている。
「当然ですよ。
だって・・・・・・姫巫女様は五百年も昔の方でしょう?」
そう尋ねると、ささら様は笑みを溢した。
(ふふ、そうね。
有機物である体は朽ちて、もう現存していないわ。
今あなたの中にあるのは、私の心だけ。
死ぬ時に体から魂魄だけ切り離して、今日まで留めておいたから。
あなた達の言葉では、幽体離脱とでも言うのかしら?)
反論の言葉を一瞬だけ捜して、私は息を吐いた。
遥にも朝日にも聞こえず、発信源も分からない声が、
今も私にだけ聞こえ続けている。
もうどう疑えばいいのかも分からない。降参だわ。
「信じます。だから教えてください。
魂だけで私と繋がったのは、国の危機を伝えるため?」
(そう。かつて、私が護った土地だから・・・・・・)
優しい声。
だけど、身を切るような哀しい響き。
(ねぇ、桜姫。
地盤が緩むとどうなるか、あなたは知ってる?)
しばらく間を置いてから、ささら様は重々しい口調で切り出した。
危機と呼ぶには拍子抜けしてしまう内容で、
呆気に取られた私は、ひたすら瞬きを繰り返した。
地盤って地殻の表面のことよね?
土砂崩れや雪崩が起きる、くらいしか思い付かないけれど。
「高天原と何か関係が?」
(元々、高天原の土は含水率がとても高くて、
建築構造物の支持層には適さない、軟弱基盤だったの。
要は、大昔からとても脆かったと言うことよ)
「はい。それは習いました」
(その上、近年の大規模な掘削、地質の変化と積雪も加わって、
いよいよ、土地が重みに耐えられなくなっているの。
今はまだ兆候がないかもしれないけれど)
え?
私は必死で地学の講義内容を振り返る。
うんざりするほど難しくて、舟を漕いだこともあったけど・・・・・・
どう考えても初耳だった。
私の戸惑いを察したのか、ささら様は続ける。
(歪みは日に日に酷くなっているわ。
一箇所が崩れれば、連鎖反応で国全域が沈下するでしょう)
「そんな!」
連鎖反応で国全域が沈む・・・・・・?
(それが事実よ。もう長くは持たないでしょうね。
一気に沈降し、国は堆積した氷河に飲まれてしまうわ)
「で、でも待ってください!
高天原には竜神様の力が働いているんですよ。
それは全て、昔ささら様が築いてくださったことでしょう?」
雪が降り続くこの国で、
私達が何の不自由もなく暮らして来れたのは、
竜神様のお力添えがあったからよ。
これまでも。そしてきっと、これからだって・・・・・・!!
(あなた方は知らないのね・・・・・・?
外見に変化がなくても、年を重ねる毎に老いていくものなの。
神と言えども寿命がくれば死んでしまうわ)
死ぬ?
(神の力・・・・・・神通力にも限界がある。
その力が尽きれば、いつかは消滅してしまうの)
「竜神様が消滅する?!」
私は思わず、甲高い声を上げた。
その声は、長い回廊を端から端まで貫くほど大きく響いた。
それまでは私の様子を静かに見守っていた遥も、
今度ばかりは目を丸くしている。
「どうして? 私達の祀り方が悪かったのですか?」
(いいえ、それは違うわ。
供物や祈願で回避できるような単純な話ではないのよ。
お水の入った柄杓を傾けてごらんなさい。
金や果物を足しても、中のお水は変わらず零れ続けるものだわ)
ささら様の落ち着いた声音が、神経を逆撫でする。
じれったくなった私は足を踏み鳴らした。
八つ当たりだと分かってても、
こんな時に冷静でいられるほど大人じゃない。
「それならどうしてッ・・・・・・!!
もうしそうなったら、高天原は一体どうなるの!?」
混乱して、頭がどうにかなってしまいそう。
誰も、何も悪くないのに・・・・・・
このまま滅びるのを待つことしか出来ないの?!
「お願い、助けて。私達を助けてください!!
国庫を開いても長くは持たない。
隣国の援助も、国民全員が等しく受けられるはずがない。
何より、住居を失くせば豪雪に耐えられない!
土地を追われたら生きていけない人が、ここには大勢いるの!!」
藁にも縋る想いで私がそう叫ぶと、
ささら様はしばらく沈黙した後、ぽつりと呟いた。
今まで聞いたことがないくらい、冷たく凍えるような音で。
(それは昔、あなた方が妖族にしたことでしょう?)
自分本位に全てを奪ったじゃない。
それなのに、いざ自分達が同じ立場に置かれると、
そうして惨めに命乞いをして騒ぐのね。
「え、何か・・・・・・?」
ささら様のその呟きは、疾風に掻き消されていった。
この時、その意味に気付いていたら・・・・・・
私は、彼女を救えた?
答えはもう、誰にも分からないけれど。
(桜姫。これから話すことをよく聞いて。
あなたを信じ、土地を護る方法を一つだけ教えてあげる)
「ほ、本当ですか?!」
思わず、情けないくらい声が上擦った。
鬼気迫る雰囲気で身を乗り出した私をよそに、
ささら様は静かに、ええと頷き話を続けた。
(青銀の剣、翠緑の鏡、灼紅の勾玉。
あなた方の力で、この三つの宝玉を探してください)
「・・・・・・三つの・・・・・・宝玉?」
(刀剣、手鏡、勾玉の形をした三種の神器が、
高天原近隣に住む、それぞれ継承者に護られているの。
早急にそれを集めて、私に届けてちょうだい)
届けてって、さも簡単そうに言うけれど・・・・・・
特徴を聞いてもまるでピンと来ないし、
脳内を隈なく探してみても、今は該当する物がない。
そんな物一体何処にあるの?
そもそも高天原の地盤の問題に何か関係あるの・・・・・・?
「あの、まず宝玉って何なんですか?」
不安げに尋ねた私を、ささら様はよしよしと宥める。
正確には、そんな気がしただけだけど。
(宝玉はね、竜神の神通力の源なの。
元は一つの石だったのだけど、竜神が砕いて各地に離散させたの。
高天原の広大な国土を均等に維持し、守護するためにね。
でも、三つに分割して各地に置いた時から、力は著しく弱り始めたわ。
竜神の手元から長く離れていいものではなかったのね)
「じゃぁ、宝玉を一つに集めたら・・・・・・!」
(お察しの通り。
地盤の崩れを防ぐくらいは、竜神の神通力も回復するはずよ。
その後で、また力を各地に振り分ければいい。
あなたの焦る気持ちも分かるけれど、
竜神の護りの要である宝玉探しが先決だと思うわ)
竜神様と同じ時を過ごしたささら様のお墨付きを得て、
私の淡い期待は確信に変わった。
暗澹とした気持ちが、みるみる晴れていく。
宝玉を揃えたら、竜神様の守護は・・・・・・
「ささら様。私、決めました」
そう切り出した唇が少し震えたけれど、
私は気付かない振りをして、ごくりと唾を飲んだ。
老若男女誰もが知る、国造り神話。
その続きが、五百年後の今になって、何故か私に託された。
正直、不安も疑問も尽きないけれど・・・・・・
竜神様が私の助けを必要としてくれるのなら、
無謀でも何でも、完結まで書き上げるの。
どんなことがあっても、必ず。
「私、宝玉を探します!必ず!!
私の手で、高天原を・・・・・・竜神様を護ります!」
私がそう言うと、ささら様は意味有り気に含み笑いを零した。
「あの、何か・・・・・・?」
私、何か変なことでも言ったかしら。
怪訝そうに眉根を寄せると、突然ささら様が小さく唸った。
背中を摩ることも出来ずうろたえていると、
(・・・・・・っ・・・・・・大丈夫。
わ、笑ってしまってごめんなさい。
それに時間みたい。私・・・・・・もう行かなくちゃ・・・・・・)
私に心配をかけまいと明るい声を搾り出して、
気丈に振舞う姿が余計に痛々しい。
「魂だけなのに無理をさせてしまってごめんなさい。
そして、ありがとうございました!
あっ・・・・・・あの、最後に一つお願いがあるんです」
私が恐る恐る切り出すと、ささら様は「何?」と囁いた。
「図々しいことは承知で・・・・・・
竜神様のお名前を教えてくれませんか?」
(ふふ、突然なぁに?)
私の言葉がよっぽど想定外だったのか、
ささら様は一瞬ひどく動揺して、くすりと笑った。
「お守り代わり、かな。
竜神様が少しでも側に居て、見守ってくださるように。
打たれ弱い私が、諦めずに頑張れるように」
気恥ずかしくて躊躇いつつも、私が隠さず答えると、
ささら様は噛み締めるようにゆっくりと、
たった一度だけ、愛しい人の名前を呼んだ。
(焔、それが彼の名前。
燃えるような黄金色の髪と、輝く瞳の・・・・・・)
声が掠れて、最後は上手く聞き取れなかった。
私が何度呼び掛けてみても、もう頭の奥は振動しない。
「ささら、様・・・・・・」
ささら様の魂魄が私の中から姿を消したのは、
一目瞭然だった。
「・・・・・・遥、一緒に来て!」
「ちょっ・・・・・・何処へ? おい、止まれって!」
姫巫女様との会話の余韻に浸る間もなく、
私は半ば強引に遥の腕を引き、小走りに来た道を戻る。
突然のことに戸惑いと苛立ちを隠せない様子で、遥は言った。
「何処へ、何をしに行くつもりだ?
姫巫女のことも含めて、一通り説明してからにしろ!」
でも、それを一蹴するように私は駆け出した。
「話は、お母様の前で。
ここであなたとのんびりしている時間は無いの!」
本当は二人でのんびりしたかったけれど・・・・・・
途端に残念な気がして、私は静かに唸る。
でも、今は非常事態なのよ、と本心を飲み込んで、
腕を引く手に力を込めた。
竜神様の限界がいつだか分からない以上、
少しでも迅速に行動しなくちゃいけない。
焔様、ささら様・・・・・・
私、負けません。あなた方が護ってきた土地を、私も護りぬく。
どうか力を貸してください。
艶やかな栗色の髪。
滑らかで透き通る、白磁の肌。
長い睫に縁取られた大きな瞳は黒曜石で、
綺麗に笑う唇は、深海の桃色珊瑚。
身を切るような深い絶望も、苦しみも知らないまま、
愛され大切に育てられた良家の姫君。
それが、彼女の第一印象だった。
だからあの子に決めたの。
あの子なら、きっと・・・・・・
「・・・・・・ら。ささら?」
「え?」
誰かに呼ばれた気がして周囲を見回すと、
そこには人の姿はもちろん、何の気配もなかった。
その代わり、
ずっと目を離さず眺めていたはずの景色が、
いつの間にか、闇色に染まっていることに気付いた。
「どうして。さっきまで夕方だったのに・・・・・・」
私はひたすら瞬きを繰り返す。
すると、
「君の時計は狂っているよ。
もう何時間も、そこでそうして固まっていたのに」
誰もいないはずの私の右隣から、穏やかな声が響く。
私はすぐにその正体に気付き、ふわりと微笑む。
「そうだったかしら、歌詠さん」
私が名前を呼ぶと、
周囲の濃紺をくるくると巻き取るようにして、
私のすぐ隣で黒い影が膨らみ始めた。
そして、見る見るうちにその影は細く収縮していき、
最後に、黒い衣装を全身に纏った若い男性が現れた。
あぁ、やっぱりね。
「あまり心配をかけてはいけないよ?
居場所は常に教えておくように、と約束したはずだろう」
歌詠さんは、やれやれと溜息をついた。
寡黙で無表情なのに、彼が纏う空気は誰よりも優しい。
私は甘えるように手を合わせる。
(ごめんなさい。
すごく疲れていたから、少しだけ休むつもりだったの。
実はね・・・・・・さっき、高天原の姫君に会ったの)
歌詠さんが、ぴくりと眉を吊り上げる。
「教えてくれないか。
君は何故、あの娘に宝玉を探させようとするんだ?」
歌詠さんが口を開いた拍子に、
桜姫が着ていた着物の柄が、脳裏を過ぎった。
とても綺麗で、華やかな柄だった。
(あの子は、あの領主一族の子孫だもの。
瑞貴や千代、妖怪達を殺した全ての元凶のくせに、
今まで何不自由なくのうのうと生き延びて・・・・・・
だから、ね。
少しくらいの意地悪も許されると思わない?)
着る物にも食べる物にも困ったことのない、深窓のお姫様。
何の苦労も知らない彼女が、
とても羨ましくて、ほんの少し憎らしくて。
だから・・・・・・
「そうか。それで、姫君は何と?」
歌詠さんがその先を追究することはなく、
私はほっと息を吐いた。
これ以上は、一度塞がった心の傷がまた開きそうな気がした。
(予定通り、私の話を疑いもしなかった。
宝玉を集めてくれるそうよ。
大切な土地を自分の手で護りたいんですって。健気ね。
でも・・・・・・でも、そんなものは詭弁だわ。
あの土地は、卑劣な手段で彼らが奪い取ったものよ。
少しでも良心があるのなら、非礼を詫びて返すべきなのに)
昔はあんなに美しかった景色が、
今はもう見る影もない。
心無い人達に奪われて、跡形もなく壊されてしまった。
どんなに足掻いても、命を賭しても、
結局、何も残らなかった。
残せなかった。
でも・・・・・・
まだ終われない。
泣き寝入りなんてしたくない。
必ず取り戻すわ。
私が夢に見た、美しいあの景色を。
「ささら・・・・・・
君を見ていると、時々、無性に哀しくなるよ」
私の顔を横目で眺めていた歌詠さんが、
紅色の眼をゆっくりと伏せた。
(私も、哀しいの。
世界の全てが輝いて見えたあの頃に帰りたいと、
何度も、何度も、繰り返し願ったのに・・・・・・
どうして、こんな風にしか生きられなかったの)
ずきん。
こめかみに、針でも突き刺したような痛みが走った。
私は思わず、苦痛に顔を歪める。
「・・・・・・んっ・・・・・・」
「一度帰ろう。限界だ、体を休めなければ」
頭を何度か摩った後、歌詠さんは私の両手を取った。
すると、繋がった所から黒い影が濛々と立ち上り、
体を塗りつぶしてゆく。
(ええ。花降さんがあなたの帰りを待っていると思うわ)
「きっと烈火の如く怒っているだろうね・・・・・・」
表情は見えない。
でも、げんなりした様子は、声に滲み出ていた。
歌詠さんが想像した、私達を出迎える花降さんの姿は、
よっぽど強烈だったみたい。
(ふふ、遅くなったのは私のせいだもの。
私も一緒に謝って、一緒に怒られますから。ね?)
もう元には戻れない。
全てが、始まってしまったのだから。
何処まで、私の邪魔が出来る?
”焔”
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【あとがき】
この六話は一部ドラマ化しています。
私が一人で編集したので相当お耳汚しではありますが、
宜しければ聞いてみてください。
出演してくださったキャストの皆様の熱演が光ります。
陳腐な脚本と編集の稚拙さを差し引いても、余裕で120点満点です。
個人的には、金髪の彼女の拗ね加減がたまりません(笑)
元々ここで登場させる予定ではなかったのですが、
彼女の誘惑に負けました。とほほ。
さて、内容についてですが。
黒尽くめで、謎だらけの歌詠が登場しました。
魂魄体のささらだけだと動かし難かったから・・・・・・
と言う情けない事情で、お守り役として登場させたのですが、
実際とても重宝しています。ありがたやありがたや、です。
彼の正体が明らかになるまで、不思議気分をご堪能ください。
ちなみに、彼のモデルはのチェシャ猫です(笑)
ご存知でしょうか?
ディズニーの『不思議の国のアリス』に登場する縞々の猫。
とは言え、登場&退場シーンだけですが・・・・・・
縞柄が解けていって、最後は体全体が消える、あの感じ!
初めてビデオを見た時に、何故かすごく魅せられてしまったのです。
「気持ち悪いあの感じが歌詠だ!」と思いました(笑)
さて、徐々にささらに変化が現れ始めました。
皆様の中で、ささらの印象が変わってきているでしょうか?
「なんか豹変したよ、この人」とドキドキして頂けていたら、
私の狙い通りなのですが♪
リニューアル前の小説を公開したばかり頃は、
読者様の人気(ヒロイン部門)をささらが独占している状態で、
少し切なかったことを覚えています。
主演は両方輝かせてあげたい、と願うのが親心。
桜のいい所を、これから沢山書いてあげたいですね!
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